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堀江敏幸「頑なに守るもの」(『坂をみあげて』)/半藤一利『墨子よみがえる 〝非戦〟への奮闘努力のために』/『墨子』/宇野哲人『中国思想』

☆mediopos3532  2024.7.19

堀江敏幸に「頑なに守るもの」というエッセイがある
(堀江敏幸『坂をみあげて』所収)
墨子に由来する「墨守」という言葉をめぐる話である

「墨守」という言葉は
「古い習慣や自説を固く守りつづけること。
融通がきかないこと」(『広辞苑』第六版)
つまり「頑迷固陋」を意味しているが

それは墨子の説いた
「非攻」(非戦論)や「兼愛」とは
随分と異なった意味で使われている

故事を原義で使うと誤解されることもあるだろうが
墨子が争いを止めるために
「侵略戦争に反対しつつ独自の武道集団を組織」したことが
「都合よく引用」され利用されるときには
その使われ方に注意深したほうがよさそうだ

墨子に関連しては
mediopos-2372(2021.5.15)で
半藤一利『墨子よみがえる 〝非戦〟への奮闘努力のために』
をとりあげたことがある

そのなかに
安野光雅と中村愿との座談『『史記』と日本人』(平凡社)において
両者とも「現代日本の墨子が存在するとすれば、
それは中村哲さんをおいて他にいない」と語られたとあるが

墨子の「非攻」篇(上)で
「小さな悪事を行うと、これを知って人は非難する。
ところが大きな悪事を行って他国を侵略すると、
非難しようともせず、かえってこれを誉め、
それこそ正義であるという。
これで正義と不義との区別をわきまえているといえようか」
と書かれていることがふまえられながら

中村哲はこう語っているという
「これまでのどんな戦争も『守るため』に始まった。」
「大義名分を押し立てて始める。それが現実なんです。」

さて堀江敏幸「頑なに守るもの」に話は戻るが
そこでは「ブレヒトが墨子の言葉をなぞり、ふくらませ、
独自に読み替えた断章や寓話のような散文で構成しようと考え」
死後になって編集版が刊行された『転換の書』があるといい

「あくまで墨子を読んだ
ブレヒトの創造と見なすべきだろう」としながらも
こんなテキストが紹介されている
(「メ・ティ」は「墨子」の音)

「メ・ティはいった————役に立たないという誇りが、
役に立つという誇りよりも多くみられる。
少数派に属するという誇りは、
役に立たないものに属するという誇りにほかならない。」

このことが「芸術になぞらえて説明され」ているとしながら
それについてこう敷衍されている

「人智を越えた災厄に見舞われたときには」
「個々の仕事の質は問われないままに、
芸術の無力といった言い方が盛んになされる。
周りの人間のみならず、
それに携わっている当時者たちも、同様の言葉が出てくる。
役に立たないことの誇りどころか、
罪の意識に似たものに苛まれてしまう」

そして堀江敏幸は(「墨守」のほんらいの意味に沿いながら)
こう問いかけている

「自分にできることはなんなのか、
できないことはなんなのかを見極めて、
絵画や音楽や文学の世界に足場を組み直そうとするのは、
けっして役に立たない愚行ではない。
融通のきかなさは、役に立たないこととちがうのである。
むしろそのような足場を
「非攻」のなかで貫き通すことにこそ価値があり、
墨守と呼ばれるべき姿勢ではないだろうか。」

この「墨守」は
mediopos3523(2024.7.10)でとりあげた
東畑開人の「贅沢な悩み」とも通じているように思われる

臨床心理学には「生存」と「実存」という「二柱の神」があり
一九九五年の阪神・淡路大震災以降
「いかに生き延びるか」という「生存」がクローズアップされ
それまで重要とされてきた「いかに生きるか」という「実存」が
「贅沢な悩み」とされるようになってきたというが

「融通のきかなさ」である「墨守」が
「役に立たない愚行」ではないように
「贅沢な悩み」とされる「実存」への働きかけも
けっして「無力」な営為なのではない

ひとはパンのみにて生きるのではないからである
パンをないがしろにはできないが
「実存」への「墨守」がなければ
ひとは「いかに生きるか」を見出すことができなくなる

■堀江敏幸「頑なに守るもの」
 (堀江敏幸『坂をみあげて』中央公論新社 2018/2)
■半藤一利『墨子よみがえる 〝非戦〟への奮闘努力のために』
 (平凡社ライブラリー 2021.5)
■『墨子』 (金谷治 訳/中公クラシックス 中央公論新社 2018/2)
■宇野哲人『中国思想』(講談社学術文庫 1980/5)

