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藤井一至『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』

☆mediopos3721(2025.1.26.)

私たち人間に
「生命」と「土」を作ることはできない

物理学者のファインマンは
「作れないということは、
それを理解できているとはいえない」
という言葉を残しているが

「生命」はもちろんのこと
「土」を作ることができないということは
「土」を理解できてはいないということだ

「土」がなければ
この地球に生命が誕生しなかった可能性もあるという

小学校のテストにこんな問題があるという

 植物を育てるのに必要なのは、太陽光と水と「?」である。

そしてその正解(?に入るもの)は
「土」ではなく「肥料」なのだそうだ

植物工場の水耕栽培では
たしかにそこに「土」はないのだが
こうした問題がつくられてしまうと
「土」の存在とその重要性を理解する道が
閉ざされはしないだろうか

「土」を「肥料」に代替させることは
「からだ」という「大地」をなくし
「栄養摂取」さえすればいいというようなものだ

「土」は「生命誕生や私たちヒトをも含む生命進化、
今日の環境問題の根っこにまで大きく関わる
46億年の壮大な物語を教えてくれる」

そして人類は「土」なしには繁栄していなかったはずで
しかも人類は「土」なしでは
これからも生存していくことができなくなる

人間には土を作ることができず
自然の営みのなかで
1センチメートルの土がつくられるには
100〜1000年もかかる

そして現在「15秒ごとにサッカーコート1枚分の畑が
土壌劣化(塩類集積)で失われている」という

藤井一至は『土と生命の46億年史』で
「46億年の地球史を追体験し、豊かな土と生命、
文明を生み出したレシピを復元」することを試みながら

「人間に土を作ることはできるのか」
という問いを掲げながら「土の本質に迫り、
土を作るために必要となる条件や技術」に迫ろうとしている

そうした試みのなかで
「土は単なる砂と粘土と腐食の混合物ではなく、
自律的な土壌再生、持続的な物質循環こそが土の本質であり、
人工土壌が模倣すべき特性であること」を明らかにしている

ヒトの大脳が100億以上の神経細胞それぞれが
数万個のシナプスでつながり
ネットワークを形成し協働しているように
「大さじ1杯の土に住む100億個の細菌もまた
すみかと資源(エサ)を共有し、相互作用することで、
有機物分解を通した物質循環、食料生産が可能になる」
のだという

「土とは何なのか」

その問いに対し藤井一至は
「粒子に注目した「砂+粘土+腐食の混合物」に始まり、
団粒構造に代表される「砂+粘土+腐食+空気+水の空間」、
人工土壌にも適用できる
「鉱物×生物=自律的な知的システム」へと拡張してきたが、
ゴールではない」という

ダーウィンは「なぜ根っこが下に伸びるのか、
なぜミミズによって土ができるのか、
というシンプルで本質的な課題に挑み続けた」が

私たちもまた
シンプルでありながら
そうした本質的な「課題」「問い」にこそ
挑んでいく必要がある

それは「生命」や「土」はもちろんのこと
身近にあたりまえのように存在しているもの
それなしでは生きていけないだろうものにこそ
向けられなければならないだろう

■藤井一至『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』
(講談社 ブルーバックス 2024/12)
*上記より(講談社ホームページ/現代新書)より
 「はじめまして」の編集ページ 2025.01.24)

**(藤井一至『土と生命の46億年史』から「はじめに」)

・現代の科学技術をもってしても作れないもの

*「地球から約3億4000万キロメートルも離れた小惑星リュウグウから日本の探査機「はやぶさ2」が砂を持ち帰ることに成功した。人工知能は、創造性を要するとされてきた将棋や芸術の達人芸さえも凌駕(りょうが)しつつある。

 ところが、全知全能にも思える科学技術をもってしても、作れないものが二つある。生命と土だ。

 生命の創出には倫理的な制約もあるだろうが、土のほうには一切の制約がない。しかし、いざ土の話になると、科学は突如として雄弁さを失う。土はカオスとして認識され、私自身も、地下の小宇宙だ、分からないのがロマンだ、と言ってごまかしてきた。」

