化け猫あんずちゃん かりんから見た大人の世界を描く
ネタバレあるよー!めっちゃネタバレある!
化け猫あんずちゃんをみたよ。ずばり、主人公かりんから見た大人の世界。という感じだった。なぜなら、それは子供から見た大変な事情を背負って、いろんなことに怯えている大人たちがかりんと関わっている時はみんな笑顔で辛そうな描写もあまり大事なことになってなさそうなのだ。
借金まみれでおそらくヤクザ?に追われている父親。きっとあの世で痛い目にあう母親。ボコボコにされた妖怪たち。描写自体はかなり痛々しく、そしてみているこちらは不安になる。そう、「みている人の年齢が高く」なればなるほど。ただ、映像自体はあまり痛々しくなさそうなのだ。このあと辛い目に合うお母さんもかりんの前ではケロッとしている。ボコボコにされた妖怪たちもものすごくコミカルに描かれている。これはおそらくかりんから見た世界で大人がボコボコにされている様子なのだ。昔、親の友達がお金に困窮して辛そうにしていた時、こちらから見るとあまりことの重大さが伝わらなかったものだ。子供の頃はどんなに偉いことをしている人でも、どんなに汚いことをしている大人でも何も色眼鏡をかけずに一人の大人としてみれていた気がした。この作品はそのころの子供の視野を思い出す。
この映像のすごいところはおそらく、みている人の年齢で感じ方ががらりと変わっていくことだろう。描写自体は軽いのにやられている事実はだいぶ重めで、成人済みの大人が見るとこの後のことを考えて不安になる。でも、かりんは今、その時のことだけを見つめて不満はあるが不安を感じすぎたありはしないのだ。それは大人に守られているような柔らかい感じもあるし、子供だけが感じる繊細な気持ちの振れ幅も感じる。特に、受験期のボーイフレンド?みたいな子が現れた時、その子はかりんちゃんのほしい言葉を一切いわない。そして気づく。父親も、おじいちゃんも、妖怪も、そしてボーイフレンドも、だれも、かりんちゃんとどこかに逃げようとは言ってくれない。かりんちゃんと手を繋いでどこか行きたいところに行こうとはしてくれないのだ。詰まるところ、かりんちゃんのほしい言葉を誰も言ってくれないのだ。
そう、あんずちゃんを除いて
バイクで逃避行するあんずちゃんとかりん母子御一行。かりんが飛ばされた瞬間、母親は現世のものではないので、現世のかりんに手を繋いで助けることはできない。そのとき、かりんちゃんの手を誰も握りらなかったのに、あんずちゃんだけはかりんちゃんの手を握って助けたのだ。そして、こう言うのだ。
「世界の果てまでいくんだにゃー!」
(うろ覚えなのでセリフ間違ってたらごめんなさい…)
誰もかりんの行きたい「島」にいこうとはしてくれなかった。父親がかりんの手を離し都心へ戻り、ボーイフレンドもほしい言葉をくれなかった。母親も現世の人間ではないから助けることができない。その上であんずちゃんだけがかりんの手を握って、ほしい言葉を言って、かりんの心を救ったのだ。
これはかりんちゃんから見た大人の世界で、一人の子供が化け猫に救われる話なのだ。
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