「ありのまま」ができなかったわたしの話
どこかで、だれかに、言われたことがあるんだろうか。家族の顔を思い浮かべても、先生たちの顔を思い浮かべても、しっくりこない。やっぱり、だれにも言われたことがないような気がする。それなのに、頭のなかに響く、声。
なぜか、ずっと「ちゃんと」しなきゃいけないと信じてきた。いつから?と聞かれると、思い出せないぐらい昔から。小学生の頃だろうか、いや、幼稚園児の頃かもしれない。
外に出るときには「ちゃんと」しないといけない。ひとと会うときには「ちゃんと」しないといけない。もう大人なんだから「ちゃんと」しないといけない。こんなこと、だれに言われたんだろう。
だれに言われたのかわからないのに、常に「ちゃんと」しようとして、それがずっと窮屈だった。なぜかって、わたしは「ちゃんと」したわたしを評価されても、納得できないから。
わたしだけど、わたしじゃない
それは、わたしじゃないんだよ。せっかくすきになってもらえて光栄なんだけど、それだとわたし、ずっと「ちゃんと」していなくちゃいけなくなる。いやなんだ、もう「ちゃんと」するのは。やめたいんだよ。
最近よく聞く「ありのまま」って、最初からすとんと落ちてきた?
わたしは、落ちてこなかった。「ちゃんと」しようと努力することはできるけど、「ありのまま」ってどうやったらできるんだ?
そう、「ありのまま」って、がんばってもなかなかできないから難しい。そこでわたしは、がんじがらめになっていた。
「ちゃんと」するのはもう疲れた。「ありのまま」のわたしで生きていきたいし、「ありのまま」のわたしをすきになってほしいけど、それってなんなの?どうやるの?
「自然体」とか「等身大」とか言うけどさ、どれが本来のわたしなのかなんてわかんないよ。いつもわたしは「ちゃんと」しようとしてしまうから、きらいだった。
コーチとしての、わたし
わたしがコーチングと出会ったのは、2023年の2月。その2ヶ月後の4月末には、THECOACH基礎コースに参加していた。
出たな、「ありのまま」。スライドに映る文字列を細目で眺めながら、正直、わたしはちょっとくさくさしていた。なんなんだ、それ。わかんないって言ってるじゃん!
コーチもクライアントも、お互い「ありのまま」でいられるのが理想なのはわかった。きっといいものなんだろうけど、どうやったらできるのかさっぱりわからない。
そこで、わたしは衝撃を受けた。
「ありのまま」は、意図的に作り上げるものではないらしい。関係性が深まれば、自然と「ありのまま」が現れてくるのだと。
なんだかその言い回しもすきだった。追いかけ回すんじゃなく、辛抱強く待っていれば、「ありのまま」のほうからそっと現れてきてくれるような。
人見知りで、ひとの顔色を窺ってばかりで、「どうしたら喜んでもらえるんだろう」「きらわれないためには、どうしたらいいんだろう」と考えてきたわたしには、信じられないフレーズだった。
関係性を、場を、信頼する
そのとき、気づいてしまったんだ。わたしってもしかして、関係性を、場を、信じきれていなかったんじゃない?
きらわれないようにとか喜んでもらおうとか、そんなこと考えなくても、すきでいてくれるひとは変わらずすきでいてくれるんじゃない?
思い返せばずっと、全然対等な関係じゃなかったのかもしれない。自分から上下関係を作りにいって、対等なはずの関係なのに変にへりくだって。そんなことしてるから苦しかったのかもしれない。
けどさ、信頼するって、すっごく怖いことだよね。身を委ねるとか、背中を預けるとか、もしそのひとがいなくなってしまったら、転んで大怪我しちゃうもん。大怪我しないように、守ってくれてたんだよね。
それでも、ここからの人生をよりよく生きるためには、「信じること」が第一歩だった。わたしも信じるし、あなたも信じる。
THECOACH生と過ごす時間は、無理に信じようとがんばらなくても、「このひとなら大丈夫」って自然と思えるように練習してきた時間だったのかもしれない。
ひとりずつ、ひとりずつ、
「このひとなら大丈夫」が増えていくのを感じていた。安心安全の場が、ひとつずつ、ひとつずつ増えていく。
そのなかで、気づいたことがある。
「ありのまま」でいることは、常に穏やかでいることじゃないし、常にごきげんでいることでもない。
感情に、ポジティブ/ネガティブとか、良い/悪いと評価をしない。ただ、わたしが「いま・ここ」で感じているものを、素直に「ある」と認められる。
「ちゃんと」しようとしていたわたしは、ネガティブな感情を「ない」ものにしてきた。「元気?」と聞かれたら、元気じゃなくても「うん!」と笑顔で答えてしまっていた。いいんだよ、元気じゃなくても。
元気でいたいわたしも、がんばりたいわたしも愛おしいけど、元気じゃなくてもいい、がんばらなくてもいい、と思えたことで、わたしの「生きる」は大きく変化した。
「ありのまま」でいられる場が増えたからこそ、いのちの声を前よりも聴けているんだと思う。わたしも、大きな樹の一枚の葉っぱだったり、まな板の上で溶けかけたバターだったり、そういうものと変わらないひとつとして存在していたいんだよね。
それが、わたしにとっての「ありのまま」なんだと思う。なにもかもまるごと抱きしめて、「そっか、今日も愛おしいね」って。それだけ言えたら、もういいの。
元気じゃなくても、がんばってなくても、にこにこしてなくても、すごいひとじゃなくても、わたしはわたしのことすっごく大事だよ。
だから、これからも「ありのまま」のわたしでいられる関係性を、場を、大切にしていってね。
このnoteは、コーチのアドベントカレンダー企画いただいたテーマをもとに執筆しています。わたしが受け取ったテーマは「ちゃんとする、と、ありのまま」でした。りみさん、まーさんありがとうございます!
ことばを学ぶ修士卒、コーチングとブランディングをナリワイにしています。いただいたサポートは、ナリワイをアップデートする学びや、毎日noteを心地よく書き続けるための暮らしに投資します。最後まで読んでくださってありがとうございます💌