中村昇『ルドルフ・シュタイナー 思考の宇宙』
☆mediopos2718 2022.4.26
著者の中村昇は
「ルドルフ・シュタイナーとの長いつきあい」について
紫色の背表紙をした『神智学』を
書店で見つけたことから語り始めている
「この本を読め」と語りかけているようだったという
ホワイトヘッドやウィトゲンシュタイン研究で知られている
中村昇はぼくとほぼ同世代の一学年下
シュタイナーとの出会いは
ぼくよりも早いようだけれど
「長いつきあい」であることに変わりはない
しかも同時代的に影響を受けたものも
ずいぶんと酷似していたりもする
シュタイナーの著書もまだほとんど訳されていなかった時代
学問の世界では「霊」はおろか「魂」という言葉も
おそらく禁句に近かった
大学などでシュタイナーの思想が扱える時代がくるなど
想像もできなかったのではないだろうか
すでに亡くなって久しい池田晶子という市井の哲学者が
「魂」について語り始めたことでさえ当時は新鮮だった
だからこそ初めてちくま学芸文庫から
『神秘学概論』がでたときには
中村氏も「小躍りして喜」び
「シュタイナーが、文庫になった」と
思わず声がでたほどなのだ
本書のような「思考」というテーマだとしても
こうして大学教授がシュタイナー関連のテーマで
一冊の著書を公にできる時代となっている
おそらくそこにはここ数十年のあいだ
シュタイナーの著書や講義集なども多く翻訳され
その影響が広範囲にわたっているということなのだろう
四〇年ほど前の興味深いエピソードが紹介されている
大学院でウィトゲンシュタインを研究することになったとき
「これから、ウィトゲンシュタインを研究するつもりなのだが、
シュタイナーもとても好きなのです。
どうしたらいいのでしょうか」と
高橋巌氏に手紙を出し
高橋氏からは「何かあったら、いつでも来なさい」
という返事をもらったという話だ
いまだその機会はないそうだが
いまも現役で翻訳などを刊行されている
高橋巌という存在抜きに
日本におけるシュタイナー受容を語ることはできない
批判的な形であれその営為を継承していく必要があるだろう
シュタイナー受容の裾野が広がったぶんだけ
その神秘学の全体像が理解されないまま
まるで信仰対象のようになってしまうことを避けるためにも
■中村昇『ルドルフ・シュタイナー 思考の宇宙』
(河出書房新社. 2022/4)
「ルドルフ・シュタイナーとの長いつきあいを、どう書きだせばいいのだろうか。始まりは、鹿児島市の金海堂書店だ。たしか天文館通りをでて、左側にあった本屋だった。書店に入ると真正面の棚に、それはあった。毎週通っていたので、新しい本はすぐ目につく。見たこともない紫色の背表紙、『神智学』と書いてある。「この本を読め」とこちらに語りかけているようだ。
(…)
紫の箱から本をとりだして開くと、シュタイナーの横顔の写真があった。何ともいえない佇まいに驚く。静謐ですべてを見通している眼。問答無用だった。「あ、この人は、あらゆることを知っている」と直観した。何年かあとに、同じイザラ書房からでた『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』の写真は、もっと鮮烈だった。こちらを正面からじっと見つめ、すべてを見透かしている。この写真は、いまも大学の研究室の机上で、こちらをじっと見つめている。
こうして、シュタイナーとのつきあいが始まった。中学高校の頃から古本屋によく通っていた。
高校を出て上京し、早稲田や神田の古本街、高幡不動の文雅堂書店など、多くの古本屋に本を売り払った。稲垣足穂に憧れ、「本来無一物」などといって、すべての蔵書を売り払ったときでも、なぜか、シュタイナーの『神智学』と『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』の二冊だけは手元に残った。本当に不思議だ。大修館書店の『ウィトゲンシュタイン全集』も、松籟社の『ホワイトヘッド著作集』も、すべて売り払った後にも(もちろんこの二セットは、その後再び買いそろえた。専門なので)、この紫の二冊だけは、ぽつんと部屋に残っていた。
