note4年生から、note初心者のみなさまへ
2021年6月23日、のざわあらし(旧ハンドルネーム:のざらし)はnoteのアカウントを作成し、電子の海へとテキスト入りのボトルを放流するようになりました。その習慣が始まってから先週ついに3周年を迎え、晴れて「noteユーザー4年生」に進級することができました。
150週に達しようとしていた毎週投稿記録をうっかり年初で途切れさせてしまったことは心残りですが、それでも投稿のモチベーションは消え失せることなく続いています。ひとえにいつも記事を読んで下さる皆様のおかげです。重ね重ね感謝申し上げます。
3年前の初夏、アカウントを作った直後は、多くのユーザーの皆様に便乗して「100日連続投稿」を行なっていました。当時を振り返ってみると、拙い文章や、連続投稿記録を保持するために無理矢理仕上げたやぶれかぶれな投稿も見受けられます。ですが、日常や過去の記憶のどこかにネタがないかと探していた日々は、慌ただしくも充実していたような気がします。
その頃の自分のバイタリティは今よりも確実に高く、そして強かったので、自惚れた発言のようになってしまいますが、過去の自分に対して嫉妬心を覚えることもあります。あの勢いは何だったのか。俗に「初期衝動」と言われるものなのか。今の方が過去よりも優れた自分、そして文章でありたいのに。この行き詰まっている現状と向き合うことこそが、note4年目の課題であると考えています。
──さて、アカウントの作成後、テキストの投稿に限らず「noteサーフィン」をすることも新たな習慣になりました。フォローさせていただいている皆様の記事を読んだり、ハッシュタグ(「ミスチル」「スクエニ」のような趣味コンテンツ関係の名詞や、「エッセイ」「映画」などの大きな括り)を辿ったり、といった具合です。その最中ではとても瑞々しくて惹き込まれてしまう文章や、心躍るような高熱量の文章といった名文、そしてそれらを産み出した数々のアカウントと出会ってきました。
時折、ひと桁代の数ほどの投稿しかなく、最終更新日が年単位も昔のアカウントと巡り逢うことがあります。まばゆいばかりの決意に満ち溢れた1回目の投稿、とてつもなく頻繁な更新頻度、しかし途端にバタリと更新が止まってしまった……。そんな初心者ユーザーの方のアカウントです。
休眠に至った理由は様々でしょう。学業やお仕事の多忙。ライフステージの変化。他SNSへの引越し。テキストを書くことができる精神的余裕の摩耗。投稿に飽きてしまった。事情は他にもたくさん考えられます。例えば、「頑張って書いた文章なのに、大して読まれないな……」と意気消沈して辞めてしまった場合もあるのではないでしょうか。今この瞬間においても、「もう辞めてしまおうか……」と考え始めている方もおられるはずです。
その沈んだ・沈みかけた心に、どうか救いの手を伸ばせたら。上から目線かつ、たいへんお節介極まりないことは承知ですが、そのような考えに至ることがままあります。
自分自身、投稿を始めたばかりの頃はさっぱりアクセス数が増えず、「気合いを込めたテキストだったのに……」「書いた記事が面白くなかったのか?」と思い悩むこともありました。それでも投稿を継続していくにつれ、アカウントをフォローしていただけたり、自分の文章にお褒めのコメントをしていただけたりする機会が徐々に増えていきました。
今にして思えば、ジャンルを問わぬ様々な内容の記事をひたすら投稿していくうちに、他のユーザーの方の投稿の「こちらもおすすめ」記事欄(仕組みは不明ながら、内容が関連している記事をnoteのアルゴリズムが選び出している?)に載りやすくなったことが、多くの皆様に足を運んでいただくきっかけになったのかもしれません。決して意図的に行なったわけではないのですが、結果的にそのような効果があったのかも、と推察しています。
理由はどうあれ、いつの間にか不安な気持ちは消え失せ、「自分が投稿した文章は、確かに誰かに読んでもらえている」との実感を得るに至哩ました。
アカウントを作成したばかりの投稿は、他SNSに引用されるなどして拡散されない限り、どうしても多くの目には留まらないはずです。それでも、毎日……とは言わずとも定期的・継続的な投稿を続けていれば、次第に足を運んでくれる方が増えるかもしれない。100%そうなると断言はできませんが、投稿を完全に途絶えさせてしまうよりも、可能性が高まることは確実。そのように自分は考えています。
とはいえ、毎日投稿の意気込みで自分を縛ってしまうと、どこかで無理がたたって疲れてしまうと思われます。例えば1・2週にひと記事だけでも投稿し続け、「初心者」の自称が取れかけた頃……。まだ見ぬ「愛すべき読者の皆さま」との巡り逢いを、いつの間にか果たしているかもしれません。
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