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スーザン・バック=モース『西暦一年』

☆mediopos3562(2024.8.20)

あらためて説明するまでもないだろうが
「西暦」はイエスの生まれた年から始まってはいない
それでも西暦はキリスト教の西欧のために
設けられた暦のシステムである

AD(Anno Domini キリスト起源)が
流行するようになったのは
八世紀から一一世紀になってからのこと

西暦とされている最初の五〇〇年間は
最初の世紀とされる一〇〇年を
一世紀と呼んだキリスト教徒はいなかった

AD(CE(Common Era共通起源)とも表記されるようだが)
の暦が生まれるにあたっては
ムハンマドと信者たちがメッカからメディナへ移住した
「ヒジュラ」(六二二)からの年代測定が行われた影響から
それまで使われていたローマやギリシアの文字による
煩雑な数体系が放棄され
ヒンドゥー・アラブ世界の十進法を採用されるようになった

なにか隠された意味のようなものがあるのかもしれないが
ふつうに考えると西暦一年を起点に時間を分割する
というのは「無意味な便利さにすぎない」
(松岡正剛の『情報の歴史』のように
世界で同時代に起こっていることを一覧するのは便利だが)

本書スーザン・バック モース『西暦一年』は
「近代的なもののあらゆるスキーマ(概念)
時間、空間、概念の差別、集団的帰属意識のカテゴリー」を
規定している「疑わしい始まり」から
共通の基盤としての西暦一年を取り戻すために
過去を解放するための試みである

そのためにバック=モースは
一世紀の半ばに活躍し『ユダヤ戦記』を書いた
フラウィウス・ヨセフス
世紀の初頭を生きて七十人訳聖書に評釈を施した
新プラトン派の哲学者であるアレクサンドリアのフィロン
そして新約聖書の「黙示録」を書いたパトモス島のヨハネ
という三人をとりあげることで

現在キリスト教による近代的なスキーマから解放し
それぞれの本来の姿を取り戻しながら
さらに現代にまで至るさまざまなものとのつながり
「コンステレーション」(布置・星座)を描いてみせる

バック=モースは本書の最後にこう記している

「近代性そのものから脱落すること。」

「哲学的な歴史とは、過去を固定している
拘束力のある秩序を元に戻すことだ。」
「任務は、過去を封じ込めようとする概念から
過去を解放することであり、
近代のコンテンツとしての歴史の
構造化されたスキーマを中断することである。」
(「任務」(Aufgabe)という言葉はベンヤミンから)

私たちは近代的なスキーマをはじめとして
さまざな「概念」「観念」にとらわれて生き
そのなかでしかみずからを位置づけられず
過去の歴史で起こったさまざまなものとの
創造的な「コンステレーション」を
描けなくなっているのではないか

まだキリスト歴などというもののなかった
「西暦一年」を見直してみることをきっかけに
さまざまなことがらを問い直してみることで
じぶんが知らずにとらわれているものに気づき
その思い込みから外れることで
それらのあらたな姿や関係を発見できますように

■スーザン・バック=モース(森夏樹訳)『西暦一年』(青土社 2021/8)
■松岡正剛監修・編集工学研究所&イシス編集学校構成
『情報の歴史』(編集工学研究所 2021/4)

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜「序」より)

*「『西暦一年』は、知識の再配置をめざすプロジェクトである。焦点が当てられるのは一世紀だ。近代的なもののあらゆるスキーマ(概念)————時間、空間、概念の差別、集団的帰属意識のカテゴリー————が、この疑わしい始まり(西暦一年)の理解というテストを受けるのだが、いずれも無傷で生き残ることはできない。」

「デジタル学習やデータバンクの見出しの下で、静かな革命が進行中だ。学問が知識の構造、つまり人間の経験の記録を分割し、秩序づけている概念的なフレームそのものを変えようとしている。一世紀————この時点に焦点を当てることが、きわめて重要となるのはそのためである————に関しては、歴史的物語のもっとも基本的な三つのカテゴリー————ヘレニズム、キリスト教、ユダヤ教————が物的な証拠を歪めている。宗教と政治、科学と美学、アテネとエルサレム、東洋と西洋の間の概念的な区別は、一世紀の世界では意味をなさない。」

