みぞおちの施術とストレス耐性の向上

 長らく施術させてもらいながら決定的な極め手に欠けて、ガラッと改善はできていなかったお客さん(=Pさん)にようやく光が見えました。極め手になったのはやはり、みぞおちへの施術でした。

 Pさんについてはこれまでにも何度かみぞおち・おなかへの施術はさせてもらっていましたが、どのときも脇役的なちょこちょこっとした施術に留まっていて、前回来院されたときのように、1時間のほとんどを集中的にみぞおち周辺に費やす、ということはしていませんでした。それをまあ、前回はがっつり1時間、みぞおちと背中に投入したわけです。
 そして今回は、その前回から3週間後の来院です。私からお願いして、そこそこ早いタイミングで再来院してもらいました。こんな上げ調子に施術が展開しているときは、勢いに乗ってチャチャッと作業を進めなければ損。間を開けるのは却ってもったいないのです。
 で、来院すぐに、前回からの状況の変化をお聞きしましたが——めッッッちゃいい感じ!です。Pさん曰く、ストレスの受け止め方が柔軟になった、これまでは、ストレス案件に〈ぶつかられても当たり負けしないように!〉と構えていたのが、〈ほわほわっと、余裕を持って受け止める・受け流せる〉感じになった、とのことです。これは実に嬉しい!

 良い話にすっかり清々しい気分になったけど、イカンイカン、仕事モードに戻らねば。気を取り直して、「じゃあ前回からの続きを」と、今回は2時間続きの予定で施術を始めると、まあこれが弛む弛む。以前までの、〈ある程度のところまでは確実に身体の緊張が弛むのに、もうひと声、と欲張ると途端に反発して強張ってくる〉みたいな、得体の知れない壁に阻まれる感じはミジンもなく、一歩一歩、足を出せば出した分、着実に前に進んでゆく感じが実に心地よい。そうよそうよ、これが〈身体修整法〉ってもんですよ!
 施術しながら、どんどんテンションが上がる私。ああ愉しっ。

 Pさんに、みぞおちの施術を受けていての感触をお訊きすると、「頭がすっきりする」とのことでした。他に、「気持ち良い」とおっしゃる人もいたけれど、私自身は自分で自分に施術しても・他人様に施術していても、〈みぞおちの施術そのもの〉の感触はほとんどわかりません。ただ機械的に、必要なところに施術している、という感じしかわからない。その結果が波及して、皮膚・筋肉が弛むようになるとようやく、おお、と分かる。
 この感じは、〈施術しながらリアルタイムで弛む感じが手応えとしてわかり、またその弛みを快として感じ取れる〉皮膚・筋肉の施術とはやはり異なるように思います。みぞおちの施術で狙っているのがホントに神経なのかどうか、とくに私の想定する交感神経なのかどうかはいまだにわかりませんが、やっぱり皮膚・筋肉ではなさそうです。

 それはともかく、みぞおちの施術がうまくいくと、本来の皮膚・筋肉系の問題も明らかになってきました。結局のところ、どうやら、右足の足部分、中足骨を起点に、大腿遠位部くらいまでの範囲に根本的な不具合があったようです。Pさんにケガの心当たりはありません。施術しての感じでは、ごく幼少の頃のケガと思われます。
 私の理解では、右足のねじれをかばって、全身がねじれている状態、といった感じです。それが途中、みぞおちの強張りが目隠しというか障害になって起点は見えなくなっていて、起点がうまく改善できないものだから、全身の改善にも至れなかった、らしい、というのが今回得た理解です。次回以降、施術が展開するにつれてさらに理解が深くなる可能性はありますが、まずはここまで分かれば十分かと。
 そしてPさんは運動されるかたなので、足の状態が改善したことで、動きにも変化の出る可能性が大!です。いきなり試合はせずに、練習でいろいろ動かしてみておいてください、とお願いしました。

 で、時間まで施術して、「ハイ、終わり」と起き上がってもらうと、見事に顔立ちが若返っておられる。Pさんご自身も自覚できるようで、「全然違う、全然違う」と喜んでくださって大団円。この上げ調子がこれで一段落するのか・まだ続くのかはしばらく様子を見ないとわかりませんので、次回の予約は、「また適当にしてください」とお願いしました。
 あ——おもしろかった。

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