大学院で、ウィトゲンシュタインを研究することになったとき、高橋巌先生に手紙を出した。「これから、ウィトゲンシュタインを研究するつもりなのだが、シュタイナーもとても好きなのです。どうしたらいいのでしょうか」といった支離滅裂な内容だった。高橋先生はこの上なく優しく、「何かあったら、いつでも来なさい」というお返事をいただいた。しかし残念ながら、未だにその機会はない。四〇年ほど前のことだ。
当時から考えるといまは、信じられないくらいシュタイナーの本が出ている。初めて、ちくま学芸文庫からでてときには(『神秘学概論』一九九八年)、小躍りして喜んだ。「シュタイナーが、文庫になった」と思わず声がでたほどだった。現在、とても読破できないくらい、シュタイナー関係の書物が出版されている。それなのにいま、シュタイナーの本をあらためて書くことに、どんな意味があるのだろうか。
この本の特徴は、「哲学者としてのシュタイナー」に焦点をあてて書くという点にある。神秘学徒だと公にする前に、一人の哲学者であったシュタイナーが、どんな哲学を構築したのか。そしてその哲学は、神秘学にどう影響しているのか。そういう観点にも配慮して、この稀代の思想家を描くことができれば、と思っている。森羅万象に通じているこの偉大な人物を、哲学にかかわってきた私なりにスケッチしてみたいというわけだ。」
「シュタイナーの特長をあらためて述べてみよう。まずは、この哲学者は、自然科学的態度を堅持したうえで、霊的世界を探求した人物だということになるだろう。首位タイナーは、霊学(精神科学 Geisteswissenschaft)という名称にふさわしい学問を目指したのである。あくまでも「学(Wissenschaft)を目指したのだ。
曖昧な神秘主義を峻拒しながら、同時にそれらが対象とする領域は包摂していく。他方で、唯物論的な自然科学から距離をとりながらも、その方法論は、みずからの霊学の軸に据える。このようなことが可能であったのも、シュタイナーの比類なき霊視能力と、堅実な自然科学的態度だったといえるだろう。歴史(宇宙進化史を含めた)にかんしても、多くの学問の分野でも、とてつもない視野をもち、それをこの上ない精度で見通すことができたからこそ選べる方法論だったといえる。つまり、ルドルフ・シュタイナーだからこそできた分野だったといえるだろう。」
「ルドルフ・シュタイナーという二〇世紀最大に思想家は、自然科学と神秘思想の双方にまたがり、かつ方法としては、唯一無二の隘路を進んだ孤独な科学者だった。どこにも似た思想家は見いだせない。この人物が、ここまで公開してくれた、この膨大な情報を、われわれはどこまで活かせるのだろうか、
さらに、シュタイナーのもう一つの特徴として、「思考」をひじょうに重視するという点があるだろう。霊界(精神世界)が思考の織物であり、その霊界(精神世界)こそが、われわれの現実世界(物質界)の源なのだとすれば、私たちが、真に精力を傾けなければならないのは、思考態度であり、そこから生み出される思考内容だということになる。私たちがどのような思考を紡ぐかによって、世界は変化していくのであって。物質的な働きかけによってではないというのだから、このことを徹底させれば、世界は一変するだろう。」
「そして、もう一つ考えなければならないのは(…)この世界が幻であるという考え方だ。これは現在「非二元論」といわれているものと通底する考えだ。仏教の唯識思想の最終段階(悟り)である「転依(てんね)」ともかかわってくるだろう。このような思想を加味すれば、シュタイナーの『アカシャ年代記より』の記述内容をどう評価すればいいのか。あの膨大な宇宙の記憶をどう考えればいいのだろうか。
いまわれわれは、ルドルフ・シュタイナーが提示した壮大な宇宙論や精密な人間観から出発して、ほかの多くの新たな革命的思想をも同時に考えざるをえない時代を迎えていると私は思う。すくなくとも私は、こうした時代を画する革命の流れに棹さしたいと思っている。だからこそ、本書を書いた。」