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渡辺祐真「世界文学の大冒険」 連載第3回 これまでの世界文学史を振り返る(『文學界』)

☆mediopos3731(2025.2.5.)

『文學界』で連載されはじめている
渡辺祐真「世界文学の大冒険」
第3回は「これまでの世界文学史を振り返る」
(実際の文学史の話は次回から)

第1回では「文学史を構築する上で土台となる
歴史学の議論」が概観され
(mediopos3716/2025.1.21.)
第2回では「世界文学に関する議論を振り返りながら、
本連載の目ざす文学史の方向性」が提示された
(mediopos3722/2025.1.27.)

今回はこれまでに刊行されてきている
日本における世界文学史の特徴を見ていきながら
本連載の世界文学史をこれまでの世界文学史の中に
どう位置づけようとしているのかが明らかにされている

一九六〇年代までの日本における世界文学史は
国別ではなく「世界文学」や「西洋文学」として
広範な文学史を記述する試みが主となっている

大きくわけると
国ごとに分けられているもの
国を超えて時代順に文学史を記述するもの
国別と時代別の中間にあたるもの
という三つのタイプがある

それらの多くは
個別性と普遍性の綱引き
つまり「作家や作品の独自性を尊重しようとすれば
具体的な記述が増えて網羅的になるが、
歴史として因果関係や総論へと回収しようとすれば
網羅性は低下せざるを得ない」
という困難さを抱えていたのに加え
西洋地域への偏りも甚だしいものだった

それらのなかから主に

「専門家たちの知見を多分に借りることで
網羅性を担保」しようとした
矢崎源九郎編『世界文学入門』
(三笠書房、一九六四年)

「時代潮流という大きな視座に立」とうとした
永野藤夫『世界の文学』(中央出版社、一九六八年)

「ジャンルという(比較的)客観的な指標によって
歴史記述を紡」ごうとした
後藤武士『西洋文学概論』(英宝社、一九六七年)

以上の試みを参考にしながら
「現代らしい幅広い目配りと、
グローバル・ヒストリー的な
地域間の影響関係なども見出す」ことを
本連載のスタイルとすることが示唆されている

今回の記事の最後に
こうした「世界文学(西洋文学)史の本が
数多く刊行されたのは一九六〇年代に集中していた」
ということが述べられ

そのことについて
演劇学者・河竹繁俊が一九五二年に
「世界文学について、
まずは広く大きく論じる文学史が現れ、
その後に反動で各国文学史が盛り上がり、
さらにその次に世界文学史が盛り上がる、
という三段階説を提唱」していることを承け

「一九六〇年代の西洋中心の世界文学史を踏まえて、
各国文学史が盛り上がり、それを再び統合して
大きな世界文学史を語る」
それが現段階での試みなのだとしている

ある意味でこの二〇二五年は
世界史的な転換点に来ていると思われるのだが

それを政治的な観点だけからではなく
すでに試みのはじまっている
「世界史」「世界哲学史」に加えて
こうした「世界文学史」といった観点から
視座を転換させていくこと
その重要性をあらためて確認していきたい

重要なのは「専門領域」に閉じるのではなく
かといって「専門領域」を等閑にするでもなく
総合的かつ統合的に世界観を
新たに編みなおしていくこと

そうした「大冒険」に乗り出すのは
まさにいまこの時期における重要な試みだといえる

■渡辺祐真「世界文学の大冒険」
 連載第3回 これまでの世界文学史を振り返る
 (『文學界』2024年9月号)

・今回の趣旨

「前々回では文学史を構築する上で土台となる歴史学の議論を概観し、前回は世界文学に関する議論を振り返りながら、本連載の目ざす文学史の方向性を提示した。繰り返すと、「世界の名作のカタログや事典という機械的な網羅性」と「作家や作品が後世に与えた影響や後世の受容、作品間の比較といった歴史的な叙述」の両面を目ざそうというもの。」

「今回は、日本における世界文学史の試みを振り返ってその特徴を探る。その上で本連載の世界文学史を、過去の世界文学史の中にどう位置づけるべきか、それを明らかにしていきたい。」

