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MONKEY vol. 32 〜柴田元幸「猿の仕事」・ブレイディみかこ「恋の帰結」/松岡正剛『情報の歴史』

☆mediopos3380  2024.2.18

雑誌「MONKEY」のvol. 32(SPRING 2024)
柴田元幸「猿の仕事」(「あとがき」のようなもの)に
ピンキーとキラーズ「恋の季節」の話がでてくる

その曲がヒットしたのは一九六八年
いまから五十六年前のこと

柴田元幸は太平洋戦争終結が七十九年前で
「恋の季節」が五十六年前であるという事実に
「どうしても慣れることができない」という

「「恋の季節」は「わりと最近の過去」で、
終戦は「大昔」」として感じられ

「現在からの恋の季節までの時間>>
恋の季節から太平洋戦争までの時間
という圧倒的な不等式」がそこにあり

「現在十四歳の人たちから見れば、
「恋の季節」は自分が生まれる四十二年前。
ということは一九五四年生まれの僕にとっての
一九一二年の出来事に等しい」と・・・・・・

時間感覚というのは
物理的な時間とはまったく別様に流れ

その人の生まれた時代によって
同じ時代でも現在と過去の隔たりの感覚は
ずいぶんと異なっている

時代がテーマとなるときにはよく
『情報の歴史21』の年表を参照することも多いのだが
(1990年にNTT出版より刊行され1996年に増補版
 さらに2021年に再増補版が刊行されている)

たしかに一九一二年に書かれてあることは「大昔」で
一九六八年も昔ではあるものの「大昔」という感じはしない
とはいえそれはぼくが一九五八年生まれだからだろう
「恋の季節」がヒットしたときはすでに十歳

比較的最近のことだと感じていても
たとえば携帯電話もPCももちろんスマホもなく
音楽もレコードやカセットテープで聞く時代もまた
「現在十四歳の人たちから見れば」
生まれる前の時代でそれなりに「大昔」かもしれない

柴田元幸は
「めまいがしてくるが、もちろん現在十四歳の人にとっては
「それがどうした」という話であるにちがいない。
ちがいないが、いずれはあなたも同様のめまいに襲われますよ、
とだけ言っておきたい。」と付け加えているが

世の中の変化とくに技術的な面でのそれというのは
数十年前までとここ二〇年程とでは
アナログからデジタルへの変化という意味でも
生活上においてもずいぶん大きな違いがあった
しかもここ数年前(コロナ前)と現在とでは
ずいぶん世の中の「空気」も変わってきていると感じる

そのように時間の流れ方は
生まれた時代によって変わり
個人によってもずいぶんと変わってくる

しかしできれば視点を複数持ちそれを変えることで
そこにどんな時間感覚が生まれるのかといった
想像力を失わないでいられればと思う

ちなみに柴田元幸の話にでてくる
ピンキーとキラーズ「恋の季節」は
「MONKEY」に掲載されている
ブレイディみかこの小説「恋の帰結」に
その曲がでてきていることからの連想

「恋の帰結」がどんな話なのか
引用で少しだけさわりのところを紹介してみた
「恋の季節」ではなくなぜ「恋の帰結」なのか・・・

■MONKEY vol. 32 特集:いきものたち
○柴田元幸「猿の仕事」
○ブレイディみかこ(絵ー長崎訓子)
 No Music, No Stories「恋の帰結」
■松岡正剛 (監修), 編集工学研究所&イシス編集学校 (構成)
 『情報の歴史21: 象形文字から仮想現実まで』
 (編集工学研究所 2021/4)

*(「MONKEY vol. 32」〜柴田元幸「猿の仕事」より)

「ピンキーとキラーズ「恋の季節」。一九六八年七月に発売されて、ものすごくヒットした。当然僕は覚えている。当時十四歳。中学二年生。べつに好きだったわけじゃないが、とにかくテレビをつければ山高帽五人組がどこかのチャンネルに出ていて、街を歩いてもどこかの店からメロディが流れてくるという感じだったのである。五十六年前の話。

「恋の季節」が五十六年前で、太平洋戦争終結が七十九年前の話だという事実に、僕はどうしても慣れることができない。僕にしてみれば「恋の季節」は「わりと最近の過去」で、終戦は「大昔」なのである。なのに、現在からの恋の季節までの時間>>恋の季節から太平洋戦争までの時間という圧倒的な不等式。

 現在十四歳の人たちから見れば、「恋の季節」は自分が生まれる四十二年前。ということは一九五四年生まれの僕にとっての一九一二年の出来事に等しい。一九一二年! 前半はまだ明治はないか。元旦に孫文が中華民国成立を宣言して始まった年。スコット隊が南極点に到達し白瀬隊は到達を断念した(スコット隊はやがて全滅)。タイタニックが沈没した。漱石が『彼岸過迄』を出版し・・・・・・

