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しあわせになる覚悟

最近思うんだけど、しあわせになるのって覚悟がいる。しあわせになりたい〜とはしょっちゅう言っているものの、そのために実際何してますか?と聞かれると詰まる。何もしていなかったわけがないんだけど、まだまだ甘えていたかもしれない。

去年の秋から続けてきた「#がんばらないキャンペーン」は、ご存知の通りなかなかうまくいかなかった。のんちゃんは行動力があるのになんで休みだけはうまくできないの?と直接聞かれたこともあるぐらい。自分のために休むのって難しい。自分のことを大事にしてあげようっていう気がないとできないんだから。

春先に植物療法の講座で「本気で身体を喜ばせようと思わないとセルフケアは続きません」と言われて、胃がキリキリしたけどほんとうにその通りだと思った。本気で自分のことを喜ばせようと思い切れていないこの気持ちはなんだろう。

わたしよりも、わたしの周りにいてくれるひとのほうが本気度が高いような気すらする。自分のことになるとうまくいかない。親友のことだったら本気で怒ったり泣いたりできるのになあ。この気持ちを自分に向けられたら、きっとしあわせになれるのにと何度も思ってきた。

あまり認めたくないけど、誰と一緒に過ごすのかも、もしかしたらなあなあになっていたのかもしれない。当時のわたしにとっては最善の選択をしていたんだと思うけど、今のわたしからするとわざわざ苦しいほうを選んでいたように感じる。失敗しながら学んでいけばいいよと励ます声も聞こえつつ、やっぱりもう失敗したくない。

今回で痛い目を見た、パートナーと別れるのってすっごく体力を消耗するし心が擦り減る。「やすりをかけられたような、かんなで削ったような気持ち」とそのときのわたしは書いていたけれどまさにそんな感じ。他のことが何にもできなくなってしまう。

もうそろそろ安心したい。安定した関係性がほしい。大事にしてくれるひととだけ一緒にいて、わたしもず〜っと大事にしたい。何が起きても誠実に向き合って、納得するまでちゃんと話し合いたい。違いを恐れずに、愛おしく思える関係がいい。

やっと、しあわせになる覚悟ができてきたのかもしれない。長い長い準備期間だったけど、これまで蓋をしてきた気持ちをやっと認めてあげられそうな気がする。周りの誰かのしあわせに流されずに、わたしにとってのしあわせをちゃんと見ようとしてる。

前ののんちゃんは「🔥」だったけど、今ののんちゃんは「🌿」と言ってもらったことがあって、それを受け取れた自分が嬉しかった。がんばっていないと好きになってもらえないとか、がんばらないとしあわせになれないとか、そういうのはもう降ろして置いていきたい。

何にもしなくても、できなくても、わたしここにいていいんだなあって思えるひととしあわせになる。向けられた愛情や思いやりを素直に受け取って、心のなかにある温泉をずっとぽかぽかに保ちたい。

まだちょっと怖さもあるけど、すこしずつ安心して過ごせる時間が増えていったらいいなと思う。そうなる予感がちゃんとしてるから、無理せずのびのび過ごしていたら自然と向かっていけるのかもしれない。






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