・世界文学の三つの目次立て

「調べた範囲だが、主に一九六〇年代までは国別ではなく、「世界文学」や「西洋文学」と銘打って広範な文学史を記述する試みが散見される。」

「大きく分けると三つだ。

 まず、タイトルは「世界文学」などになっているが、実際は「イギリス編」「フランス編」など、チャプターによって国ごとに分けられているもの。」

「二つ目は、国を超えて時代順に文学史を記述するもの。」

「そして最後に、国別と時代別の中間にあたるもの。」

・国別文学史の総和型

「まずは、国別の文学史を積み重ねることで世界文学史としているタイプ。

 創元社編集部『世界文學入門』(創元社、一九四九年)、矢崎源九郎編『世界文学入門』(三笠書房、一九六四年)、荒正人『世界の文学』(塙書房、一九六五年)、松平千秋他『世界文学史(世界文学全集別巻)』(講談社、一九九三年)などがある。」

「創元社による『世界文學入門』では、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシア、南欧、北欧という項目立てにして、それぞれの章を専門家が分担している。」

「矢崎源九郎編『世界文学入門』も専門家の分担執筆になっているが、こちらはその長所を存分に生かしている。(・・・)それぞれの記述は簡素となっているところもあるが。とにかく網羅性が高く、今なお目録としての価値はある。」

「松平他『世界文学史』も同様の編集。ところが飛び抜けて新しい上に、世界文学全集の別巻として刊行されているにもかかわらず、収録されている国は欧米のみ。片手落ち感は否めない。」

「転じて、一人で執筆しているものには、荒正人『世界の文学』がある。章立ては大きく、日本、東洋、西洋に分けている。東洋には中国、朝鮮、インド、イラン(ペルシャ)、アラビア、エジプト。西洋では古代から近世までは時代別に、近代では、イギリスやフランスをはじめ、ユーゴスラヴィア、アイスランド、チェコスロバキア、アルバニアなど、国別に幅広く網羅し、最後には「第二次大戦から一九五〇年代まで」として当時の現代文学が紹介されているという構成。本書で特徴的なのは「日本」が含められている点だ。」

「以上のように(矢崎編『世界文学入門』や荒『世界の文学』に顕著)、地域別の総和にする利点は、幅広い国や地域を網羅できる点にある。」

・時代別の世界文学史

「続いて、国を超えて時代別に論じている文学史を確認する。

 これに該当するものとしては、安東次男、山下肇、篠田一士編『文学の基礎知識』(青春出版社、一九六〇年)、永野藤夫『世界の文学』(中央出版社、一九六八年)、阿部知二『世界文学の流れ』(河出書房新社、一九六三年)(※同書は後に、『カラー版世界ブナ区の歴史』として、一九七一年に再刊されている。)などが挙げられる。」

「『文学の基礎知識』は時代ごとに並べられた作家単位の文学史に仕上がっているが、ほとんど欧米の作家が示す。非欧米地域の作家となると、司馬遷、李白、杜甫、魯迅のみである。文学史というよりも、主要な作家を丁寧に紹介することで、時代の諸相を見せようというもの。」

「阿部『世界文学の流れ』は東西を分けて論じている。(・・・)「はしがき」では「西洋の近代文学、とくに十九世紀のそれのあたり」を中心点としたことが明言されており、近代的な歴史学の視座に立った文学史と言えるだろう。」

「以上のように、目次こそ時代別だがよく読むと国別文学史の総和であるというものは結構多い。そんな中で、永野『世界の文学』は、地域を超えた時代ごとの特徴の下にさまざまな文学を論じたり、同時代の全く異なる文学を比較してその異同を見出したりしようという、グローバル・ヒストリー(積極的に比較研究を行う)らしい試みをしている。」
「網羅性という点では地域や作家に偏りがあることは否めないが、それでも国別ではなく。時代別で目次を立てた必然性が感じられる点は強く評価したい。」

・国別と時代別の中間

「最後に、これまで見てきた国別と時代別の中間にあたる目次立てを紹介したい。時代や地域によって、国別や時代別の目次を使い分けており、多くの場合は、近代以前は国を超えて論じるが、近代以降は国別に紹介している。