「われわれの主な情報源は一世紀の作家三人で、彼らはめったにグループ化されることがないし、実際に語られる通常の物語に含まれることもまずない。三人とは、ユダヤ戦争の歴史家フラウィウス・ヨセフス、新プラトン派の哲学者アレクサンドリアのフィロン、そしてキリスト教聖書(新約聖書)の最後の書である「黙示録」(アポカリプス)の著者、パトモスのヨハネだ。(・・・)彼ら自身の言葉を真剣に受け止めてみると、それは、われわれが知っていると思っていたこととは、大きく矛盾する驚くべき方向へと導いてくれ、現代の認識論的な先入観を根本的にくつがえす鍵を提供してくれり。その鍵によって、時間的に分散していた登場人物たちが、歴史の再編成の渦の中に引き込まれることで、豊富な相互接続が可能になる。」

*「1章では、われわれの時代の第二の自然となった時間と空間の現代モデルに挑戦することから、認識論批判を始める。そしてそれはわれわれに、歴史の資料としての生命が一過性のものであるならば、歴史の概念的な順序付けもまた同様であることを思い起こさせる。

 2章では、フラウィウス・ヨセフスのユダヤ戦争(紀元前六六ー七〇)の記述に沿って、一世紀の半ばから歴史的調査を開始する。この出来事は、ローマの政治権力の軌跡(帝国の継承物語と見なされている)を分割する。

 3章では、アウグストゥス・カエサルと同時代のアレクサンドリアのフィロンにまで時間を溯る。したがって彼は、われわれが「最初の世紀」と呼ぶ原点を先触れした世代の一人だ。その焦点は別の起源————宇宙論的な意味での時間の始まりである「創世記」————についてのフィロンの解説にあり、フィロンは美学という哲学的ま科学を通してそれを解釈している。

 4章では、世紀末の九六年にパトモスのヨハネが書いた「黙示録」について考察する。ローマ帝国の秩序とその自己宣言された永遠の真実に対する痛烈な批判をすることで、ヨハネは、今日の黙示録で定義されているように、その物理的な終わりではなく、創造の成就を思い描いた。」

*「古代ローマ人は、ここで考えられる時間のスパンを表す言葉を持っていた————「サエクルム」(saeculum)。それは、都市の建設のような出来事から始まって、その時点で生きていた人々がすべて死んだとき(ほぼ一〇〇年)に終わる集団の、生きた記憶を意味している。『西暦一年』の構成は、このサエクルムの中間、始まり、終わりを経て、生きた時間と時間に関する考察が類推的に調整される。そうして始めて(5章)、過去と現在の新たなコンステレーション(布置。もとの意味は星座)を構築することが可能となり、そこでは資料が現代性の秩序の制約から解放され、過去との変容した関係という哲学的な可能性が示される。」

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜「1 時の計測、空間の図示」より)

*「「一世紀」————————すでにわれわれは問題を抱えている。これは無邪気な命名法ではない。時間の所有権を主張している。誰のための一世紀だったのか? おそらくそれはキリスト教の西欧だ。それでもそれは規定の事実ではなかった。少なくとも五〇〇年間、これを一世紀と呼んだキリスト教徒はいなかったわけだから。西欧の年代測定法(Anno Domini キリスト起源)が流行するようになったのは八世紀から一一世紀になってからのことで、これによって、最終的に年代学者たちは、聖書で定められた六〇〇〇年の時間の中で、自分たちの位置を常に修正する必要がなくなった。

 途中で計算間違いをしたのか、イエスでさえも、西暦一年の誕生日より七年も早く、あるいは六年もあとに生まれたようだ。それに、当時生きていたすべての人たちの中で、彼だけが自分自身の時間について、こんな主張を考えたなどありえないことだ。」漠然とした西暦一年はあるにはあった。しかし、ローマ皇帝の統治年数を数える計算方法として、この期間中にたくさんの一年があった。(われわれが言う)一世紀の一年目は、初代ローマ皇帝カエサル・アウグストゥス(誕生時の名前はオクタウィウス)の統治二八年目に当たる。」

*「イエスの誕生からの年代測定というものは、どのようにして生まれたのだろうか?