・そもそも、土とは何なのか

*「そもそも、土とは何なのか。どうやって地球上に土が生まれ、そこから生命や文明が生まれたのか。

 この課題に積極的に回答しようとしてきたのは科学よりも宗教かもしれない。世界の神話の多くで、神は土を創り、そして土から人を創りたもうたとしている[参考文献0-1]。

 例えば、ギリシャ神話には「私たちは腐植からできている(homo ab humo)」という言葉がある。腐植とは「腐った植物」に由来する栄養分に富む成分であり、古来、土は命を生みだすものと考えられてきた。

 カブトムシを育む腐葉土や、種子をまくと命が生まれる5月の土の生命力を想像してほしい。お父さんの努力むなしく、「母なる大地」といったりもする。」

・この小学生のテスト、解けますか?

*「近代以降、科学はこれらの思想を迷信として否定するなかで発展してきた。植物は腐植そのものではなく、主に無機栄養を吸収することで育つ。土壌は「岩石が崩壊した砂や粘土と腐植が混ざったもの」にすぎない。そこに生命力という言葉は入ってこないことを私たちも知っている。小学校のテストでは気になる問いが出題されている。

 の「?」に入る言葉は何ですか?

  植物を育てるのに必要なのは、太陽光と水と「?」である。

 正解は「土」ではなく、「肥料」なのだという。

 植物工場の水耕栽培がそのことを証明している。ややこしい土を避けたほうがスマートにも見える。しかし、肝心の植物は根を張ることで地上部もよく育つため、土を求める。協力してくれる土壌微生物を求める。ところが、人類は肥料を作り出すことはできても、人工的に土を作ることはできない。」

・ファインマンが残した言葉

*「科学技術で何もかも作る必要はないのかもしれない。しかし、ノーベル賞を受賞した物理学者リチャード・ファインマンは、「作れないということは、それを理解できているとはいえない(What I cannot create, I do not understand.)」という言葉を残している。

 一方、土壌学の本には悟ったかのように「土は人間に作れない」「腐植のレシピは土の中の無数の微生物しか知らない」「自然の営みによって1センチメートルの土が作られるのには100~1000年もかかる」と冷たく書いてある[参考文献0-4]。AIの解答も同じだ。出典を見ると、執筆者は私だった。

 土を作れないだけならともかく、足元の土を理解すらできていないとなると一大事である。というのも、土のことを理解していなければ、気が付かないあいだに土を酷使し、劣化させてしまう危険性があるからだ。

 実際、15秒ごとにサッカーコート1枚分の畑が土壌劣化(塩類集積)で失われているという。私たちは土から食料を、建物を生み出すことで文明を築きあげてきた。世界人口が増え続けているのに肝心かなめの土が失われれば、人類の生存が危うい。」

・人類が持続的に暮らしていくヒントは土にある

*「40億年にわたる地球の生命史において、たった20万年にすぎないホモ・サピエンスの歴史は、なぜこんなにも早く繁栄と破滅のリスクという両極端をあわせ持つことになったのか。

 この問いを解くカギは土にある。私たち人類は土をフル活用して大繁栄を達成し、同時にそれを再生できない悩みを抱えてきた。「土が作れない」ということは重大事なのだ。

 「土とは何なのか?」「なぜ生命や土を作ることができないのか?」という本質的な問いをあいまいなままにしておくことはできない。46億年の地球史を追体験し、豊かな土と生命、文明を生み出したレシピを復元することがこの本の目的である。

 そこに、土を作り人類が持続的に暮らしていくヒントが埋もれているはずだ。」

・土は地球の変化を見続けてきた“生き証人”

 40億年の生命史であれば進化生物学者が、46億年の地球史であれば地質学者がより雄弁に語ってくれるだろう。しかし、この本の案内人は、自宅のプランターでオクラがうまく育たずに悩み続ける土の研究者が務める。