 これには、山室静『世界文學の花園』(山根書店、一九四八年)、小島輝正『西洋文学入門』(青春出版社、一九五九年)、後藤武士『西洋文学概論』(英宝社、一九六七年)、鼓良『西洋文学の歴史』(勁草書房、一九六九年)などが該当する。」

「『世界文學の花園』は、ほとんどが西洋文学の歴史であり(非ヨーロッパ地域では、「ヘブライの文學」と「中國(シナ)の文學」の章があるのみ)、近代以前は時代別、近代では国別という構成になっている。」

「『西洋文学入門』も『西洋文学の歴史』も。タイトルの通りヨーロッパに限定されているが、「人間探求」や「ロマン主義」といった潮流を軸に、ヨーロッパ全体を見渡そうとしており、近代に進むにつれて、国別に目次を立てて国別文学史の様相を強める。」

「白眉は、後藤『西洋文学概論』である。まず古代から二十世紀まで、啓蒙主義やリアリズムなど主義を軸に時代単位で論じる。その後、叙事詩、叙情詩、劇、小説、エッセイなど、文学のジャンルごとに特性や歴史を分けて論じるというもの。」

・世界文学史を語るべきタイミング

「多くの本が苦戦していたのは、前回指摘した世界文学史の難しさの核にある、個別性と普遍性の綱引きだろう。作家や作品の独自性を尊重しようとすれば具体的な記述が増えて網羅的になるが、歴史として因果関係や総論へと回収しようとすれば網羅性は低下せざるを得ない。(・・・)とりわけ西洋地域への偏りは著しい。」

「本連載は、そうした先人たちの積み重ねに最大限の敬意を払いつつ、アップデートを試みるものである。

 具体的には、矢崎源九郎編『世界文学入門』のように、専門家による共著という形ではないものの、専門家たちの知見を多分に借りることで網羅性を担保しつつ、永野藤夫『世界の文学』のように時代潮流という大きな視座に立つことをいとわず、後藤武士『西洋文学概論』のようにジャンルという(比較的)客観的な指標によって歴史記述を紡ぐ。その上で、現代らしい幅広い目配りと、グローバル・ヒストリー的な地域間の影響関係なども見出す。それが本連載のスタイルとしたいと思っている。」

「最後に、今回調べた限りだが、世界文学(西洋文学)史の本が数多く刊行されたのは一九六〇年代に集中していた。詳しい事情は分からないが、演劇学者の河竹繁俊が一九五二年に残した次の言葉は一つの参考になるだろう。

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時代が急激に転換し、変革したさいには、一部の知性人、文芸家のあいだには、綜合世界文芸的な性格ないし映像が、いちじるしくあらわれる。しかし、時代が移って、過渡的様相がうすらぐにしたがって、そうした映像もうすれ、そうした傾向をむしろきらって、専門的に、————もしくは反動的に、アカデミックに専門化した様相が多くなる。ところが、またそのさきへ行くと、またもや総合的な映像を必須とするようになるのではなかろうか。
 この三段階を考えるとき、わたくしどもは。いまはその第二段めにあるように思われる。
河竹繁俊「綜合世界文芸的な映像を」(早稲田大学文学部綜合世界文芸研究会編「現代世界文藝思潮」(理想社、一九五二年)所収)
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 世界文学について、まずは広く大きく論じる文学史が現れ、その後に反動で各国文学史が盛り上がり、さらにその次に世界文学史が盛り上がる、という三段階説を提唱している。河竹は三段階で区切っているが、愚見するに、これは集合と離散の繰り返しではないだろうか。まずは大きく論じ、やがて細かな部分への反論から各国文学史が盛り上がり、すると大きな歴史が見えなくなるのでまた大きな論が嘱望され、そしてまた緻密な研究が求められる。

 そう考えるのであれば、一九六〇年代に世界文学が盛り上がり(河竹の言う三段階目)、それから長らく各国文学が隆盛を極めていた。河竹の言葉を都合よく解釈するのであれば、そろそろ世界文学を論じてもいいタイミングに来ているのではないだろうか。

 一九六〇年代の西洋中心の世界文学史を踏まえて、各国文学史が盛り上がり、それを再び統合して大きな世界文学史を語る。それこそが現段階の試みだと、敢えて言い切りたい。」

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