 めまいがしてくるが、もちろん現在十四歳の人にとっては「それがどうした」という話であるにちがいない。ちがいないが、いずれはあなたも同様のめまいに襲われますよ、とだけ言っておきたい。

 そしてもちろんこれは、ブレイディみかこさんの「恋の帰結」とはなんの関係もない話。関係ないとわかっていても。この時間不等式の納得しがたさ、どうしても言っておきたかったのです。すいません・・・・・・。」

*(「MONKEY vol. 32」〜ブレイディみかこ「恋の帰結」より)

「この映画(『ブライトン・ロック』)はピンキーという不良少年とローズという純粋な少女が主人公で、少年は殺人を犯してしまい、その罪を隠蔽するためにローズを利用します。復讐のために人を殺し、口封じのためにさらなる殺人を犯そうとするピンキーとその一味を描いた物語は、虚無的で反抗的なティーンの世界を描いたノワール作品で、いかにもロックバンドが歌詞に使いそうです。」

「しばらく宿題をやっていると、日が暮れてから大家さんがやってきました。日本人の友達がくれたカセットテープを見つけたというのです。僕はプレーヤーを持っていないので、大家さんの家に聞きにいくことにしました。

 ずいぶん年季が入っているように見える大きなラジカセの、ポケットみたいな部分に大家さんがカセットテープを入れると、ミシミシとテープが回転する音がしました。イントロが始まると、それは大家さんの「でゅっでゅる、でゅでゅる」という軽やかな表現からは想像もつかない、重厚なギターサウンドでした。思っていた曲とは全然違います。

 演歌みたいな、歌いあげるタイプの張りのある女声が入ってきました。耳を傾けて聞いていると、「海」
とか「船」とかいう言葉を歌っていました。その部分はブライトンの浜辺と関係あると言えば家そうですが、浜辺なんてどこにでもあります。歌詞の断片を聞き逃さないように僕が耳を傾けていると、大家さんが旧に大きな声で

「コーイノキケツヨー」

 と歌いました。カセットテープの女声は「恋の季節よ」と歌っているのですが、僕は何も言わずにナガシマした。

 スマホを出して音楽検索アプリを使ってみようと思いました。大家さんの「でゅっでゅる、でゅでゅる」では検索できませんでしたが、音源を聴かせれば曲名がわかるはずです。アプリをタップすると、鎖のつなぎ目のようなマークがスクリーンの真ん中でくるくると回転し始め、スクリーンに曲名が現れました。

「わかりました! わかりましたよ」

 僕は思わず大きな声で叫んでいました。音楽検索アプリに示された曲名は「恋の季節」でした。が、バンド名が「ピンキーとキラーズ」だったからです。ピンキーと殺し屋たち。それはまるで『ブライトン・ロック』の主人公の名前と彼の仲間たちのことではありませんか。

 きっと大家さんの友達はそのことを言っていたのではないかと大家さんに話しました。

 さらにピンキーとキラーズについて検索してみると、バンドのメンバーたちが『ブライトン・ロック』のピンキーやギャングたちみたいな黒いスーツに身を包んで写っている画像がいくつも上がってきました。その画像たちを見せると、

「ああ、・・・・・・確かに。確かに俺の友達もそういうことを言っていたような気がするな」

 と大家さんがしみじみとした口調で言いました。てっきり大家さんが若者だって1980年代の曲かと思いましたが、それよりずっと古いものだということもわかりました。

「どうやってこのテープを手に入れたんですか?」

 そう尋ねると、大家さんは答えました。

「日本人の友達が、日本に帰った後で、俺に送ってきたんだ」

「1960年代に日本で流行した曲みたいです」

「彼女は60年代の音楽が好きだったからな。ビートルズとか、キンクスとか」

 大家さんが「日本人の友達」を初めて「彼女」と呼んだことを僕は聞き逃しませんでした。

「ところで、この曲、なんてタイトルなんだ?」

「恋の季節」

「おお、コイノキケツ」

「違います。コイノキセツ。キ・セ・ツ」

「キ・テ・ツ」

「ノー、キ・セ・ツです」

 正しい発音を伝えるのに手こずっている間にまたサビの部分がやってきて、大家さんが大きな声で歌いました。

「コーイノキケツヨー」

 もう恋の帰結でもいいのではないかと思いました。」


◎ピンキーとキラーズ「恋の季節」(1968年)
[ Koi no kisetsu ] 1968 Pinky & Killers


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