志村真幸『未完の天才 南方熊楠』
☆mediopos-3147 2023.6.30
牧野富太郎は熊楠への追悼文のなかで
厳しい言葉を投げかけている
「実は同君は大なる文学者でこそあったが、
決して大なる植物学者ではなかった」と
たしかに南方熊楠は
植物学を極めたりはしなかった
その点で牧野富太郎は正しい
牧野富太郎の学問に対する価値観は
いわばその研究の「アウトプット」を充実させ
それによってその研究結果を
「コンプリート」させることに重きが置かれていたからだ
著者の志村真幸はそれに対比させると
南方熊楠の活動は「未完性」によって特徴づけられるという
多方面にわたりさまざまな研究や活動を行った熊楠にとって
「研究とは「終わってしまったはいけないもの」であった
というのである
「むしろ簡単に答えが出て、論文にしたらおしまい、では困る」
研究には完成も引退もなく
謎に取り組み続けることしかないからである
学問や研究に対するスタンスは
牧野富太郎的に「完成」を求める方向性と
レオナルド・ダ・ヴィンチもそうだったが
南方熊楠的に「未完性」であり続ける方向性の
二つに分けることができるかもしれない
そして重要なのはどちらかだけというよりは
その二つの方向性がある研究態度として
どのようにブレンドされているかだと思われる
完成があるとしてもそれは暫定的なものであり
それをあらためて未完と位置づけ
あらたな問いがそこから始まっていき
それが繰り返されながら続いていく・・・
しかし多かれ少なかれ
謎に取り組みつづける姿勢が失われ
短期的に結果(答え)を出す作業だけ終始するようになれば
それはすでにほんらいの意味では
研究でも学問でもなくなっているのではないだろうか
答えを目的とするだけの研究は不毛だし
ディベートあるいは論破のように
議論のための議論を行うのも同様である
話はいきなり極論になるが
宇宙はおそらく完成されてはいない
永遠の未完性のうちに生成を続けている
(あるいは完成と未完性が同時成立している)
わたしたちもそんな未完性を生きている
つまり答えのために生きているのではなく
問いそのものを生きている
それを忘れたとき魂はそこで歩みを止めてしまう
■志村真幸『未完の天才 南方熊楠』
(講談社現代新書 講談社 2023/6)
(「はじめに」より)
「南方熊楠(一八六七〜一九四一年)の魅力は。「未完の天才」という点にある。驚くほど多方面で才能を発揮し、生物研究ではキノコ、変形菌(粘菌)、シダ植物、淡水藻、貝類、昆虫、水棲爬虫類と幅広く扱い、熊楠の名が学名についた新種も少なくない。昭和天皇に「ご進講」といって生物学の講義をしたこともあった。人類学、民俗学、比較文化、江戸文芸、説話学、語源学といった人文科学系の分野も業績が多い。」
「我々熊楠研究者は、しばしば「熊楠って何をしたひとなんですか?」と質問されるが、簡単には回答できない。(・・・)思想家とか科学者とか政治運動家といった、個別の分類にあてはまらない人物。それが熊楠なのである。
そしてもうひとつ困るのは、「熊楠って、結局、何をなしとげたんですか?」という質問だ。熊楠はありあまるほどの才能をもっていた。とてつもない努力家でもあった。しかし、熊楠の仕事はほとんどが未完に終わっているのである。睡眠中に見る夢のもつ意味を一生かけて追い求めたが、最終的な結論は出ていない。柳田國男とともに日本の民俗学の礎を築いたものの、途中で喧嘩別れしてしまった。キノコの新種をいくつも発見していたのに、ほとんど発表していない、英語でも日本語でも多数の論考を書いたが、集大成となるような本はついに出版されずに終わっている。神社林を保護するために、日本で最初期にエコロジーの語を導入したが、もっとも大切な神社については守れなかった。
わたしは熊楠を研究して、今年(二〇二三年)で二二年になる。その感触からいうと、熊楠の魅力はこうした未完なところにあるのだと思う。」
「熊楠の仕事はいまもなお完成していない。すでに没後八〇年以上がたつが、熊楠が扱ったテーマは現在も有効であり、解決されていないものが多い。夢のもつ意味やエコロジーがまさにそうであり、とくにエコロジーなどは、簡単に結論を出し、終わったことにしてしまってはならない問題だ。」
(「第三章 ロンドンでの「転身」————大博物学者への道」より)