 イスラム教徒によるヒジュラ(六二二)からの年代測定は、この出来事〔ムハンマドと信者たちがメッカからメディナへ移住したことを指す。聖遷あるいは聖行〕が起きてから数十年以内に行われた。これはキリスト教徒たちがまだ、聖書の用語で時間を考えていた時期だった。実は、ガース・ファウデンが指摘するように、ヒジュラ年代測定の「最初のコンセプト」は、「キリスト教の欠点を認識することと少なからず関係があった」。それに対し、イスラム教の優雅な解決策に注目したキリスト教徒は、代替案としての西暦年代測定の提案を受け入れるようになった。」

「この本は、主導権を握る西洋の年代測定のモードを支持する一方で、普遍的なキリスト教のAD(
Anno Domini 主の年)という主張を、学者によって好まれる、より控え目めCE(Common Era共通起源)モードによって和らげる。そしてわれわれは、世界が預かった、合理的な年表制度を発明したイスラム教への恩義にうなずきながら、また、CEの年代測定がヒンドゥー・アラブ世界の十進法を採用しているという事実に感謝をする(その普及により中世の西洋は、ローマやギリシアの文字による煩雑な数体系を放棄することができた)。さらに世界には、他にも複数の土着の年代測定システムが存在したことを十分に認識して、われわれは、どんなに抽象的に考えられたとしても、純粋な年代測定など存在しないことを確認する。」

*「われわれは、現代的な意味での一世紀の世界の地図を持っていない。」

*「アンキュラ神殿の壁に刻まれた『レス・ゲスタエ』は二カ国語で書かれていた。オリジナルのラテン語テクストの隣には、キリし顎の忠実な翻訳がある。この一世紀の言語がコイネーと呼ばれ、ギリシア語では「共通の」を意味する言葉である。それはアテネの哲学(プラトンやアリストテレス)のアッティカ方言でも、ホメロス(『イリアス』や『オデュッセイア』)のイオニア方言でもなく、今では交易ネットワークを通じて東方に広まったギリシア語で、アレクサンドロス大王の征服に先行して広がっていたために、それによって征服が可能になったと考えられている。アウグストゥスの時代には、「共通言語」であるコイネーは。アレクサンドロス大王以後の世界の共通語となっていた。」

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜「2 時の中の翻訳————フラウィウス・ヨセフスについて」より)

*「フラウィウス・ヨセフス(本名はヨセフ・ベン・マタティアフ。三七年生)は。ユダヤ戦争の歴史を記した『ユダヤ戦記』(Bellum Judaicum)の著書として知られる。彼がこの戦争に参加したのは、最初にガリラヤの反乱軍側の将軍としてである。そして捉えられたあとは、反乱を鎮めるためにネロによって派遣されたウェスパシアヌスの下で仕えた。ヨセフスの詳細な歴史には。エルサレム包囲、第二神殿の破壊、マサダの最終決戦、そして新たに即位した皇帝ウェスパシアヌスの息子ティトゥスのローマへの凱旋などの出来事が記されている。」

「この戦争の参加者で観察者でもあったヨセフスは、六六年から六七年の出来事に関する比類のない情報源となった。実際、彼の他には誰もいない。」

*「ヘーゲルは、歴史を彼の理性の哲学の中心に据え、歴史の経過が後者の実現に収斂するようにした。それでもm彼が書いた当時の歴史的知識はまだ揺籃期にあった。ヘーゲルの考えに触発されて、歴史の執筆は過去二世紀にわたって盛んになり、彼自身の概念的・哲学的なツールの不備をますます明らかにした。それは古代に適用された場合にはとくに問題となる。われわれが「政治」と呼ぶ限られた領域は、古代のポリスにおける生活の頂点ではなかった。ジョサイア・オバーは明確に区別している。「politico-polis」(政治のポリス)は、より包括的な「polis-as-society」(社会としてのポリス)の一部である。この二つは「politeia」(ポリティア、政治共同体)で切っても切れない関係になってい言葉だ。」

「古代ギリシア人にとって、イデオロギーは単なる上部構造的な現象ではなかった。神の法においては、慣習としてのノモスは、他の都市のノモイとは異なっていても、各都市においては「当然のこと」であり、ポリス生活の根幹をなすものであった。」

「ヨセフスもトゥキュディデスも、反乱で正義を主張する者に対して、権力の現状を支持しているように読まれてきた。そのようは保守的な読み方はあまりにも単純である。むしろ、集団生活の根本的な曖昧さは、誰が勝つかという単純主義的な根拠に基づいて、主人公を英雄か悪役かに分けることを拒否する「スタシス」の力学の中で理解されている。(・・・)今日の民主主義国家は、ヘーゲル主義的な解釈を放棄することによって、ソポクレスの戯曲が明らかにする、社会的なスタシスの危険性をよりよく認識することができる。」

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜「3 歴史と形而上学————アレクサンドリアのフィロンについて」より)

