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おかあさんが家にいないこと

小さい頃から、ごはんのときは必ずNHKニュースと決まっていた。その前の時間、幼稚園や学校から帰った夕方は、NHK教育がついていた。「おかあさんといっしょ」を、じいじとばあばと見ていた。

当時は、なぜ「おかあさんといっしょ」という名前なのかわかっていなかった。地元ではおかあさんが働いていることはさほど特別ではなく、大学生になってから「共働きの家は貧乏」とクラスメイトに言われるまでそのあたりの感覚は掴めていなかった。

正直、言われてからもあまり掴めてはいなかった。いまでも覚えているぐらいだから、表情や言い方に腹が立ったんだろう。「いろんなひとがいるからね、大学は」と父が言っていたのを思い出す。

うちは両親ともに「自分の分は自分で稼ぐ」スタンスだったので、ふたりとも正社員で安定した収入が着実に増えていくキャリアを積み重ねていた。小さい頃から特段我慢をさせられたような思い出はなく、祖父母が家にいたこともあって特に孤独感もなかった。

その子の話を聞いていると、おかあさんはうちにいてヨガをやったりスムージーを飲んだりしているらしかった。自分はお父さんだけが働けば生活していける状態なんだから、共働きでないと生活していけないのは貧乏だということを言っているんだろうとようやく理解する。

まあ、それはそれでいいんだと思う。どちらかが働きたくて、どちらかが働きたくないんだったら、最適解はそこなんだろう。うちはふたりとも仕事がすきで、ただお金のために働いているんじゃなくてとっても楽しそうなんだけどな。

「おかあさんが家にいなくて可哀想」と勝手にレッテルを貼られたのがいやだった。「働くのはお金のため、生計を支えるため、家族を養うため」という文言が透けて見えたような気がしていやだった。わたし、全然さみしくないし、働いているふたりのことがすきなんだけどな。

この7月で母は定年退職した。いろいろやりたいことを考えているらしく、忙しない。飲食系のパートを始めてみたり、IT系の講師をしてみたり、運動をしに通ったり。土日は父とふたりで畑に行き、スーパーに買い物に行く。なんだかんだ毎日外に出ているんじゃないかと思う。

その様子を見るたびに、ああ、わたし、ずっとさみしかったんだ、と気づいた。おかあさんが出かけていくのを「いってらっしゃい」と見送るたびに、「定年退職したらずっといっしょに過ごせるんだと思ってた」という未練がましい気持ちが湧いてくる。

ずっと感じないようにしてきたんだと思う。わたしは、自分がすごく恵まれた環境にいるのを小さい頃から薄々知っていたから。じいじもばあばもパパもママもお兄ちゃんもみんなだいすきで、そのだいすきなみんなが大事にしてくれている。すっごく幸せな環境に身を置かせてもらっているから、わがまま言えないなって。

ずっとおかあさんがそばにいてくれることを今更求めてるわけじゃない。おかあさんには、自分のすきなことをすきなようにやってほしい。ただ、さみしかったわたしが「いた」ことを認めてあげられたことが大進歩だった。

またひとつ、未完了を完了したのかもしれない。

おかあさんのことがだいすきで、ずっとべったり甘えたかったわたしに、まだチャンスはあるよって言ってあげないとな。


おやすみなさい。

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