**(堀江敏幸「頑なに守るもの」より)

*「墨守するという言葉の定義には、どこか負のにおいがまとわりついている。『広辞苑』第六版には「古い習慣や自説を固く守りつづけること。融通がきかないこと」とあって、その前に「墨子がよく城を守った故事から」と括弧付きの補足があるものの、故事の細部と当時の文脈における異議を知らなければ、頑迷固陋とがおなじような意味合いで処理されてしまいかねない。

 故事のたぐいは使う人間の立場や文脈に応じて調整され、元のかたちから離れて使われることのほうが多いので、原義を云々するのはむしろ心が狭いような気もする。とはいえ、他国に軍隊を派遣するしないの議論がなされた際、時の責任者が墨子の他の一説を都合よく引用していた事例を思い浮かべればわかるように、侵略戦争に反対しつつ独自の武道集団を組織するという一見相容れない立場の思想家の仕事を全的に理解したうえで語るのならともかく、その時々の風向きにあわせて一部を利用することはやはり危険が伴う。」

*「全体の一部を引いてくる作業は、批評である。そこから全体にさかのぼり、引用の仕方がじつは恣意的なものであったと示すのもまた、批評の仕事のひとつだ。」

*「ブレヒトが墨子の言葉をなぞり、ふくらませ、独自に読み替えた断章や寓話のような散文で構成しようと考えていた『転換の書』は、生前、完成形での刊行に到らず、ようやく一九六五年になって編集版が世に出された。一九三〇年代から四〇年代にかけての、ブレヒト自身の亡命時代をふくむ出来事を素材にしているため、政治的・社会的な暗示が多い。日本語訳(石黒英雄・内藤猛訳)には、ブレヒトが参照した当時のドイツ語訳にちなんで、墨子の音である「メ・ティ」の一語が添えられている。(・・・)ブレヒトのメ・ティはやはり墨子その人ではなく、あくまで墨子を読んだブレヒトの創造と見なすべきだろう。

  メ・ティはいった————役に立たないという誇りが、役に立つという誇りよりも多くみられる。少数派に属するという誇りは、役に立たないものに属するという誇りにほかならない。(一三六番)

 逆説的な書き方である。誇りは言い訳と同義にもなりうるし、自分が役立たずであると公言する際に働くのは、それこそ役立たずのエリート主義でもあるのだから。じっさい、おなじ断章の、一行空きの後半には、それが芸術になぞらえて説明されている。

  音楽や絵画の巨匠たちは、だれにでもできないことをなしえたのを誇らしく感じたにちがいなかろう、と多くのひとはかんがえた。しかし、わたしが思うに、とメ・ティはいった————すぐれた巨匠たちは、人類がそのようなことをなしうることに誇りを抱いていたのである、と。

 一般的に言って、人智を越えた災厄に見舞われたときには、巨匠か否かはべつとして、また個々の仕事の質は問われないままに、芸術の無力といった言い方が盛んになされる。周りの人間のみならず、それに携わっている当時者たちも、同様の言葉が出てくる。役に立たないことの誇りどころか、罪の意識に似たものに苛まれてしまう。

 自分にできることはなんなのか、できないことはなんなのかを見極めて、絵画や音楽や文学の世界に足場を組み直そうとするのは、けっして役に立たない愚行ではない。融通のきかなさは、役に立たないこととちがうのである。むしろそのような足場を「非攻」のなかで貫き通すことにこそ価値があり、墨守と呼ばれるべき姿勢ではないだろうか。」

**(宇野哲人『中国思想』〜「第一編 題十二章 墨子/第一節 事績及び著書」より)

*「公輸般が楚のために雲梯(うんてい)を作って、宋を攻めようとした時、彼は自分の平和主義の立場から、その戦争を中止せしめんがため、昼夜兼行、楚の国に往って仮説的の戦闘をして、よく公輸般の攻撃を防ぎ、ついに楚王を説いて、宋の侵略を思い止まらしめたことがある。」

