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『心眼』鷹のように大空から物事を見ていれば、心はいつも凪いでいる...夜話message from spirits


視点が違えば

誰かにとっての”善”は 
違う誰かが見れば”悪”なのかもしれないし

誰かにとっての”光”は
違う誰かにとっては
耐え難い”闇”なのかもしれない...

・・・


= 心眼Ⅰ=


心の眼。

それは、対象となるものの良し悪し、
”善”と”悪”を見抜く為のものと思う人も多いかもしれない。

しかしそうなると、対象をジャッジすることとなる。


ジャッジとは、審判や判定、裁く...などの意味がある。
これは法廷の裁判官や、スポーツの審判員がする仕事だ。

過去には、そういう視点で物事を見ていた自分もいた。
でもある時期から、それがとても傲慢であることに気付いた。

それからの僕は、ちょっと違う角度、
もっと高いところに視点を定めて”心の眼”を使う。


= 心眼Ⅱ =


よく聞く話...

明るい光が当たれば、その後ろには必ず暗い影が出来る。


そんな風に、光と闇・善と悪などは、表裏一体。
どちらか一方だけでは、存在しない。


今の僕は、「鷹の視点」に心の眼を定めるよう、心掛けている。

大空から眺めるように、高く広い視野で見てみると、
”感情”ではなく、”感覚”で捉えることが出来るように思えるからだ。


= 心眼Ⅲ =


ここからは、僕個人の見解...


”感情”は非常に尖っていて、不安定でもあり、
その時々によって行ったり来たりして、まるっきり当てにならない。

でも”感覚”というものは、穏やかでふわっとしている。
ふわっとしていて掴みどころが無いようでいて、でもそのアンテナは正確なのだ。


”感情(気分)”は、その日の天気によっても左右されやすいけれど、
食べ物の好き嫌いなど ”感覚”は、晴れでも雨でも曇りでも、
たとえ台風が来ようとも、殆どの人は変わらないのでは?

少なくとも僕は、どんなに晴れて気持ちが良い日でも、苦手なものは苦手なままだ。


= 心眼Ⅳ =


鷹の視点に置いた心眼で、ものごとを見る。

その眼から伝わる感覚で、心地良いと感じられるものをただ選んでいくだけ。

そうでは無いものに、やたらに意識を向けて、感情を動かす必要は無いのです。

単にそれらは、自分の感覚には馴染まないというだけの事。


対象となるモノ・コト・ヒト...
それらをどう感じるかは、人それぞれ違うのだから。


本来、いつでも世の中は「中庸ちゅうよう」。

全てがそこに在って、それで調和が取れているのです。


= 心眼Ⅴ =


・・・

誰かにとっての”善”は 
違う誰かが見れば”悪”なのかもしれないし

誰かにとっての”光”は
違う誰かにとっては
耐え難い”闇”なのかもしれない...


結局は
どちらでもあるし どちらでもない
それらは ただ
そこに”在る”というだけのこと


自分が心地良いと感じるものを
心の眼で
選んでいけば良いのです...
🍀

陽日希


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