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スタバでグランデをビチャビチャにした話。
いつもより、遅い電車に乗った。
大きめの仕事が片付いたあとで、時間に縛られない日だった。
珍しく、会議もミーティングもない一日。
フレックスを最大限活用し、子どもたちを幼稚園や学校に見送ってから出勤。最後に家を出る。
ふだん一番はじめに出発しているから、なんとなくそわそわとワクワクの間のような、浮かれた気持ちで駅に向かう。
通勤時間をほんの少しずらしただけで、電車は席もまだらになる。空いている席に腰掛け、ワイヤレスイヤフォンを付けた。スマホを取り出し、ストリーミングアプリをタップ。
最近ハマっているのは「あなたへのオススメ」プレイリストだ。よく聴く曲や、そのまわりのなんとなく知ってそうな曲がほどよく流れてきて便利なのだ。
窓からの陽気に包まれて、つい、うとうとしてしまう。プシュー。ガタンゴトン、ガタンゴトン。
電車はスーッと、いつもより気持ちゆっくり気分で進んでいった。
+
地下深い渋谷駅から、長いエスカレーターを上がり地上へ脱出。
さっきと変わらずの陽気でうれしくなる。
側道へ歩き出すのに合わせて、思わず歩幅が踊りだすビートが耳に流れてきた。先日観た映画に使われていたナンバーで、何度か再生したからオススメされたのだろう。Earth, Wind & Fireの『September』。
心地よい朝の気分にぴったりで「おっ、わかってるねぇ」と、イントロからSpotifyを褒める。わかってるねぇ!
今日はミーティングはないけど、作業は溜まりに溜まっている。バカでかいコーヒーが必要だ。
仕事場への道中。足取りも軽く、ビートを刻みながら最寄りのスタバに寄った。
+
朝はいつも混んでいるけれど、今日は少し遅い時間なのでスタバは空いていた。うれしい。
「おはようございますー!」
さすがに仕事場最寄りなので、店員さんもよく知ってる顔だ。会釈して、イヤフォンを片方だけ外し、ゴキゲンビートを一時停止。
スタバって、いつ行っても海外旅行の匂いがして好きだ。なんだろうあれ。何回も来ているのに、何度やっても注文するときはちょっと緊張して早口になってしまう。なんだろうなこれ。
「ドリップコーヒーをグランデサイズ、ホットでお願いします」
「かしこまりました」
レシートを受け取り、イヤフォンを耳に戻してゴキゲンビートを再開する。Hey、hey、hey!!
ここの店員さんはいつも機嫌がよくて(すごい)、ありがたい。朝の混雑でも、にこやかとテキパキを同時進行でスムーズにこなしていく。見ていて、ほんと気持ちいいくらい。めちゃくちゃ手際がいい。
……いや、よすぎる。
……よすぎるな?
なんか、急いでらっしゃる……??
たしかに「抽出に3分ほどかかりますが、大丈夫ですか?」とか言われた気がする。ん……?大丈夫ですかとは……??
じーっと手際をみていたら、それに気づいた店員さんが、コーヒーマシーンの前で申し訳なさそうに会釈を返してくる。
・
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・
そのとき、すべてを悟った。
いつもより遅い時間に、
駆け足で入店し(軽やかな足取り)、
早口で注文し(緊張の表れ)、
小刻みにそわそわと(ノリノリで)待っている。
うん。完全に遅刻しそうで急いでるやつだと思われてるな、これは。
わたしのノリノリは、確実にイライラに伝わってるな、これは。めちゃくちゃ急いでると思われてます。たぶん。
Earth, Wind & Fireがわたしの体を通り抜けた結果、風と炎だけが体外に放出されて烈火の如く燃え上がり、ただの落ち着きのない急いでいるやつが爆誕してしまった。なぜだ、世間……!!なぜなんだ。
「ムゥウン!」と、風の如く火の如く、武田信玄の顔でいまかいまかと待っている(と思われている)。
いや違うんです……!!その、なんなら今日はゆっくりで、、
「ハイッ!お待たせいたしました!」
言いかけるや否や、注文通りのバカでかいコーヒーが差し出される。耳を包み込むゴキゲンビート、それを突き抜けて響く「ハイッ!」のかけ声。そう、完全にバレー部のそれであった。
……ピィィィィイイイ!!
