ひとの気持ちは、やっぱりわからない
こんばんは。のぞみです。
ちっちゃい頃から、感情移入しやすいよね、と言われてきました。涙もろくて、テレビや本ですぐに泣いてしまう。ひとの気持ちがわかるよね、と褒められることもしばしば。
でも、やっぱりひとの気持ちってわからないと思うんです。
わかろうと努力することはできる。
「いま、胸のあたりになにかつっかえているような気持ちです」
「おなかにぐっと力が入るような感じがします」
「肩の力がふっと抜けたような気がします」
身体感覚とくっつけて伝えることで、すこしは体感できるような気がする。
でも、気がするだけ。ほんとうのところは、やっぱりわからないのが本音。
だから、コーチングのときに「なるほど」って言いたくないわたしがいます。「なるほど」って、「わかった」って感じがしませんか?わたしだけかな。
孤独感、喪失感、焦燥感、絶望感、
「わかります」と簡単に言われたくないわたしがいるから、「わかります」とは言いたくない。わからないけど、わかりたいと思って聴いてるからね、という声がいつもこころにあります。
まあね、雑談のなかでは全然ちがうんだけどね。「あーね」「わかる」「わかりみが深いわ」「なるほどね」「たしかに」なんて、ぽんぽんぽーんと口をついて出ている気がします。
テンポ感を大事にしてるのかな?やっぱり普段のわたしは、コーチのわたしとはだいぶ違いそう。
待つこと。
知ったかぶりをしないこと。
わたしが、コーチとしてのわたしを尊敬できるように、大切なお約束。
自分をすきでいるためのお約束、ほかにもたくさんありそうだな、と思ったりしました。また思いついたら書いておこう。
おやすみなさい。
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