「ゼノギアス」に立ち向かえ
・「ゼノギアス」設定資料集を語る前に
1998年に発売されたRPG「ゼノギアス」。俺が愛してやまないこのゲームの設定資料集『ゼノギアス パーフェクトワークス』(以下『PW』)について語りたい、と考えていた。
──下書きを重ね、かれこれ三週間程が経過しようとしている。確認のために改めて本書を読むうちに、「ゼノギアス」そして『PW』を語ることの難しさ=自分の無理解さを突き付けられてしまい、文章が全く纏まらなくなってしまったためだ。noteを始めて以来、一つの記事にここまで時間が掛かったのは初めての経験…。「ドツボにハマる」とは、まさにこうした状況の事を指すのだろう。
しかし“設定資料集の魅力”を語っていく上で、俺は絶対に本書を無視できない。本書は俺が所持している設定資料集の中でも特に気に入っている一冊なのだ。それ程の魅力に溢れた作品が「ゼノギアス」そして『PW』…。遅かれ早かれ、この怪物達に立ち向かわざるを得ない。
思考と文章を整理するうちに気が付いた。俺は「ゼノギアス」の内容を語りたいのか、それとも『PW』を語りたいのかが曖昧になっている…!
という訳で、本稿では一旦『PW』の存在を忘れ、「ゼノギアス」というゲームそのものの魅力・個人的な想いを述べる。『PW』に関しては、次回の記事で改めて触れていきたい。
・「ゼノギアス」とはこんなゲーム
「ゼノギアス」は旧スクウェア(現:スクウェア・エニックス)が1998年に産み出した傑作RPGにして、“巨大ロボット系SF作品”の名作としても名高い作品である。今日まで続く「ゼノシリーズ」※の記念すべき第一作、と呼ぶこともできよう。
本作のゲーム性自体は、他のRPGとさほど変わらぬオーソドックスなもの。
広い世界やダンジョンを巡り、沢山の仲間と出会い、雑魚敵と戦ってレベルを上げ、お金を貯めて装備を整え、時折イベントでムービー=ボイス付きの2Dアニメを鑑賞し、ボスと戦い世界を救う…。PS1時代のRPGのテンプレート(特に「ファイナルファンタジー」シリーズ)に沿った内容と言える。
戦闘において“生身のキャラクター”(レベルに比例して強くなる)と“巨大ロボット=ギア”(搭乗者のレベルに依存せず、パーツを装備して強くなる)の双方を使い分けて戦う点に関しては、FFシリーズ等には存在しない本作ならではの独自性と呼べるかもしれない。
本作を知らない方に向け、誤解を承知で内容を強引に要約するならば…。主人公達が巨大ロボットに乗って戦い、SF色・哲学色を強めた「ファイナルファンタジー」か。或いは、生身の碇シンジ君達が格闘術で敵と戦い、しっかり広げた大風呂敷を畳んで終われたTV版「新世紀エヴァンゲリオン」か。
…何だそりゃ?とお思いの方。ページを閉じず、次項をそのまま読んで頂ければ幸いである。
・とにかく「ゼノギアス」は難しい
本作の特殊性は、先述のゲーム性を彩るストーリー・世界観設定にあると言えよう。まず、物語のあらすじをもの凄くかい摘んで述べると、以下の通りとなる。
オープニングムービーで移民線を襲う事故、謎の女性などの件は序盤では軽く流される(上記のあらすじに書いてしまったが、“プレイ中の9999年前の出来事”とは当分明かされない)。
その件をすっかり忘れながら、プレイヤーは冒険の最中に仲間を増やし、戦争に介入して強大な敵に立ち向かっていく“テンプレートに沿ったRPG”を楽しんでいくことになる。冒頭こそシリアス調なものの、コメディリリーフ的性格のキャラが次々に登場するため、悲壮感を引きずらずに暫く物語は進んでいく。
なお、セーブデータにはチャプター毎にTVアニメ的なサブタイトル※(全62話)が付けられ、物語進行上の目的・現在起きている事態を見失わないように工夫されている。
ところがストーリーを進めるうちに様々な要素が登場して絡み合い、物語は次第にスケールを増し、シリアスさと複雑さを極めていく。
移民船墜落事件の真相とてん末。主人公とヒロインに秘められし謎。複数の敵勢力の思惑。正体を隠す数々のいわくありげな登場人物。10000年に渡る因縁。幾つもの古代文明とロストテクノロジー。“ヒト(≠人間)”の創生と存在意義。精神世界における自己との対峙。高次元存在。輪廻転生。運命。そして愛…。
こうした物語のややこしさに加え、「アーネンエルベ」「福音の刻」「事象変移」「波動存在」「ロスト・エルサレム」「生体電脳」「接触者」…等々、数多の固有名詞がつるべ打ちとなって襲い来る。