**(宇野哲人『中国思想』〜「第一編 題十二章 墨子/第五節 兼愛説」より)

*「墨子の議論の骨髄は兼愛説である。墨子は社会学者であって、社会人民の安寧幸福という根本目的から、この兼愛説を主張するに至ったのである。己を愛すると同じく他人を愛し、自分の親を愛すると同じように人の親を愛し、自他の間に何らの区別をつけぬのを兼愛という。この兼愛が行われたなら、世の中には決して争乱はないはずである。しかるに世人みな、己を愛して人を愛しないから、互いに相奪い相争い、世の中に擾乱が絶えない。」

「彼の兼愛説は、愛に親疎の別がないので、儒教とはよほど違っている。そこで孟子は墨子の学は父を無みする者であると評している。」

「墨子は論証の三法で兼愛を主張している。第一に天の志、鬼の志を考えてみよ。天は無論兼愛している。天はすべてのものを同様に愛している。(・・・)第二にこれを古の聖人の言行に考え、聖人の書物に考えても、昔の聖人堯・舜・禹・湯・文・武のごとき、いずれも万民を同様に愛している。第三に兼愛を天下に行ったならば、天下は必ずよく治まる。人を愛すること己のごとくであったら、盗賊もなく、争乱もなく、天下はよく治まる。」

**(宇野哲人『中国思想』〜「第一編 題十二章 墨子/第六節 非戦論」より)

*「墨子は、社会人民の幸福のために、非戦論を唱えている。」

「天も戦争を好まぬ。聖人も戦争は好まなかった。また国家の利益でもない。人民の幸福でもない。故に戦争はいけないものである。」

**(半藤一利『墨子よみがえる 〝非戦〟への奮闘努力のために』より)

*「およそ墨子のことを少々なりとも知っている人は、「非戦」の思想とともに、普遍的人類愛のことを説いた「兼愛」の二次を想いうかべるにちがいない。この独自の人類愛的な理念にもとづいてその上に、墨子は非戦論、平和論を強く主張するのである。」

*「『墨子』には恋愛論はまったくでてこない。これは孔子の『論語』と同じである。しかも墨子が相愛というときは、それは兼愛と同意である。そしてその兼愛とは----「もし天下をして相愛せしむれば、国と国と相攻めず、家と家と相乱さず、盗賊あることなく、君臣父子みな孝慈たらん、云々」という徹底したヒューマニズムとったらいいいもの。つまりは、ここにいう愛とは心情的な、個人的な愛情なんかではなく、他人のために努力する精神なのである。みずからのみを愛し、みずからのみを利する考え方を否定するために、墨子は人をひろく同等に愛しいつくしむ、兼愛をとなえるので、それはロシアの文豪レス・トルストイが感心した理念そのものなんであるという。」

*「墨子は説く----おのれを愛するように人を愛し、おのれの父を愛するように人の父を愛し、おのれの国を愛するように人の国を愛せよ、と。これに孟子はカッとなっていう。

「墨子は兼愛す。これ父を無(な)みするなり。父を無みし君を無みするは、これ禽獣なり」

 もう一つ----。

 「墨子は兼愛す。頂を摩して踵に放(いた)るも天下を利するのはこれを為す」

 孟子があとのほうでいわんとしているところは、墨子は天下の利のためには頭のてっぺんから足の先まですりつぶしても悔いはない、なんてバカげたことをいっておる、の意ならん。」

*「孟子からすれば、日月の如き無私無欲の精神で、すべての人をわけ隔てなく愛せよという、少なからず人気のある墨子の兼愛には、腹が立って仕方がなかったのであろう。

 墨子はいうのである。

「人を憎み人を害しようとするのは、兼愛の立場にあるのか、それとも別愛の立場にあるのかと問えば、必ずそれは別愛の立場からであると答えよう。相互に差別する〝別〟の立場こそ、天下の大害を生み出す根本なのではないか」」