「熊楠が一九四一年一二月二九日に亡くなったとき、牧野富太郎が、翌年二月号の「文藝春秋」に「南方熊楠翁の事ども」と題する追悼文を寄せた。この文中には意外なくらいに厳しい言葉が並び、「南方君は往々新聞などでは世界の植物学会に巨大な足跡を印した大植物学者だと書かれ、また世人の多くもそう信じているようだが、実は同君は大なる文学者でこそあったが、決して大なる植物学者ではなかった」と切って捨てている。」
「おそらく、植物学にのみ専心しつづけていたら、それなりには成功したかもしれないが、現在の我々が知っているような巨大な博物学者・熊楠は生まれなかっただろう。挫折の体験があり、しかしそこで絶望してしまわないで、自分の輝ける場所を見出し、活動していった点が、熊楠の才能だったといえる。」
(「終章 熊楠の夢の終わり————仕事の完成と引退とは何か?」より)
「熊楠がもっとも長期間にわたって研究をつづけたのは、夢だったのである。」
「熊楠が夢を完全に理解し、そのプロセスや意味をあきらかにできると本当に考えていたかはわからない。しかし、その困難さこそが熊楠を惹きつけたのではないか。未解明なものに、ずっととりくみつづけること、それこそが熊楠にとっての学問だった。」
「はたして、熊楠は何かをなしとげたのだろうか。著作なり図鑑なりで仕事をまとめることはなかったし、英文論考や妖怪研究でも明確な結論を出していない。そのため、これまで熊楠はすごいけれども、よくわからない偉人という印象をもたれることが多かった。牧野のように、後世に残るような業績はないと批判する人物すらいた。しかし、それは学問というものをアウトプットを中心にとらえ、なおかつコンプリート(完成ないし結論を出すこと)をよしとする風潮にもよるものではないか。
ここまで見てきたように、熊楠はインプットに重きをおき、なおかつコンプリートには関心をもたないタイプの学者であった。コンプリート、すなわち完成していないものはアウトプットに結びつきにくい。そしてアウトプットされていないものは、わかりづらく、評価も難しい。けれども、近年には熊楠のインプットの部分が解明されつつある。抜書類の解析が進み、菌類図譜も全貌が見え、日記もすべて解読できそうなところまで来ている。それによって明確になったのは、熊楠が「書くこと」と記憶を軸とした巨大なデータベースをつくりあげており、その構築にこそ人生をかけてとりくんでいたという事実である。抜書や菌類図譜は、そうしたデータベースの一部と捉えることができる。」
「こうした熊楠の活動を特徴づけるのが、未完性なのである。熊楠が仕事を完成させなかったには、怠慢や能力不足によるものではない。むしろ、熊楠にとって研究とは「終わってしまったはいけないもの」であった。(・・・)
これらは、熊楠のありあまるほどの天才を満足させてくれる巨大な謎であり、終わることのない研究テーマだったのである。むしろ簡単に答えが出て、論文にしたらおしまい、では困るのだ。それではあっという間にやることがなくなってしまう。そうした観点からするとキノコも夢も理想的で、もしかしたら、終わらないからこそ、熊楠はこれらを研究対象として選んだのかもしれない。そして未完であることによって、最後まで熊楠は充実した日々を送れたのであった。そこには、研究の完成はない。しかし、引退もなかった。それは研究者、人間ならだれもが夢みるような、幸せな人生ではないだろうか。
こうした熊楠の在り方は、短期間で結果を出し、アウトプットを欠かさないことを求められる現在の学問状況に異議を突きつけるものでもある。アウトプットしなければ何もしていないも同然と思われがちだが、実際には熊楠のように、はちきれんばかりに豊かな学問もありうるのだ。それは一生をかけてとりくめる研究スタイルでもあった。」
「いまこそ、熊楠の「未完」から、世界を見つめなおすべきタイミングなのではないだろうか。」
◎志村 真幸
1977年、神奈川県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。南方熊楠顕彰会理事、龍谷大学国際社会文化研究所研究員、慶應義塾大学非常勤講師。専門は比較文化研究。『南方熊楠のロンドン』(慶應義塾大学出版会)でサントリー学芸賞(2020年、社会・風俗部門)、井筒俊彦学術賞(2021年)を受賞。他の著書に『日本犬の誕生』(勉誠出版)、『熊楠と幽霊』(集英社インターナショナル)など。
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