レイチェル・カーソン『海辺―生命のふるさと』
☆mediopos-2427 2021.7.9
人のからだは海で生まれた
わたしたちのからだのなかには
いまもまだ海が生きている
血液などの体液は
海から陸に上がったあとも
からだのなかの海を保っていて
太古の海に近い成分組成となっている
海と陸の境にある海辺では
潮が満ちては干いて
その繰り返しのリズムのなかで
さまざまな生物たちが生きている
子どもの頃は夏になると
海辺でよく遊んだけれど
泳ぐよりも観察・採集するのが中心だった
「海辺のいきものたち」のポケット図鑑を手に
海辺にすむ生きものたちを見つけたり
魚や貝やウニなどを採集して
美味しく食べたりしていたことをよく覚えている
海辺の魅力は
その場所が海と陸との境にあることだろう
海となり陸となり
そしてその境は常に変化しつづけ
長い間にその海岸線も大きく変化してゆく
潮が満ち干し波が寄せては返す
そんな波打ち際にすんでいる
さまざまな生物はとても魅力的で
そのかたちや動きは見飽きることがない
さて本書『海辺』の著者レイチェル・カーソンは
生態学的視点から環境問題による生命の危機を訴え
農薬類の問題を告発した『沈黙の春』で知られているが
刊行された2年後の1964年には亡くなっている
ほんらいレイチェル・カーソンは海洋生物学者であり
海辺のさまざまな環境と生物たちの生態を紹介し
その魅力を伝えている本書『海辺』は
その原点とでもいえる著書となっている
その著書が書かれたのは1955年
ようやく本書が訳されたのは1987年のことだ
ちなみに海に関する著作は他に
『潮風の下で』『われらをめぐる海』があり
『海辺』をあわせたいわば三部作
『海辺』には海と陸の交替する潮の
永遠のリズムの中に生きる海辺の生物たちの
さまざまな環境や生態が魅力的に記されている
本書が書かれることになった興味深い経緯については
「訳者あとがき」からの引用で紹介しているが
レイチェル・カーソンは
「そこは誰でもが行ける場所」であって
「興味を持った人は、直接それらを見ることができる」こと
「海辺は陸地と海との特徴をあわせ持つ場所」であり
「進化の劇的な過程を実際に観察できるところ」であることが
「海辺」舞台に選んだ理由だという
しかし現代の日本を振り返ってみると
河川の葦原はもちろんのこと
海や川の岸はコンクリートで固められ
鳥も虫も貝も蟹も生きる場所がなくなってしまっている
「誰でもが行ける場所」であったとしても
海辺の生物たちを直接見ることができる
大切な環境は次々と失われ続け
ただただ防災を目的として
海岸線を守るための城壁と化してしまっているのだ
海はいまでも
干満のリズムをくり返し
生命を育む場所であることを止めてはいないが
その環境はますます破壊され汚染され続け
やがて回復不能なまでになる可能性がある
『森は海の恋人』という
畠山重篤の古典的なまでになっている名著があり
そこから同名の
環境教育・森づくり・自然環境保全を
主な活動分野ととする運動も展開されているが
豊かな汽水域の恵みは
森があってこそ生まれるのだ
「海辺」の豊かさも同様である
森も水も虫も魚も貝も
すべては海と陸とのあいだの
豊かな関係のなかで築かれてきている
その関係を破壊することは
自然環境の破壊だけではなく
ひいてはわたしたちのからだのなかの
「海」をも破壊することになる
■レイチェル・カーソン(上遠恵子訳)
『海辺―生命のふるさと』
(平河出版社 1987/10)
「海辺は、寄せては返す波のようにたちもどる私たちを魅了する。そこは、私たちの遠い祖先の誕生した場所なのである。潮の干満と波が回帰するリズムと、波打ち際のさまざまな生物には、動きと変化、そして美しさが溢れている。海辺にはまた、そこに秘められた意味と重要性がもたらす、より深い魅力が存在している。
潮の引いた海辺に下りていくと、私たちは、地球と同じように年月を経た古い世界に入りこむ。---------そこは太古の時代に大地と水が出会ったところであり、対立と妥協、果てしない変化が行われているところなのである。私たち生きとし生けるものにとって、海とそこをとりまく場所は特別な意味を持っている。浅い水の中に生命が最初に漂い、その存在を確立することができたところなのだから。繁殖し、進化し、生産し、生きもののつきることのない変化きわまる流れが、地球を占める時間と空間を貫いてそこに波打っているのだ。
海辺を知るためには、生物の目録だけでは不十分である。海辺に立つことによってのみ、ほんとうに理解することができる。私たちはそこで、陸の形を刻み、それを形づくる岩と砂がつくられた大地と海との長いリズムを感じとることができる。そして、渚に絶え間なく打ち寄せる生命の波--------それは私たちの足下に、容赦なく押し寄せてくる--------を、心の目と耳で拾い上げて「これはホネガイだ」とか、「あれはテンシノツバサガイだ」と言うだけではな十分ではない。真の知識は、空の貝殻にすんでいた生物のすべてに対して直感的な理解力を求めるものなのだ。すなわち、波や嵐の中で、かれらはどのようにして生き残ってきたのか、どんな敵がいたのだろうか、どうやって餌を探し、種を繁殖させてきたのか、かれらがすんでいる特定の海の世界との関係は何であったのかというようなことである。
