皆川博子「辺境図書館 23」/宮川淳『鏡・空間・イマージュ』/吉田喜重+小林康夫+西澤栄美子 『宮川淳とともに』
☆mediopos2644 2022.2.11
宮川淳の名を知ったとき
すでにその存在は去っていた
一九七七年のことだ
当時たどたどしくもようやく
その言葉をたどりはじめた頃で
どこか啓示のようなものさえ感じていたものの
当時それらの言葉はほとんど理解できないままだった
数十年経って読みなおしてみると
それらの言葉たちの若々しさ
そして痛々しく切実なまでの気負った思考さえも
どこか伝わってくるような懐かしさを感じる
そしてそれらはいまでもとても新鮮に響いてくる
宮川淳に影響を受けた
吉田喜重・小林康夫・西澤栄美子という三氏の
宮川淳をなにがしか照らし出している言葉が収められた
『宮川淳とともに』という一冊が昨年(二〇二一年)刊行され
おそらくそれを機にしてだろう
皆川博子が宮川淳について
そしてその訳によるイヴ・ボンヌフォアの詩について
「群像」で連載している「辺境図書館」で語っている
そういえば宮川淳は
『ボンヌフォア詩集』を訳し刊行している
当時の世界文学全集の「現代詩集」のなかで
いくつか訳されているものを除けば(安藤元雄訳もある)
まとまって訳しているのは宮川淳だけだ
宮川淳訳のボンヌフォアの詩「フェニクス」について
皆川博子はこう語っている
「不死鳥が樹木のなかにとどまる」
「炎に身を投じては甦る不死の鳥が、
自ら不死であることをやめる。
不死であらねばならぬことは、
火の鳥にとっては、一つの束縛であった。
自ら断ち切り、死の自由を獲得する。鳥は樹木と同化する」
不死であるという「束縛」から逃れるために
不死鳥は樹木と同化し死の自由を獲得する
このイメージは深く
「私」と「世界」の謎に迫るものでもある
そしてそれはコクトーの「オルフェ」のシーンのように
「鏡」のなかに入るということともどこか通じている
根源的な存在は
まさに「不死」であり「永遠」そのものだが
「フェニクス」や「オルフェ」は
なぜ世界があり私という存在があるのか
そして私たちは死すべき存在なのか
そうした問いへとむけた
詩的な応答としてとらえることもできるのではないか
根源は自ら不死であることをやめて
世界となり「私」となることで
「死」という「自由」を得たのだ
それは生を得るということでもある
逆説的にいえば世界も「私」も
「死」という鏡のなかにはいることで
「永遠」へと反転することができる
そしてまた鏡のなかからこうして
「死」と「生」の世界へと生まれてくる
私たちは死を得たフェニクスにほかならないのだ
■皆川博子「辺境図書館 23」
(「群像 2022年 02 月号」所収)
■宮川淳『鏡・空間・イマージュ』
(美術選書 美術出版社 1967.3)
(1967年) (美術選書)
■吉田喜重+小林康夫+西澤栄美子
『宮川淳とともに』
(水声社 2021/10)
(皆川博子「辺境図書館 23」より)
「自分は七〇年代の化石なのだと、近頃思うようになりました。
身のまわりに大人の全集本が溢れ、むさぼり読んだ小学生の頃を最初の読書黄金期とすれば、七〇年代を中心に六〇年代後半ぐらいから八〇年代にかけては、第二次黄金期でした。海外の幻想文学がさかんに邦訳され、ラテンアメリカ文学が数多く刊行されたのがこの時期でした。」
「宮川淳氏の邦訳による『ボンヌフォア詩集』に遇ったのも七〇年代でした。」
「原語の韻律の魅力やそれぞれの言葉の持つ奥行きの深さはわからないままに、それでも、異国の多くの詩を、邦訳で楽しく摂取してきました。
フェニクスであることから自由になった鳥は
死ぬために樹木の中にひとりとどまっている
イヴ・ボンヌフォアの「もうひとつの死の岸辺」の一節です。
ランプの中で油が年老い、黒ずんだように、
わたしたちがそうであったあれほどの失われた道のように、
それは樹木の物質にゆっくりとかえる。
不死鳥が樹木のなかにとどまる、というイメージ、そうしてランプの中で油が年老いるという比喩に、私はまず、惹かれたのでした。炎に身を投じては甦る不死の鳥が、自ら不死であることをやめる。不死であらねばならぬことは、火の鳥にとっては、一つの束縛であった。自ら断ち切り、死の自由を獲得する。鳥は樹木と同化する。
鳥はわたしたちの頭の前を行くだろう、
血の肩がそれのために起き上がるだろう。
それは喜々として翼を閉じるだろう、
お前がさし出してやったお前の身体、この樹木の頂に。
