【私自身のこと】父の双極性障害を知ってから
私には、双極性障害II型・アルコール依存症・感覚過敏を診断された父がいます。
私が父の病気を知ったきっかけは、特にこれといった瞬間があった訳ではありませんでした。
【幼少期】
幼い頃から、父は優しい時もあり、機嫌の悪い時もあり、そんなものだと思っていました。
小学生くらいの時に、母から、父は「うつ病」なのだと聞きました。父は病気なのだというショックはありましたが、一方で、「父の機嫌が悪いのは自分のせいではない、病気のせい」と思うことができるようになりました。
【大学生1年生】
私が大学1年の秋、父が自殺未遂をしました。
私が大学から帰宅すると、床に物が散乱、リビングの棚が荒らされていて、泥棒が入ったのかと思いました。
しかし、その後キッチンで泡を吹いて倒れている父を見つけ、救急車を呼びました。
なぜかその時の私は、父が「うつ病」だということが頭からすっかり抜けていました。救急隊員の方に、「お父さん、リストカットの跡があるけど」と言われ、やっと「父はうつ病で」と話すことができました。
その後、寝室のゴミ箱から大量に睡眠薬を飲んだ形跡が見つかり、無事病院に運ばれて、3日程で退院しました。
この時をきっかけに、私は、「父の腕にあった傷跡がリストカットであったこと」「父は自殺しようと思ってしまうほどの病気なのだということ」を認識しました。
改めて母から、「うつ病」と聞かされていたものは、厳密には「双極性障害II型」だということも聞きました。
【大学2-3年生】
私が大学3年生の秋、8年間断酒していた父がまたお酒を飲むようになりました。
父は元々、アルコール依存症の診断を受けていて、どっちが先か分からないような状態でうつ状態にもなったと聞いています。
私が小さい頃から父は断酒していたので、父が酔っ払っている姿を見るだけで恐怖感があります。一時、父は治療のために、お酒を飲むと気持ち悪くなるような薬を処方されていたことがあり、それでもお酒を飲み続け、トイレで嘔吐を繰り返す音が聞こえ、私は部屋から出られなくなりました。私自身、父と生活する中で気持ちが引っ張られてしまい、憂鬱な気分になったり、父に対する恐怖心から睡眠導入剤を飲まないと眠れないことが続いたりしていました。
【大学4年生・現在】
私が4年生になってから、父は2回ほど入院しました。1度目は1ヶ月、2度目は2ヶ月程で、本人の意思で入院し、退院しましたが、退院後もアルコール依存から抜けられていません。
現在私は、実家近くのアパートで一人暮らしをさせてもらっています。父と同じ空間にいると、酸素が薄くなります。
【今の私の気持ち】
今、父に対する私の感情は、「恐怖心」です。
素直に家族のことを心配できる優しい娘でいたかったとも思いますが、現実、自分の心を守ることで精一杯です。父自身が悪いのではなく、病気のせいだと分かってはいるつもりですが、それでも父のことを受け入れられず、物理的に距離を置く選択をしました。父よりも、父と一緒に生活している母への心配が大きいというのが、今の素直な気持ちです。
2023.05.28追記
【今の気持ち】
この記事を最初に書いたときから少し時間が経ったので追記します。
父と一定の距離を置いて生活するのは正しい選択だったと思います。4月から社会人になり、週3回のリモートワークと休息の時間を確保できる「自分だけの空間」は大切です。
父に対する恐怖心がなくなったわけではありませんが、実家に帰っても嫌な気持ちになったら逃げ場があると思えるだけで、ダメージは少なくなっています。
私の役割は父と向き合うことではなく、父と一緒に生活している母が潰れてしまわないようにサポートすること(ご飯や温泉、買い物など家・職場以外に連れ出してあげること)だと割り切っています。