ホイッスルが鳴り響いた。
弾丸サーブ(でかいコーヒー)が飛んでくる。
あれ、これもう急がなきゃいけない感じ……!?感じだね!!もう後戻りは、できないね!!!
なぜか小走りを誘われて、ダッシュ。急いでグランデを受け取った。レシーブ!
「ハイッ!」
いつの間にか、もう一人の店員さんが出口のドアをいきおい開け放ち、手招きしている。
セッター!彼女は、セッターだ!!
……トスが上がった。
県大会決勝。最終セット。あと1点。あと1点でインターハイ。3年間走り続けたのは、今日。ここ。いま。この瞬間のためにあった。
俺がっ!!決める!!!
アタック!!!
「……んぅぅすぅうう!(鼻で息を吸い込む音)ありがとうございますーーー!!!」
「いってらっしゃいませ〜〜〜!」
・
・
・
……ふぅ。
とりあえず曲がり角まで走り、なんとなく曲がってから数メートルは小走りしてクールダウン。ピー。試合終了、ゲームセットである。
どうして、こうなった……。
Ba-dee-ya、ダンシンin小走り。いったい全体、どこで掛け違えたのか。
Do you remember?、である。
そのままビチャビチャのグランデ片手に、仕事場へと歩いた。
+
人と生きるスピードが違う。
それに気がついたのは、いったいいつだろう。
みんな感じるちょっとしたズレ。
こういうの、大人になったらうまくやれるようになるのかと思ってたら、そう思ったまま30代も半ばまで来た。来てしまった感、ある。
いや、大人の階段長くない?ただ、年々健康診断では大きくなっているので(主に横に)、まだポテンシャルはあるはずだ。日々息切れしそうなのに、なぜかこの間は視力が1.2に上がっていた。なんで?
そんな毎日でだんだん溜まっていくこころの澱。
言うタイミングを失った言葉。失恋しそこねた初恋。あとから気がつく、心のすり傷。
小走りむなしく、グランデ片手にバレー部になったとき。
そう。いつもいつの間にか、なんとかそんなズレを折り合わせようと小走りしている。
……なんでだ?
+
例えば、会話ひとつとってもそうである。
たいていの会話は速度が早すぎる。会話のキャッチボールはにこやかな親子のそれではなく「サー!!」と打ち合う、ピンポンピンポン、まるで卓球だ。
唐突に。カジュアルに。ふいに高速ラリーが繰り広げられる。そのエンカウント率の高さよ。
……ありがとう、ついていくのに、必死です。
いや、みんな頭の回転早くない?頭が回転したら、もうエクソシストじゃない?それかあったまぐるぐる、マジシャンのナポレオンズ。超高速で回転しながら、ラリーを打ち合うナポレオンズ。だとしたら、どっちにしろホラーじゃない?……とか無駄に考えちゃうから、いつの間にか周回遅れになっている。
なんとか取り返そうとするが……時すでに遅し。皿回るのお寿司。気がつくと、びっくらポン。
取り残された、宇宙飛行士の出来上がり。
……地球が回る速度で涙も乾く、と唄っていたのは誰だっけ。その代わり、油断するとすぐに遠心力に引っ張られて大気圏に意識が飛ぶ。うかつに手を離してしまって、所在なく、ふわふわと地に足つかない気持ちになる。どこですか、ここは?
