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『心眼』鷹のように大空から物事を見ていれば、心はいつも凪いでいる...夜話message from spirits
視点が違えば
誰かにとっての”善”は
違う誰かが見れば”悪”なのかもしれないし
誰かにとっての”光”は
違う誰かにとっては
耐え難い”闇”なのかもしれない...
・・・
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心の眼。
それは、対象となるものの良し悪し、
”善”と”悪”を見抜く為のものと思う人も多いかもしれない。
しかしそうなると、対象をジャッジすることとなる。
ジャッジとは、審判や判定、裁く...などの意味がある。
これは法廷の裁判官や、スポーツの審判員がする仕事だ。
過去には、そういう視点で物事を見ていた自分もいた。
でもある時期から、それがとても傲慢であることに気付いた。
それからの僕は、ちょっと違う角度、
もっと高いところに視点を定めて”心の眼”を使う。
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よく聞く話...
明るい光が当たれば、その後ろには必ず暗い影が出来る。
そんな風に、光と闇・善と悪などは、表裏一体。
どちらか一方だけでは、存在しない。
今の僕は、「鷹の視点」に心の眼を定めるよう、心掛けている。
大空から眺めるように、高く広い視野で見てみると、
”感情”ではなく、”感覚”で捉えることが出来るように思えるからだ。
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ここからは、僕個人の見解...
”感情”は非常に尖っていて、不安定でもあり、
その時々によって行ったり来たりして、まるっきり当てにならない。
でも”感覚”というものは、穏やかでふわっとしている。
ふわっとしていて掴みどころが無いようでいて、でもそのアンテナは正確なのだ。
”感情(気分)”は、その日の天気によっても左右されやすいけれど、
食べ物の好き嫌いなど ”感覚”は、晴れでも雨でも曇りでも、
たとえ台風が来ようとも、殆どの人は変わらないのでは?
少なくとも僕は、どんなに晴れて気持ちが良い日でも、苦手なものは苦手なままだ。
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鷹の視点に置いた心眼で、ものごとを見る。
その眼から伝わる感覚で、心地良いと感じられるものをただ選んでいくだけ。
そうでは無いものに、やたらに意識を向けて、感情を動かす必要は無いのです。
単にそれらは、自分の感覚には馴染まないというだけの事。
対象となるモノ・コト・ヒト...
それらをどう感じるかは、人それぞれ違うのだから。
本来、いつでも世の中は「中庸」。
全てがそこに在って、それで調和が取れているのです。
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・・・
誰かにとっての”善”は
違う誰かが見れば”悪”なのかもしれないし
誰かにとっての”光”は
違う誰かにとっては
耐え難い”闇”なのかもしれない...
結局は
どちらでもあるし どちらでもない
それらは ただ
そこに”在る”というだけのこと
自分が心地良いと感じるものを
心の眼で
選んでいけば良いのです...🍀
陽日希