枝々の中を遠ざかりながら、それは長く歌うだろう、
影がその叫びの教会をとり去りにくるだろう、
枝々の上に刻みつけられた死のすべてを拒んで
鳥はあえて夜の峰をとびこえるだろう。
「フェニクス」」
「ボンヌフォアの詩とともに、それを訳し、巻末にボンヌフォア論を記した宮川淳の名も、深く心に残ったのでした。
美術、文学に関する宮川淳の文集『鏡・空間・イマージュ』に接したのも、同じころでした。取り上げられた対象は、ギュスターヴ・モロー、ジョルジュ・ブラック、ホアン・ミロ、三岸好太郎、佐伯祐三、アンドレ・ブルトン、イヴ・ボンヌフォア、清岡卓行、ベル・エポックのポスター、素朴画家たち。そして書き下ろしの「鏡について」が収録されています。」
「一九七七年、宮川淳は四十四歳で逝去。」
「ところが、今年(二〇二一年)十月に『宮川淳とともに』という一書が刊行されたのです。吉田喜重、小林康夫、西澤栄美子の三氏による著書でした(・・・)。
大島渚、篠田正浩とともに、日本のヌーヴェルヴァーグと呼ばれた吉田喜重監督の映画は、思い出深い作が何本もあります。(・・・)宮川淳と大学当時親交があった吉田氏への西澤氏によるインタビューと現代哲学の泰斗小林氏の文章が載っています。宮川淳より一世代下の小林氏と西澤氏は、宮川淳を師とされた方々です。吉田氏の懐旧の言葉に、当時の若い世代はジャン・コクトーの映画「オルフェ」に強い印象を受けたのではないかと思いました。鏡に手を触れると鏡面が水のように揺れ、その奥の死の国に入って行く。それ以前に『鏡の国のアリス』もありますが、コクトーの映像は記録に残っています。
宮川淳は、鏡の向こうに在って、静かに存在の力を及ぼしている。その波紋がこちらに拡がり続けることを願いします。」
(宮川淳『鏡・空間・イマージュ』〜「ランプについて イヴ・ボンヌフォア」より)
「事物が滅び、ひとは死ぬ−−−−人間がついに理解しえず、またのがれえないこの現実、多かれ少なかれ、あらゆる文明の運動がはじまるこの根源的な地点にイヴ・ボンヌフォアは立っている。ところで古典ギリシャ以来、西欧文明は壮大な概念の大系として築き上げられてきたといえるだろう。概念は現実に存在し、したがっていずれは失われ、死滅すべき、この事物、この存在から永遠の本質のみを救いあげる。だが、概念はついに存在するもの、現存とは無縁に終わるだろう。ボンヌフォアはこのような概念=本質を拒否して、可感の世界、存在するもの=現存への接近を詩に求めようとする。それは事物や存在に宿り、それらを滅ぼすあの死、有限性、無名性を見つめることだ。だが一方、言語もまた直接性の否定だというヘーゲル以来の認識がある。はたして詩は、窮極において、われわれに現実的なものを与えることができるだろうか。そこに展開される絶望と希望との強靱なディアレクティクを通じて、現存はすぐれて言語の次元のメタフィジックへと高まってゆくだろう。(・・・)
ここではただ、そこから生まれるボンヌフォアの詩のいわば倫理性を想い出しておけば充分だろう。詩は目的ではなく、手段、そしてなによりも行為である。救いの行為、われわれの破産を希望に変質する行為としての詩。」
「「詩はことばの空間の中で追求されるが、しかしその一歩一歩は再肯定された世界の中で検証されるものなのだ」と『詩の行為と場所』の終わり近くでボンヌフォアは書いている。そこにボンヌフォアの詩の倫理性があるとすれば、また逆に、それがあくまでことば、イマージュ、要するに言語の空間のなかで追求されるところにその倫理性の詩的正統性があるというべきだろう。」
(宮川淳『鏡・空間・イマージュ』〜「鏡について」より)
「ポール・エリュアールは書く。
そして、ぼくはぼくの鏡のなかに降りる
死者がその開かれた墓に降りてゆくように
コクトオのオルフェもまた鏡をとおりぬけて冥府に降りてゆく。そして、なによりもわれわれは鏡のなかに落ちることをおそれるのだ。」
(『宮川淳とともに』〜「Ⅲ Requiem」より)
「−−−−《死》がどんな果実だと、詩人は言うのか。ぼくたちの光のなかで成熟するこの夜。だが、それはひとつの同じ夜だ。あなたの夜は、またわたしの夜だ。だが、この夜には裸身では跳び込めない。そこではあらゆる裸身が消えるからだ。そこへ。その荒地へ。言葉ではなく、水よ。わたしの肉体を搬べ!」(一九七七年)
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