同時期に発売された「ファイナルファンタジー7〜9 」も複雑なSF設定を内包した作品であったが、「ゼノギアス」の難解さはそれらの比にあらず。強靭な集中力と理解力を携えたプレイヤーでもない限り、本作を一周遊んだだけで全ての要素を咀嚼することは不可能と言っても過言ではない。
開発スタッフによる言及がないため憶測に過ぎないが、宗教・哲学・SF的固有名詞の連発、そして物語後半の内省的な精神世界描写など、本作は発売(1998年)以前に流行った「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年放映)※の強い影響下にあると考えて良いだろう。
その他にも『2001年宇宙の旅』『惑星ソラリス(ソラリスの陽のもとに)』『幼年期の終わり』『ソイレント・グリーン』等々、設定やネーミングには様々な有名SF作品からの引用がみられる。
…先程の二つの喩えもあながち冗談ではない、とおわかり頂けただろうか。
いや、本当はどちらも適切ではなかったことは承知している。「ゼノギアス」は「ゼノギアス」。わざわざ他の作品を用いた喩えなど、最初から無理があるのかもしれない。
・俺と「ゼノギアス」
俺は「ゼノギアス」をリアルタイムで遊んでいない。詳しい年・歳は思い出せないが、本作を遊んだのは大学院生時代の終わり頃(2010年代半ば、23〜24歳?)だったと記憶している。PSPのDL配信サービス「ゲームアーカイブス」を用い、通学途中の電車内で遊んでいた日々が懐かしい。
多くの文化系学生と同様に(?)『2001年宇宙の旅』『幼年期の終わり』等のメジャーな海外SF小説、またSF映画にかぶれていた俺にとって、「ゼノギアス」は非常に興味を惹かれる作品だった。大好きな「ファイナルファンタジー 」式のRPGにSF要素を特盛りにした本作は、発売から約15年も経過しているにも関わらず、俺の瞳に新鮮かつ魅力的に映ったのである。
20世紀に発売されたRPGにおいて、一作品内にこれだけの膨大な情報を詰め込んだ作品を俺は他に知らない。遊んだ当時においても、今日においてもそうだ。
上記に述べた膨大なSF要素も確かに美点の一つだが、それ以上に重要な魅力があった。本作は難解な要素はあるが、決して“難解なだけの意味不明な作品”ではない。しっかりとエンターテイメント性を重視した、楽しむことができるゲームなのである。
要所要所で訪れる、熱く感動的な展開の応酬。既存のアニメ・ゲーム作品の要素を持ちつつも、典型的表現に陥らない個性的なキャラクター達。人類滅亡一歩手前まで差し迫った終末的な展開。“愛とは何か”という普遍的なテーマへの回答を示し、途方もなく広がった風呂敷をしっかり畳んだ大団円…。俺はこうした王道的なエンタメ要素に惹かれ、本作のファンになったのだろう。
そうそう、大好きな作曲家:光田康典氏による素晴らしい劇伴も忘れてはならない。2018年の“20周年記念オーケストラコンサート”に行けなかったことが非常に悔やまれる…。
さて、「ゼノギアス」ファンを公言して憚らない俺だが、同時に一つ自信を持って言えることがある。俺はこの物語を半分も理解できていない。雰囲気とテンションで何となく楽しんでいたに過ぎない。…と。
振り返ってみると、やはり「ゼノギアス」は解らないことだらけ。無数の単語の意味も、ガゼル法院の目的も、ミァンという概念も、シタン先生がどこまで作品世界の真実を知っていたのかも、ORヴェルトールとヴェルトールの関係性も…。物語の勢いと雰囲気に流されて何となく楽しんでいるうち、俺は理解を置いてけぼりにしてエンディングへと辿り着いてしまったのだ。
それらの設定を再確認したいのであれば、wikipedia項目(こちらに加え、キャラクター・ロボット及び兵器に関する別項目まで存在する。当然の如くネタバレ注意)の、胸焼けしそうな膨大な文字を読むだけでもそれなりに納得できるが…。味気無いし、何より典拠が怪しい情報もある。
やはり深掘りの為には、公式の発信による正確な情報が必須となる。そう、プレミア的価値の付いた伝説の公式設定資料集、『PW』こと『ゼノギアス パーフェクトワークス』の出番だ。
という訳で次回“こそ”、『PW』の魅力について語っていく。書籍の画像を転載できない以上、文章のみによるフワッとした解説となるかもしれないがご理解ご了承頂きたい。本稿ではひとまず、「ゼノギアス」というゲームの魅力が伝われりさえすれば幸いである。
↓続く
※スクリーンショットは電撃オンラインより引用しました。