*「アレクサンドリアのフィロン(紀元前二〇/一〇頃ー紀元後四一/五〇)は、コイネーを話して、ユダヤ教師を信仰し、ヘレニズムを学んだ哲学者で、(イエスの存命中に)エルサレムを訪れた。彼はユダヤ王アグリッパ二世の友人であり、債権者でもあり、王の妹(ローマ皇帝ティトゥスの愛人)ベレニケと婚姻関係にあり〔フィロンの甥がベレニケと結婚している〕、アレクサンドリアのユダヤ人の代表団を率いて、ローマのガイウス・カリグラ皇帝に謁見した。このようなアイデンティティの変遷は、彼の一族の富と影響力を持つ人物としては異例のことだった。フィロンのユダヤ教への傾倒は非難されるべきものではないと考えられている。彼の哲学の知識は、プラトン主義、ストア主義、ピュタゴラス主義、エジプト哲学など多岐にわたっており、その知識は膨大なものだった。ライフワークはセプトゥアギンタ翻訳の注釈である。彼の注釈書は、一世紀の知的世界のイメージを驚くほど鮮明に見せている。」

*「近代という時差を超えてフィロンの統合を考察することは、継承されてきた知識のパターンに挑戦することにんる。啓蒙/ロマン主義、経験主義/理論、科学/人文科学、理性/美学といった対立するスキーマとは対照的に、フィロンはわれわれに類推能力を求めている。具体的には、プラトンとモーセを一緒に考えるころ、そして彼らを通して、神学と理性、理論と実践、美と法をともに考えることだ。

 フィロンは、われわれがそれを受け入れることができるならば、異なる哲学的経験をわれわれに与えてくれる。そのためには、内容ではなく、哲学的な下降線を正当化するために課された歴史的な占有を括弧で括る必要がある。フィロンを理解するために必要な思考は、アイデンティティや他者への共感、あるいは差異を普遍化する概念の下に収めることではない。前提として、人間の営みとしての哲学は本質的に共産主義的であり、その真理の主張には翻訳が必要である。思想の所有権を部分的な人間に割り当てることは、言葉の上で矛盾している。」

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜「4 歴史とアイデンティティ————パトモスのヨハネについて」より)

*「黙示録には著者の名前が記されている。その著者名は「私、ヨハネ・・・・・・」で、執筆場所はローマ帝国のアジア州(現在のトルコ西部)の沿岸にある島、パトモスである。「ヨハネの福音書」を書いた人物と勘違いされているが、今日では、波ともすのヨハネという名前は、彼の記述の中で唯一議論の余地のないものだろう。キリスト教ヨーロッパの歴史の大半において、彼の本は、イエスの死後まもなく、おそらくパウロの説教と同時期に書かれ、近未来、とくにユダヤ戦争におけるエルサレム神殿の破壊(七〇)を予期して記されたものと推定されてきた。しかし、一九九〇年代以降も学者たちは、黙示録の登場時期を、この本が言及しているとされる出来事の後に再調整している。この事実は、本書を解釈する上で非常に重要だ。つまり、歴史なテクストの中にある。黙示録は、未来を予言するものではなく、最近の過去を予言的に説明するものだった。ヨハネの幻影が当時の歴史的現実から切り離されると、その意味を硬直化させ、批評としての力を誇張的な次元で持つことになる。現在では、起源九六年には書かれていたと推定されているが、このテキストはわれわれが関心を持っている世紀を反映していて、書かれた世界の現実を明らかにしている。歴史的に具体的なこの啓示は、これまでの歴史の概念では閉ざされていた方向に開かれ、もはや西洋のキリスト教に限定された物語ではなく、東洋の他の国々をも包含する物語となっていて、文明の衝突から、文明の重なりと相互接続のネットワークの歴史へとわれわれを導いてくれる。」

*「ヨハネのテクストは、彼を取り囲む一過性の歴史的現実を含んでいる。展開された時代や場所が刹那的であるにもかかわらず、その時間的な権威を維持するために、後天的な意味がその解釈を、「排除こそが単一性への道である」という矛盾へとねじ曲げている。実際、超越性を主張するテクストは、時間の経過とともにそのような歪曲を受けやすくなる。超越した永遠ものを語るとき、言葉は、それが名づける現実の変化に逆らって、真実であり続けようと努力しなければならないという哲学的な問題がある。そして、歴史記述は、真実を歴史の展開として独占するのではなく、このような観点から、その固有かつ必然的な限界を認めなければならない。しかし、もしわれわれが、言葉で翻訳することにこだわり、テクストの中に吸収された歴史を明らかにするなら、また、とくに「ユダヤ教」や「キリスト教」の評価基準を押し付ける誘惑に抵抗するのなら、あるいは、近世ヨーロッパの方言による翻訳戦略が、その一過性の意味を利用するのを許すのなら、哲学的な効果は、われわれの主張する排他的なアイデンティティからの認識論的な解放となり得るのである。」