 日頃は森や田畑で穴を掘り、持続的な土の耕し方を研究している。正直、地球と生命の46億年史はスケールが大きすぎる。畑違いだと笑われるかもしれない。

 しかし、生と死は、生物と無生物は、土でつながる。多くの陸上生物は土から命の糧を得て、やがて遺体は土の一部になる。つまり、土も変化する。

 土が変われば、そこで生きられる生物も変化する。40億年にわたる生命と土の相互作用の中で、地球はいつも次の時代の主役となる生物に適した“土壌”を用意する。

 土に居場所を見つけた生物は生存権を獲得し、さもなければ絶滅してきた。途中でレースを降りた恐竜の化石とは違い、土はいつも陸上生物のそばで並走してきた。土は地球の変化を見続けてきた“生き証人”としての顔を持つ。

 足元の土は、生命誕生や進化まで教えてくれる

 私たちは日本史や世界史を学ぶが、お母さんやお父さんの歴史は学ばない。親もそう話したがらない。顔も性分もどこか似ている身近な大人の歴史は子どもにとって大いに参考になるはずだが、私たちは織田信長の一生のほうを知りたがる。この問題は土にもあてはまる。

 私たちは、地球外惑星の砂には知的好奇心をそそられても、足元の土がいったい何なのか? について考えることは少ない。

 しかし、どうだろうか。もし、足元の土が実は生命誕生や私たちヒトをも含む生命進化、今日の環境問題の根っこにまで大きく関わる46億年の壮大な物語を教えてくれるとしたら。もう恐竜の化石にすべてを任せておくわけにはいかない。

 身近にありながら、普段はあまり注目されることのない土だが、私たちは土なしには繁栄していなかっただろう。いまだに人類が人工的に作れない複雑で神秘的な力を秘めている土は、未来を照らす一条の光となるに違いない。」

**(第7章 土を作ることはできるのか)

*「この本では、「人間に土を作ることはできるのか」という問いを掲げ、土の本質に迫り、土を作るたに必要となる条件や技術を絞り込んできた。そのなかで、土は単なる砂と粘土と腐食の混合物ではなく、自律的な土壌再生、持続的な物質循環こそが土の本質であり、人工土壌が模倣すべき特性であることが分かった。」

「土の機能は、人間の脳や人工知能の自己学習機能と似ている。知性の源であるヒトの大脳は100億以上の神経細胞それぞれが数万個のシナプスでつながることでネットワークを形成し、協働することで思考が可能となる。大さじ1杯の土に住む100億個の細菌もまたすみかと資源(エサ)を共有し、相互作用することで、有機物分解を通した物質循環、食料生産が可能になる。大脳の司る100億個の神経細胞の相互作用と大さじ1杯の土の100億個の細菌の相互作用。多様な細胞があたかも知性を持つように臨機応変に機能する超高度な知性を。私は脳と土しか知らない。」

*「人工知能とは違い、土には柔軟性もある。もちろん、土がネバネバ。フカフカするという意味ではなく、変化への対応力を指す。」

*「岩石砂漠から植物、ミミズ、カブトムシの幼虫、恐竜がいかに土を作り上げ、ヒトはいかに土を耕し、さらには土を作ろうと試行錯誤していくのか。大さじ1杯の土に住む100億個の微生物の織りなすプロセスを100億個の大脳の神経細胞や人工知能のネットワークで考え、21世紀中葉には到達するといわれる100億人で試行錯誤する。多様なメンバー、冗長な機能を含むネットワークが肥沃な土壌を耕すことは5億年の歴史が証明している。100億個の微生物、100億人のヒトを重荷にするのか、分厚い選手層とするのかはミミズや植物根だけでなく、ホモ・サピエンス(知恵ある人)を名乗る私たちの手にもかかっている。」

**(おわりに)

*「40年前に埋設された岩石粉末サンプルが見つからず、山中をさまよいながら気が付いたことが二つある。スギの人工林が伐採適機を過ぎて高齢樹(60歳)を迎えていること、自分がひどい花粉症だったことだ。実験が始まった1979年はまだ林業が盛んだった。自分の代で収穫できるわけではない木の苗を次の世代のために一本一本植えたのだ。今や花粉症を招く厄介者になってしまったが、森の再生と子孫の繁栄を信じて木を植えた人々が確かにいた。

