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最寄りのコンビニが閉店したら、想像以上にショックが大きかった話

10月末、30年続いた近所のセブンイレブンが閉店した。都会のコンビニは手っ取り早く便利に、と会話もない場所かもしれないけれど、ここは違った。夫婦で経営していて、いつも元気なおばちゃんが祖母を見つけると自然と話が弾んでいたし、寡黙なおじさんが時折見せる笑顔にはなぜかわたしも嬉しくなった。バイトの学生はよく入れ替わっていたけれど、何度か顔を合わせているうちにいつの間にか「がんばれよ」と応援したくなる自分がいて、不思議な場所だった。

わたしが産まれる前から「そこ」にあったので、なくなってしまったことがまだ受け入れられていない。今さっきもスープ春雨のCMを見ていたらとんでもなく美味しそうで「コンビニ行くか〜」と思ったらもう無いんだった。洗剤切れそう、コンビニ行くか、ちょっと甘いもの食べたい、コンビニ行くか、メルカリ発送しなきゃ、コンビニ行くか、お酒飲みたい、コンビニ行くか、そんな癖がついていたことにもなくなって初めて気づいた。

父はよくタバコを買うついでに、季節限定スイーツを買ってきてくれた。母は自分のお菓子を買うついでに、「何か欲しいものあるー?」とわたしに聞いてくれた。祖母はお米代の払込のついでに、店員さんと立ち話をして聞いたことを楽しそうに話してくれた。家族のなかに、いつもコンビニが緩衝材として挟まってくれていた。

もともと駄菓子屋だったわたしの家は、コンビニができてすぐに店じまいをしたらしい。駄菓子屋と言っても、昔の駄菓子屋は今のコンビニに近い。お菓子だけでなく、サンドイッチのような軽食や、切手なども扱っていた。直接的なライバルなので、最初は祖母も行きたがらなかったらしいが、便利さに気づいてしまうとほぼ毎日通うようになったと聞いた。

そのせいか、うちにはあまりストックがない。いつでも買いに行けばいいから、という理由でギリギリになるまで放っておく癖がある。トイレットペーパーも、箱ティッシュも、食器用洗剤も洗濯用洗剤も、意外とストックしておかないと困るものはないらしい。ここまで習慣づいてしまってから、あっという間に閉店するんだから罪なやつだ。

暗い夜道でも必ず電気がついていて誰かがいる安心感、寒い日暑い日に吸い込まれるように入ってしまう心地いい温度、必要なものがいつでも揃っている信頼ももちろんある。なくなったからって死ぬわけじゃないんだけど、実際あのコンビニなしでもう10日間生きているんだけど、やっぱり惜しい。

あのおばちゃんとおじさんに、次会えるのはいつなんだろう。お店が開いていたからいつでも会えたけれど、ただ暮らしているおばちゃんとおじさんには、なかなか会えないのかもしれない。真っ暗な跡地を横目に、寂しいな、会いたいな、そんな気持ちが自然と湧いてくる。

連日の夜勤、本当に大変だったと思う。困ったお客さんもたくさん来ていたと思う。ランチタイムは近くの会社から人が押し寄せて、いつも行列ができていたし。よく30年も続けてくれたと、その貴重さに感謝したほうがいいんだと思う。正直、地面に寝っ転がって「やめないで〜〜!!」ってじたばたしたい気持ちが8割だけど、本当に大変ななか30年間ありがとうございました。

こんなにも大切な場所だったんだと、月並みだけど失って初めて気づく。何もかも変化し続けていて、ずっとあるものなんてないといつも言っているのに、またこんな気持ちになってしまった。最寄りのコンビニが随分遠くなってしまったけれど、それでもわたしは生きていかなくちゃいけない。今あるものに目を向けて、ありがとうの気持ちとともに新しい日々を生きていこうと思った。





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のぞみのなかみ
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