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わたしは観るひと。

わたしは疑い深い。
本当にそうなの?この人の意図はどこにある?なんてことをしょっちゅう考えている。

仕草のこともあるし、表現の仕方も。
癖がない人はいないと思っていて。

表裏というか、自分の知っている面だけが相手の全てではないことを知っている(なぞなぞみたいだな)

わたしは心の中でピントを合わせる。
そしてたまにわざと外す。

ちゃんと細かいところまで触れたいことはじっくり見るし、無作為に投げつけられた針は捨てる。

この人すごい風に見えるけれど、実は他人を踏み台にしているだけだな。その人自身の位置は何も動いていないと気づく。

もちろん人の発する言葉だから、言い間違えたり、相手の受け取り方によって思っていなかったように伝わることもある。それでも言葉以外のそこまでの流れを見ることで、その言葉の意図を知ろうとする。

我ながら面倒な視点を持っているなぁと思う。

捻くれずにもっとそのままシンプルに受け取れば良いのに、そう思うこともある。

でも仕方ない、観察する人、これがわたしなのだと思う。

思考の言語化をここ数年自分の中のテーマにしていて、それもきっと心の動きの観察がしたいから。

ずっと自分も含めたいろいろを観ていくのだと思う。それは毎日、ずっと続く。

ちょっと翳りのある空気の6月の終わり、そんなことを考えた朝でした。

ここまでお読みいただきありがとうございました🐅

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