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜「5 コンステレーション」より)

*「この章では、従来の順序付けから解放された歴史が可能にする、過去と現在の瞬間のつながりを詳しく説明する。この「コンステレーション」という言葉は、文字通りの意味で使われている。それh、異質な歴史的断片の間につながりの線を引き、われわれ自身の関心事として認識できるイメージが見えるようにする方法だ。試みの配置のように、コンステレーションは、それを構築するために必要な認識論的フレームやカテゴリーを知っていることから始まるのではない。それらは、各部分の動き、重なり合うつながり、他の場所からの追加に対して開かれている。ヨハネのビジョンの特殊性は、キリスト教や西洋の影響を受けた近代の文化の中で、すでに固定されずに浮かんでいる断片だ。ある人にとっては比喩的な定番であり、他の人にとっては漠然とした馴染みのあるものだ。これらの「ある人」と「他の人」は、異なる発声法のプラットフォーム上で話し、しばしばたがいの信頼を失っている。ここで描かれている接続線は、視点の違いを超えた読み安やすさを目指している。

 過去と現在の特殊性から構築された、歴史的なイメージとしてのコンステレーションは、それによって提起され哲学的な問題にアプローチするための異なる視点を可視化することを目的としている。コンステレーションに含まれる哲学的な考察は神学ではない。しかし、それあは経験的な記述を超えて、思考の再編成として軸を少しだけずらすことを目的としている。おそらくそれは、昔と今の時間の広がりを超えて生成されたエネルギーによって、現在の意識を変えるのに十分であるかもしれない。」

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜「5 コンステレーション/Ⅰ歴史的特殊性と哲学的普遍性」より)

*「アレクサンドリアのフィロンは、メシアを期待することなく、神が創造した世界を受け入れることができるとしている。一世紀初頭の数十年間に書いたフィロンは、アウグストゥスの統治に期待を寄せていた。神(theos)という称号を与えられたことも、彼にとっては、優れた徳を発揮した皇帝に相応しくないとは思えなかった。」

*「ヨセフスもまた、ダニエル書で言及されている、帝国の勃興と崩壊の繰り返しを含む、歴史的出来事の周期的な時間の秩序(クロノス)を受け入れていた。ローマの支配は、少なくとも彼の時代においては、神の意志と一致していたのでる。彼はメシア的な文章を知っており、それに対して警告を発している。」

*「世紀末に書かれ、おそらく人生の終わりに書いたヨハネは、メシアの時代と帝国の時代の間のギャップを経験しており、それゆえカイロスとクロノスの間の収束のはかなさを感じさせる。彼の文章は、三〇分、一ヶ月、一〇〇〇年といった時間的次元の距離の増減を記録しているが、包括的な秩序や首尾一貫した順序はない。それは、「時が迫っているから」という希望で始まり。「そうだ、私はすぐに来る」という約束で終わる。テクストの中では、時間が拡大したり縮小したり、遅れたり早く来たりする。しかし、今のところ、メシアの時間は保留されていて、ヨハネはこう書いている。

 そして、彼が第七の封印を解いたとき、天上には三〇分ほどの・・・・・・沈黙があった。」

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜「5 コンステレーション/Ⅳ歴史と真実」より)

*「哲学的な歴史とは、過去を固定している拘束力のある秩序を元に戻すことだ。歴史的な釈義の哲学的な弧は、まさにここで(野外で)中ぶらりんの状態となり、現在と不完全に一致した過去に触れると、動物の跳躍を要求する。虎の跳躍である。任務は、過去を封じ込めようとする概念から過去を解放することであり、近代のコンテンツとしての歴史の構造化されたスキーマを中断することである。
 
 近代性そのものから脱落すること。」

**(スーザン・バック モース『西暦一年』〜森夏樹「訳者あとがき」より)

*「近代の作り上げた概念(スキーマ)が再考を迫られている。われわれが当たり前と思っているヘレニズムやキリスト教やユダヤ教などの概念は、その起源を一世紀に持つと言われていたが、じつのところ一世紀では、それぞれの境界線は曖昧模糊としていて区別化がむつかしい。宗教と政治、東洋と西洋といった概念も一世紀では意味をなさず、時間や空間といった近代のあらゆる概念もそのはじまりを一世紀に求めることはできない。それこそ、本書が一世紀に焦点を当てたゆえんだ。」

