埋もれた記事を掘り起こす─ 毎週連続投稿 100週間目を迎えて
●はじめに
noteを初めて100週間が経った。2年目を迎える日もそう遠くない。節目や記念日は幾つあっても構わない……いや、あればあるほど嬉しいものだ、と考えてしまうのは贅沢だろうか。
右も左もわからぬ初心者だった頃と比べ、今では記事を読んでいただける機会が随分増えた。スキ・コメント・引用・サポート等々、何らかのリアクションがある度に喜びを噛み締める毎日……。本当に感謝したくてもしきれません。皆様ありがとうございます。
一方で、投稿が積み重なるたびに過去の記事が埋もれていくジレンマも味わっている。きっと多くのnote利用者の方々が、似た悩みを抱いているのではないだろうか……?
今よりも細々と活動していた頃── 古い時代の地層にも、埋もれたままにさせたくない投稿が沢山ある。というわけで、今回は過去を掘り起こし、比較的初期の記事の一部を挙げていきたい。
●2021/6/24 「曇り空の眩しさに気付いた日のこと」
初めてnoteに投稿したエッセイ。屋内に篭りがちな続く時ほど、曇天の眩しさが目に染み渡る。そんな話。また自分で言うのも変だが、「まるで最終回みたいな内容だな……」と感じた。
なお、最初の投稿(自己紹介を除く)はこの前日── アニメ「ファイナルファンタジー:アンリミテッド」に関する追懐。何故この題材を初投稿に選んだのか、今となっては全く思い出せない。ともかく、エッセイとコンテンツ語りの両輪は、これからも大切にしていきたい。
●2021/6/28 「絵を描けない俺には描きたい絵がない」
絵に挑戦しよう!と意気込んでいた頃の話。“書きたい文章”は思い浮かぶが、依然として“描きたい絵”の題材や方向性は一切考え付かない。やはり、俺は絵描きの適性が皆無なのだろう。
ちなみに、俺が最も憧れているイラストレーターは『ポケットモンスターSPECIAL』の元祖作画担当:真斗先生。キャラクターの健全な可愛らしさとデフォルメ具合・バイオレンス要素を含む激しいアクション演出の両立具合に魅了された。今でも定期的に素敵なイラスト(市政だより「にいはま」の挿絵)を描かれており、俺は更新を毎月心待ちにしている。
●2021/7/5 「友人が遠いところへ行ってしまった」
かつて某SNSでゆるやかに繋がっていた、とある方との思い出について述べた。後日談(スピンオフ?)はこちら。
今や雲の上の存在となった彼を、時折リツイートや“おすすめ欄”等で見かける。一方通行の感情を整理するため、「俺のこと覚えてますか?」と訊いてみたい。いや、止めておこう。ストーカーの台詞だ。
●2021/8/29 「泥になるより、夢路を辿って」
自画自賛するつもりはないが、改めて読んだところ妙に気に入ってしまった記事。投稿自体を失念していたが……。
この投稿に際して知った「ぐっすり眠る」の類語(「知ったかぶり」の意もある)── 白河夜船。今後の人生で使う機会は一度も無さそうだ。第一、数週間後には再び忘れ去っているだろう。
●2021/11/7 「もしもインフルエンサーになれたなら」
俺の2021年ベスト作品だった映画「アイの歌声を聴かせて」推薦文の後日談。この推薦文を参考とし、ひとりでも観て・楽しんで下さった方が居るのであれば幸いだ。
「インフルエンサーが羨ましい」。以前の俺には無かった欲望※は、この投稿から約2年経った今もなお膨れ上がり続けている。
如何に優れた内容のコンテンツであろうと、Web上の“バズり”には影響力を持つ方々の力(お墨付き、とも言えよう)が必要不可欠だ。最近の映画であれば「RRR」の大流行が該当するのだろうか?
俺に影響力、或いは影響力を持ち得るほどの筆力があれば、本作も口コミ効果で大ヒットを遂げていたかもしれない……。今でも時折そう考え、己の無力さを悔いることがある。
●2021/12/11 「その断捨離、ちょっと待った。」
マーチンの3ホールを二束三文で手放した。今でも俺は上記の件を大変後悔しており、サムネイル画像を見るだけで凹んでしまう。「お金と保管場所に問題が無ければ、モノは迂闊に手放さない方が良い」との教訓を得られた+の経験……と捉えるべきだろうか。
処分を悔やんでいる“断捨離アイテム”は他にもあるが、中でも漫画が多い。『テニスの王子様』『トリコ』『ファイブスター物語』『機動警察パトレイバー』等々……。いずれ「断捨離後悔 漫画編」を書くかもしれない。
●2022/2/26 「服と記憶は結び付く── モッズコートと俺の十年史」
続けて服ネタ。彼には2022年冬〜2023年春も相当世話になった。体型に猛烈な変化が起こらない限り、あと十数年着れるのでは……!?と本気で考えている。
モノの寿命について、時折思いを巡らせる。メガネ、スマホ、タブレット、ボールペン。たまたま目に映った周囲のモノ達は、きっと20年も保たない。一生モノのアイテムに、俺はいくつ巡り逢えるだろう?保存状態さえ良ければ、本なら一生(あと70年は生きていたい)を共にできるだろうか。
●おわりに
ほんの一部であるが、100週間(の一部、主に前半)を発掘し振り返った。特に最近「のざわあらし」の存在を認識した皆様におかれましては、是非ともご覧になって頂けると幸いです。
改めて過去の記事を振り返ると、嫌々書いた記事、誰かに強制されて書いた記事が、この100週間の内一つもないことに気が付いた。全ての投稿は、俺自身の自発的な“書きたい欲”から生じたものである。この意欲は今後も衰えさせたくない。
先日の記事で述べた通り、現在予想外の多忙に襲われている。週1ペースで(時おり写真も交えつつ)投稿を続けているものの、どうしても更新頻度は落ちてしまうかもしれない。
だが、どうにか無理のない範囲で時間を捻出し、活動を継続していきたい。100週間味わい続けた“書くことの楽しさ”は、どうしても捨てがたい感情だから。
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