 ミミズが、カブトムシの幼虫が、恐竜が、そして先人たちが大地を耕してきた結果として、今、足下には土がある。落ち葉の99%が分解し、土になるのはたったの1パーセントだ。地球に岩が風化して粘土ができ、その粘土もやがて岩に戻る。繁栄を謳歌した生物も自らが耕した土の変化に対応できなければ、次の生物に舞台を譲ることになる。虚無感や徒労感にさいなまれて誰も土を耕していなければ、地球は森も土もない荒れ地だったかもしれない。もしも先人が40年前に風化実験の鉱物粉末を埋めていなければ、人工土壌の希望はなかった。

 植物が地球に届く太陽エネルギーと二酸化炭素を使って有機物を作り出し、その有機物も分解すれば二酸化炭素に戻る。完全な循環では何も残らないはずだが、少しだけ対称性にほつれがある。それが土の腐食や私たち人類の体を構成している。40年ものタイムカプセルの土をすべて持ち帰ろうと思ったが、未来の土の研究者のために半分残すことにした。埋設地点のGPS情報は論文に正確に残すことに決めている。」

*「近代科学の多くは土から出発したが、身近さゆえか、土は原初的な科学だとみなされることがある。泥団子作り、砂鉄集めにも、それぞれ可塑性、磁性という複雑で難解な科学があるが、大人は好奇心を失いやすい。かくして科学技術に依存した現代社会には、科学離れした人々が暮らす。食料生産において土への依存や負荷をぎりぎりまで高める一方で、どんどん土から遠ざかりつつある。私も例外ではない。かなりの田舎で育った子どもの頃、家宅侵入するムカデの足音におびえ、都会、それもコンクリートで囲まれた気密性の高い部屋のよどんだ空気に憧れさえした。しかし、本当に怖いのはムカデのいない世界だ。46億年の歴史は、土こそ私たちの生命と文明を生みだした基盤であること、ミミズを手本にしなければ科学文明も持続的たりえないことを教えてくれている。身近にありながら現代科学ですら再現できない高度な物質を見下すことはできない。」

*「土とは何なのか。シンプルな問題ほど答えは難しく、いつも答えが一つとは限らない。土粒子に注目した「砂+粘土+腐食の混合物」に始まり、団粒構造に代表される「砂+粘土+腐食+空気+水の空間」、人工土壌にも適用できる「鉱物×生物=自律的な知的システム」へと拡張してきたが、ゴールではない。ダーウィンは、なぜ根っこが下に伸びるのか、なぜミミズによって土ができるのか、というシンプルで本質的な課題に挑み続けた。生物や環境に少しずつ生じる変化の積み重ねが進化や生態系の変化を引き起こすという点において、ヒトを含む生物の進化論とミミズの土作りは地続きのテーマだった。シンプルな問いこそ応用も効く。粘土がなぜネバるのか、堂々と悩んでいい。」

□藤井一至『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る 』【目次】より

はじめに
第1章 すべては粘土から始まる
第2章 生命誕生と粘土
第3章 土を耕した植物の進化
第4章 土の進化と動物たちの上陸
第5章 土が人類を進化させた
第6章 文明の栄枯盛衰を決める土
第7章 土を作ることはできるのか

○藤井一至(ふじい・かずみち)
土の研究者。国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 主任研究員。1981年富山県生まれ。京都大学農学研究科博士課程修了。博士(農学)。カナダ極北の永久凍土からインドネシアの熱帯雨林までスコップ片手に世界、日本の各地を飛び回る。『土 地球最後のナゾ』(光文社新書)で第7回河合隼雄学芸賞を受賞。そのほか、第1回日本生態学会奨励賞、第33回日本土壌肥料学会奨励賞、第15回日本農学進歩賞、第39回とやま賞、第27回日本生態学会宮地賞、第9回World OMOSIROI Awardなど受賞多数。著書は他に『大地の五億年』(ヤマケイ文庫)など。『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』(日本テレビ系)、『クレイジージャーニー』(TBS系)などメディア出演多数。

◎藤井一至『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』
(講談社 ブルーバックス 2024/12)
*上記より(講談社ホームページ/現代新書)より「はじめまして」の編集ページ

「地球の「土」が急速に「消えて」いる
 …その量、「15秒でサッカーコート1枚分」。
「人類滅亡の危機」が冗談ではなくなっている「驚愕の現実」」
 (講談社2025.01.24)


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