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人生を充実させるたった1つのコト
こういうのは苦手だが、結論から話そう。
人生を充実させるために必要なのは「信じる」ことだと思う。
というのが、本日のテーマだ。
この先をどれだけ読んでも「信じる」って大事だよねを言うために感じたわたしの思考をダラダラと書き連ねるだけなので、
効率よく答えを求める人は、ここでUターンした方がいい。
そういったわけで、今からわたしは、わたしの自論を書きなぐる。
明日になったら、変わっているかもしれない流れるような思考を止めるために。
そもそも「信じる」とはどういう意味なのだろうか?
GoogleのSearch Labs | AIで出てきたもので言うと、
疑いなくそのことが本当であると考える、または確信すること
らしい。
と一緒に調べたら、芦田愛菜さんの名言出てきた…。(余談)
“信じる”とは「よく、その人のことを信じようと思いますという言葉を使うことがありますが、それってどういう意味なんだろうってと考えました。それは、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかなと感じて。
うん。これも一理ある。後ほど触れたい。
芦田愛菜さんの言葉に触れたら、「信じる」が良し悪しというような展開をしなければならないような気がしてきたが、そうではないと思う。
わたしは、その人を信じて裏切られることも含め、信じるは、人生を充実させるために、非常に欠かせない要素だと考えている。
こう思ったのも、感性が似ている人と話したからだ。
彼は、初対面だったのにも関わらず、自分と感性が似ていると思った。
その彼は、わたしと同じように世間・社会に疑問を持っていた。
しかし、その疑問を怒りへと変換していた。
一方のわたし。
彼の言っていることほとんど理解できるのに、
全く、イライラしない。怒りも湧いてこない。
この違いに疑問を持ったので、その場で一緒に考えてもらった。
そしたら、見えてきたもの、
それは、他者もしくは外部に期待しているかどうかだった。
確かに、わたしは、全く社会に期待していない。
他人に期待していない。
だから、裏切られても全然悲しくない。
何度も自分の手から離れていく人たちを目の当たりにして、
また、そういう感じね。OK!(笑)てな感じで流すような体質になってしまった。
だから、悲しいはもちろんないし、
なんで、自分から離れるの!ともならない。
感情的になって涙を流すことなんてめったにないし、
怒って不機嫌になるなんて、ありえない。(家族を除く)
分かってほしい欲はあるものの、
人間は100%で、分かり合えないと思ってるから、
なんで分かってくれないの?と怒りも湧かない。
仮に分かってくれる人が近くにいたら、
こんなわたしの話を聞いてくれて共感してくれて
ありがたいな~。という感じ。
そこから、この人なら分かってくれる!!!!
なんて、過度な期待はしない。その人を信じない。
この部分、分かってくれるんだね~🎶わたしと近しい🎶で終わり。
だから、70%くらいまでは仲良くなれる人は多くいるけど、
この人のためならとか、この人なら信じられるとかまでいくレベル、
いわゆる100%相手を信じられる状態まで、自分を含めて信じられる人がいない。
そんな感じだから、受容してくれる人はたくさんいるし、
わたしとちゃんと向き合ってくれる人がたくさんいるのにも関わらず、
急に孤独を感じるようになる、急に寂しくなって、わたしはひとりなんだと絶望する夜がある。
そんな自分が悲しい。
って多分、思いたいだけ。
過去の辛いと感じた記憶と、考えすぎるクセが相まって、
全てを客観視することで、感情を抑えるようになっている自分に気づく。
その究極がこの記事だと思う。
自分の人生にストッパーをかけるように、楽になる方法を虚無に設定した。
だけど、最近。
目がキラキラしている人の話をこれでもかというほど聞く機会を得た。
彼らは生きるのがすごく楽しそうだった。
生きるってこういうことだって、思わせてくれた。
その人たちは、わたしが感じていた虚像を本気で信じ、本気で向き合っていた。
本当に本当にかっこよかった。
わたしにだって、やりたいことはあるのに、わたしの心はいつだって穴が開いてる感じがする。ここの違いはそう、
冒頭から言ってる「信じる」にあると思う。
近しい言葉を他に並べるなら、期待とか、その世界に入り込むとか、没頭とか。本気も入りそう…。そのあたりが近いのだろうか?
どうせできないだろとかではなく、本気で信じて突き進む。
裏切られてもいい、この人を信じて、この人のために動く。
そうやって動いた先には、きっと喜怒哀楽含めた感情表現豊かで、人間の本質をついたような人生(あくまでも自分基準)を送れるのではないだろうか。
彼らを見て、本気でそう思った。
そうして、キラキラな目をした人に、
ちょっぴり馬鹿にされそうな大きな夢を語ってみた。
そしたら、キラキラした目のまま、わたしの夢の実現性を教えてくれた。
素直に嬉しかった。
わたしは、色んな経験と思考を経て、ひねくれにひねくれまくった結果とて、何も信じることができないのだとしたら、
誰かに信じてもらったという事実を信じて、
己の道を進もうかな、なんて思った。
わたしが、わたしの経験を通じて、
涙を流せたときに、きっとわたしはステップアップできるのだと思う。
「信じる」を通じて、自分の人生を充実させるために、
動こうと思います。