【映画】シビル・ウォー(アメリカ最後の日)これは戦争映画ではなく、人権を扱った映画だ!
ブラックホークダウンの様な、わかりやすい戦争映画ではありませんでした。それは、本日封切りのこちら👇️
舞台は2つに別れた内戦状態のアメリカで、西軍2州が有利という状況下、現役大統領はワシントンDC(首都)さえ持ち堪えられないだろうと予想したジャーナリストやカメラマンたちが、自分たちのいる西軍地域から、大統領に直接取材するべく、ワシントンDC近くの前線基地を目指すという内容。
私から言わせると、①のコメントのどれもが間違っていて、キレイに製作者の罠に嵌められているように思う。それは、どのコメントも戦争映画としての側面しか捉えられていないからだ。
もちろんこれは戦争を題材にした映画なのだが、最後には自分たち(鑑賞者)が、戦争を余りにも美化し過ぎていたことに気付かされるほど、その過程と結果は醜い…
ただし、②のように膨大な製作費を投入しただけに、その戦闘シーンは迫力満点で、特にワシントンDC陥落時の戦闘シーンは、本当にアメリカにこんな未来が来るのではないか?と思わせるに十分だ。
だが本当に観るべきは、ワシントンDCに着くまでの途中、カメラマンたちが見る市民同士の対立による同市民への拘束や虐待、勝者側兵士による投降兵士への虐殺、一般市民への無差別殺戮(兵士の偏見から来る)などであり、他鑑賞者の映画評価コメントでは、それこそこの部分を「中弛み」と書いている方もおられるが、私はこの部分こそ本当に観るべき、いや考えるべきポイントであり、他の戦争映画とは一線を画す作品として明らかに主張している箇所であると確信する。
それは大体、戦争映画にありがちな、アメリカ軍(または人)は残虐なことをしないであるだとか、投降兵の虐殺や市民への殺戮は敗走する軍がすることと考えがちだが、カメラマンたちが目撃する現場は、同じアメリカ人である西軍、つまり勝者が行っている行為である点に注意が必要だろう。
ここを「中弛み」と考えてしまうのは非常に勿体ない。実は最後、エンドロールが始まる際に、人権に関する重要なワンショットが写されている。
そこには、大統領を殺害した小隊の隊員らが誇らし気に大統領の死骸と笑顔で記念撮影をした写真が写し出されるが、それがおかしい行為だとは、貴方は考えないだろうか?
仮にも数年前は、自分たちが大統領と認め崇めた(任期3期目)人物の死骸なのだが…
人は憎しみと環境(状況)が許せば、いとも容易く他者の人権を踏みにじるのだ!それは例え同じ市民(本作ではクラスメイト)、同僚、上司、大統領とて同様である。
それを実は、本作の主旨(または警告)として語っているのだと私は判断した。
私も酷いパワハラと同僚からの無視(助けて共倒れは誰しも望まないから)や、嫌がらせを受けたこともある(退職してからも、新しい職場に悪評を流布されたりもした)が、基本的には、こういった行為を行ってしまう輩は、戦場だろうと平和時だろうと常にまた、何処にでも居て、それは実は勝者敗者関係なく、環境(状況)が許せば、直ぐに弱くなった人間を襲うのを常としてしまう「人権」という言葉の意味も理解出来ない、おんぞろましい人間なのである。
話が少し脱線したが、そういう人間の醜さや恐ろしさを戦闘シーン以上にこの作品でリアルに感じ取ることが出来れば、或いは「中弛み」なく、本作を鑑賞できるのではないかと思う。
終わり