地球上の海岸は、三つの基本的な形に分けられる。岩がごつごつとした岩礁海岸、砂浜、サンゴ礁と、それらの特徴をあわせもった海岸である。それぞれの海岸は、特徴のある動植物層をもっている。アメリカの大西洋岸は、これらの三つのタイプをはっきりした形で見ることができる、世界でも数少ない場所の一つである。私は。海洋生物のさし絵を選ぶにあたって--------すべての海に共通するように--------地球上の多くの海岸にあてはまる特徴をもったものを基準にしたつもりである。」
「海辺は不思議に満ちた美しいところである。地球の長い歴史を通して、海辺は、絶えず変化している不安定な地域であった。波は陸地に激しくあたって砕け、潮は大地の上まで押し寄せては引いていく。海岸線の形は、一日として同じであることはなかった。潮がその永遠のリズムを刻みながら満ちそして引いていくだけでなく、海面そののもが決して一定したものではない。氷河の成長と退行、ふえつづける堆積物の重さによる深い大洋の底の変化、また大陸沿岸の地殻の変動に応じて、海面は上下するのだ。きょうは海がひたひたと陸地に押し寄せてくるかと思えば、明日はその逆になる。海と陸の接点はつねにとらえがたく、はっきりとした境界線を引くことはできない。
海辺は、潮の動きしだいで、あるときは陸となり、またあるときは海になるという二つの性格をもっている。干潮時の渚は、寒さや暑さ、風、雨、照りつける太陽にさらされ、陸の世界の過酷な極限状態が現れる。そして満潮時、渚はいちめん水の世界になり、広大な海にふさわしい安定が戻ってくる。」
「すべての海岸で、過去と未来がくり返されている。時の流れの中で、あるものは消え失せ、過ぎ去ったものが姿を変えて現れてくる。海の永遠のリズム--------それは潮の干満であり、打ち寄せる波であり、潮の流れである--------の中で、生命は形づくられ、変えられ、支配されつつ、過去から未来へと無情に流れていく。なぜならば、時の流れの中で海辺の形が変わると、それにつれて生命の様相も変化するからである。それは決して静的なものではなく、年ごとに変わっていく。海が新しい岸辺をつくりだすたびに、生物が波のように押し寄せ、足がかりを探し、ついに彼らの社会をつくりあげる。そして、私たちは生物が海にあるすべての有形な存在として、一つの確実な力であると感じとるのだ。その力は満ちてくる潮によって、決して押しつぶされたり、迂回させられたりすることがないほど強靱で、しかも目的をもっているのである。
渚に満ちあふれる生命をじっと見つめていると、私たちの視野の背後にある普遍的な真理をつかむことが並大抵な業ではないことをひしひしと感じさせられる。夜の海で大量のケイ藻が発するかすかな光は、何を伝えようとしているのだろうか? 無数のフジツボがついている岩は真っ白になっているが、小さな生命が波に洗われながら、そこに存在する必然性はどこにあるのだろうか? そして、透明な原形質の切れはしであるアミメコケムシのような微小な生物が無数に存在する意味は、いったいなんなのだろうか? かれらは、岸辺の岩や海藻の間に一兆という数ですんでいるが、その理由はとうていうかがい知ることはできない。これらの意味は、いつまでも私たちにつきまとい、しかも私たちは決してそれをつかまえることはできないのだ。しかしながら、それを追求していく過程で、私たちは生命そのものの究極的な神秘に近づいていくだろう。」
(「訳者あとがき」より)
「本書の著者、レイチェル・カーソン女史は、世界にさきがけて化学物質--------とくに農業--------による環境汚染についての警告を発した名著『沈黙の春』(Silent Spring)の著者である。」
「この本を書くにいたったプロセスは興味深い。あるとき、『海辺』の出版社であるホウトン・ミフリン社の招待で、著名な文学者たちがコッド岬の浜辺に遊んだ。日曜日の朝、かれらが散歩している浜辺にはカブトガニが無数に群がっていた。かれらは、カブトガニが前夜の嵐で浜に打ちあげられて、海に戻れなくなっているのだと判断した。一流の文学者ではあるが、いささか生物学の素養に欠ける人びとは、両輪的にカブトガニを一匹ずつ海へ帰してやった。しかし、この人たちが慈悲深い行いと思ってしたことは、じつはカブトガニの正常な配偶行動への妨害であったのだ。
これを知った編集者は--------この人はカブトガニの生態をよく知っていた--------このような愚をくり返さないために、海辺の生物について入門書を企画したのだ。そして、レイチェルに白羽の矢が立ったのである。それはまだ『われらをめぐる海』の製作が最終段階のころであった。
彼女は、海辺を舞台に選んだ理由についてこう語っている。
「海辺を選んだのは、まず第一にそこは誰でもが行ける場所であって、私が書いたことを鵜呑みにする必要がない。興味を持った人は、直接それらを見ることができる。次に海辺は陸地と海との特徴をあわせ持つ場所である。潮のリズムに従いあるときは陸に、あるときは海になる。そのため海辺は生物に対して、できる限りの適応性を要求する。海の動物たちは、海辺に順応することによって長足の進歩をとげ、ついに陸に棲むことが可能になったのである。したがって、海辺は、進化の劇的な過程を実際に観察できるところなのである」
「海は今日も、干満のリズムをくり返している。しかし、海は喘いでいる。愛すべき小さな生きものたちの上に、私たち人間は汚染というかつて経験したことのない過酷な条件を押しつけているのではないだろうか。長い地球の歴史の中を、かれらじゃ生き抜いてきた。いま、人間が行ないつつある地球規模の汚染は、強靱なかれらの生命力をも、回復不能なまでにいためつけてしまうかもしれない。」