はぁ、地球まじ大変。一日24時間で回る世間は、わたしには速すぎる。もしかしたら地球の民ではないのかもしれない。火星生まれくらいまである。
火星の一日は24時間40分なのだ。その息継ぎみたいな40分が、とてもうらやましい。
人生のチューニング。わたし以外の他者すべて。
世間との調子を少しでも合わせるべく、毎日なんとか小走りでやり過ごして生きているのだ。なんともいじらしい、小走りの流儀。ビチャビチャのグランデも、きっと天国で浮かばれるだろう。そうでなければやりきれないよグランデ……。
ああすればよかった。
なんでこうしてしまったんだ。
日々遭遇する、大小さまざまな「もう取り返せないあれこれ」に埋もれそうになる。
そんなときに、どうするか?
そう、だから今。
わたしはこれを書いている。
+
小走りではついていけなかった「あれ」
補足不可な速さでキャッチできなかった「これ」
そんな「あれこれ」を時間をかけて咀嚼して、消化して、やっと追いついてきたとき。
わたしはその「なにか」をエッセイやショートショートに書くのだ。
過去に飛び、立ち返り、あのときの自分の気持ちを言葉に起こして、スマホにババババッシュッシュと書き巡る。人生の振り返り、まるで写経のごとく。
当然、書いても現実は何も変わらない。
けれど、ふしぎとほんのちょっとだけ救われるときがある。あの時の自分を、わかってあげられたような気持ちになれるときがある。
もやもや。すぐに名前のつけられない感情。言葉未満の、こころのなか限定の声。
そういうものに文字にあてはめて、流れを整えて、工事をして、形づくっていく。感情の治水。テキストはダムになり、水路になり、堰き止めたり流したり。そこで泳いだり、すくって飲んでみたり。
書きながら遊んでいると、だんだん「あのとき」の解像度が上がって、くっきりと自分の心が浮かんでくる。そうすると、肺に空気が入って息が通る。
こころに穿つ空気穴。それでなんとか息継ぎをする。書くことは、一番身近なタイムマシンなのだ。
残念ながらネコ型ロボットはまだまだ未来の今だけど、彼がいなくても、いつでもスマホひとつで過去に飛べる。そのくらいには進歩したよね、人類。
ありがとう、いい仕組みです。
もうひとつ、書くことはタイムカプセルでもある。
書いて残しておくと、ときどきなにかの折りに読み返したときに「ああ、こんなこと考えていたのか」とびっくりすることがある。いつでも、掘り起こして読み返せるタイムカプセル。
エッセイって、とっても便利なのだ。やるじゃん人類。ナイス発明。誰でも使える、現代のひみつ道具である。
書くことで、未来へも過去へもいけちゃうのだ。
これは、すんごいことである。
+
そういえば、Septemberは9月のことではなく12月に9月を思い出している曲らしい。
ふたりが出会ったあの日。真夜中まで踊ったのを覚えてる?きみとの他愛ないおしゃべり。本物の愛を分かち合っている今日を、いつまでも覚えていようね。そんな、三カ月記念日のラブレター。
わたしはおとといのお昼ごはんも思い出せないが、Do you remember?、やはり名曲ともなると3ヶ月を飛び越えるのは余裕らしい。すごい。
でも、名曲じゃなくても大丈夫。
ままならない毎日でも、曇りの日ばかりでも、書けばちょっとだけ過去を晴れにできるのだ。
わたしの不格好な日々。でも、書くことで「それでもいいじゃん」って思えるから。
踊り続けるんだと書いたのは誰だっけ?村上春樹だっけ?彼もついつい小走りをするときがあるんだろうか。きっとあると思うし、あったらいいなと思う。
今日も少しでも世間に調子を合わせるべく、小走りダンシンで生き抜いていく。
ビチャビチャのグランデ片手に、ときどき追いついてくる「なにか」を書きながら。
おわり。
このエッセイは、エッセイを紡ぎ声にのせる朗読会「浮遊する星屑-空に落ちる前の言葉-」で書いて朗読した作品です!
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