*「そもそも一世紀とは誰のためのものなのか? それはキリスト教の西欧のものだった。それも規定の事実ではない。少なくとも五〇〇年の間、これを一世紀と呼んだキリスト教徒はいなかった。西暦の年代測定法(キリスト起源)が流行するようになったのは八世紀から一一世紀のことで、これによって人々は、聖書で定められた六〇〇〇年の時間の中で、自分たちの位置を常に修正する必要がなくなった。(・・・)

 滑稽なのは、途中で計算まちがいをしたのか、イエスでさえも西暦一年より七年も早く生まれたとか。あるいは六年もあとに生まれたとか諸説が紛々。イエスが西暦一年に生まれたという確証はまったくない。以降、世界は西暦年代法を採用している。」

*「この「占有」(appropriation)という言葉がキーワードだ。キリスト教という磁力によってすべてが引き寄せられ、そのストーリーの中に位置づけられてしまう。この磁気圏から抜け出すことはむつかしい。もちろん、磁気圏を作り出すのはキリスト教にかぎったことではない。占有は以後も、ヘーゲルの歴史哲学でも興ったことだし、近代がまた強い磁場を作り、あらゆる概念を占有化した。この占有によってがんじがらめになった概念を解き放そうというのが、本書のプロジェクトの要点である。」

*「一世紀を論ずるに当たって、バック=モースが取り上げた作家は三人。一人は一世紀の半ばに活躍したフラウィウス・ヨセフス。彼が書いた『ユダヤ戦記』が詳細に検討される。二人目は紀元前から紀元後にかけて、世紀の初頭を生き、セプトゥアギンタ翻訳(七十人訳聖書)に評釈を施した新プラトン派の哲学者、アレクサンドリアのフィロンだ。そして三人目は新約聖書の末尾をかざる「黙示録」を書いたパトモス島のヨハネである。」

「三人に共通しているのはユダヤ人であること、そしてディアスポラ(離散して故郷のパレスチナ以外の土地に住むユダヤ人)であることだった。」

*「バック=モースが本書で行ったことは、キリスト教の磁気圏に取り込まれた三人を、その圏内から解放して、本来の姿を取り戻して見せること、そして、自由の身になった三人が、さまざまなものとのつながりを示す姿を描いてみせることだった。」

*「ここで第二の重要なキーワード、「コンステレーション」(constellation 布置)が登場する。本来「星座」を意味する言葉だったが、そこから転じて、「点と線で連なっているもの」を表す語として使われた。それは、異質な歴史的断片の間につながりの線を引き、われわれ自身の関心事として認識できるイメージを、そこで見て取れるようにする方法だ。引力圏の軌道から解き放たれたものが、それぞれ別個に他のものと新しいつながりを持つことを意味する。」

「アレクサンドリアのフィロンは、ピュタゴラスの音楽美学につながり、現代へと飛翔すると「音楽は『宇宙の反映』だ」というジョン・コルトレーンへと触れ合う。そして「自分が音楽を作るのではなく、自分は音楽が演奏されるのを許容するだけだ」と説明するキース・ジャレットへ、さらには「そもそも音楽はすべて、外にある。太古の昔から音楽は存在していた。あなたがすべきことは、その一部を手に入れようとすることだ。どんなに優れていても、ほんの少ししか手にはいらないのだから」とつぶやくディジー・ガレスビーへと呼応して意想外の展開を現出させる。」

「ヨセフスの『ユダヤ戦記』に関する論議では、「スタシス」(内戦)という言葉をめぐって、話はソポクレスの『アンティゴネ』へと飛び、さらに、一九四四年二月にパリで初演されたジャン・アヌイの戯曲『アンティゴーヌ』へと向かう。」

*「近代は、差異を説明する方法が近代自身の発明であるために、定着した差異を超越する力を持っていない。ポストモダン、ポルトコロニアル、ポストセキュラーといった近年の理論的な取り組みの名称は、それ自体が、直近の過去を置き去りにしようとする試みの不備を示していると著者はいう。さらに続けて、ヴァルター・ベンヤミンが使った任務(Aufgabe)の意味を、過去を固定している拘束力のある秩序を元に戻すこと、そして、過去を封じ込めようとする概念から過去を解放することであり、それは構造化された歴史のスキーマを中断すること——つまりは近代性そのものから脱落することだ、とバック=モースは結論づけている。」

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