*「それ(「別愛の立場」)は根本的に間違っている。その誤った立場をとるものは誰なるや、それは儒家なんである、と墨子はいいきる。しかもその上で墨子は、

 「別は非なり」

 ときびしく断言する。おまえたちがいっている「別愛」は、自分たちさえよければいい主義ではないか、と。孟子がカッカと怒り猛るのも無理はない。」

*「このあいだ、編集者のおろくにせっつかれて、現代日本でただ一人の仙人たる安野光雅画伯と、在野にありながら司馬遷の『史記』に関しては他の追随を許さない学識をもつ中村愿さんとの座談をまとめ『『史記』と日本人』(平凡社)を上梓した。そのとき安野さんも中村さんも異口同音に「現代日本の墨子が存在するとすれば、それは中村哲さんをおいて他にいない」と推輓した。」

*「中村さんは語っている。

 「私たちが作業している用水路と平行して、米軍の軍事道路をつくっているトルコの団体があります。それは兵隊に守られながら工事をしていますが、これも住民の攻撃対象になっています。トルコ人の誘拐・殺害が残念ながら後を絶たない」。しかし自分たちのほうではそんなことは起こらない。それでよりいっそう〝丸腰の強さ〟〝真の国際貢献とは何なのか〟を現地にいると痛感するのだと。

 その中村さんがさらにこう語っている。

 「(日本はいまの平和憲法をいじらず)その精神を生かす努力をすべきです。他国との関係を考えても、経済的なことを考えても、それが現実的でしょう」

 そしてまた、中村さんはつぎの言葉を信条としているという。

 「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」と。」

「墨子が「非攻」篇(上)でいっている言葉をもういっぺん試みに引いてみる。

 「小さな悪事を行うと、これを知って人は非難する。ところが大きな悪事を行って他国を侵略すると、非難しようともせず、かえってこれを誉め、それこそ正義であるという。これで正義と不義との区別をわきまえているといえようか」

 さらに、中村さんの言葉を引く。

 「これまでのどんな戦争も『守るため』に始まった。『自国を守るため』という名目で外に行って、非道なことをしているんです。悪いことを始めるときに本当のことを言って始めるわけじゃないんです。大義名分を押し立てて始める。それが現実なんです。」

 この中村さんを「現代日本の墨子」と讃えた安野・中村愿説に同感と叫びたくなっても不思議ではない。人として最後まで守るべきは何か、尊ぶべきは何かを求めて、〝日本の墨子〟は本物の墨子以上に奮闘努力している。」

**(半藤一利『墨子よみがえる』
   〜「[特別対談]中村哲さんに聞く/民主主義で人は幸せになれるのか?/聞き手・半藤一利」より)

*「中村/時代が変わっても、われわれがなぜ『史記』の時代の物語をいきいきと読むのか、墨子がなぜ偉いのか。春秋戦国だろうが、日本の戦国時代だろうが、ピラミッド状の封建社会の中でも人びとにはいろんな喜怒哀楽があり、さまざまに葛藤しながら暮らしてきた、それは宗教のスタイルも関係なく、われわれもちっとも変わりません。今、一番気に食わないのは、西洋的なデモクラシーを入れないと人間は幸せになれないという驕りです。ならば江戸時代の女性は皆不幸だったか、私はそういう気がしない。その時代の枠組みの中で、たとえば自分の気に入った気立てのいい男性と一緒にいられる幸せなどは、今と同じでしょう。たとえ男女平等の時代になっても、暴力をふるう男性と一緒になれば不幸です。そういうことは言わずに、経済や社会体制が変われば幸福が来るかのような風潮です。人を殺してまでその体制を入れる必要があるのか。これを言うと叩かれるので、あまり大声で言わないようにしています。

 半藤/先生はもう、叩かれてもまったく平気でおられればいい(笑)。

 中村/今日は楽しかったです。若い人や理論家の方と話していると、「先生はなぜ頑張れるのですか、原動力は何でしょう」という話ばかりで、結局、男は度胸、女は愛嬌でしょうというのを上手に言い換えるのはどうしたらいいかと(笑)。

 半藤/つまり、これが男の生きる道、です。

 中村/浪花節みたいですね(笑)。八十歳以上の方になると「頑張るねえ、しっかりやって下さい」、それだけで、理屈は問わない。日本人の心性が変わってきているのかなあと感じます。気障なことを言えば、「情けは人のためならず」です。そしてあえて、「女も度胸、男も愛嬌」でいきたいですね(笑)。」

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