【対談】國分功一郎×若林正恭「ビッグモーター化する世界の中で」(文學界 2023年10月号)
☆mediopos3220 2023.9.11
若林正恭と國分功一郎の対談の3回目
第1回・第2回は以下でとりあげている
mediopos-2278(2021.2.10)
mediopos-2582(2021.12.11)
第2回目の「目的もなく遊び続けろ」に続き
先日刊行された新書
國分功一郎『目的への抵抗』とも関連した
第3回目の対談となっている
(mediopos-3079(2023.4.23)でとりあげている)
現代のもっとも強力な宗教は資本主義である
「なんでもお金に換えよ!」という教義のもと
すべてがお金を得るための手段となっている
そしてお金につながらない時間を
無駄であるようにさえ感じさせられている
(まるでエンデの『モモ』の時間泥棒のように)
そしてそのために競争し
そこで勝たなければならない
ということが刷り込まれている
学問の世界でも
「お金」や「評価」につながる
業績をいかに蓄積するかが問題になり
(予算獲得が目的でもあるから)
根源的な問題については
論じられにくくなっているようだ
根源的な問題とはたとえば
なぜ学問をするのか
その学問とはいったい何か
業績をあげる研究とはどのようなものか
そしてなぜ業績を挙げることが目的になるのか
その研究の先にはいったい何があるのか
そういった問題でもある
それは資本主義という宗教においては
なぜお金がすべての価値の中心になるのか
お金がお金を生むということは
ほんらいどういうことなのか
そしてその先にはなにがあるのか
なぜ生活に必要なお金以上のお金を
過剰に儲けようとするのか
といった問いでもあるだろうか
前回ベンヤミンの示唆する
「目的なき手段」についてとりあげたが
その際に
人間の存在意義は「遊び」であって
「遊びを忘れたら、人間はダメに」なる
ということについて考えてみた
お金という目的に縛られたとき
人間はダメになってしまうということだ
ある意味麻薬のようである
今回の対談では
そうした「遊び」につながる
「夕日を見る」「滝を見る」といった話がある
夕日をきれいだなあと思って見ている時間は
資本主義的にいえば無駄だが
「美しさ」や「崇高」の経験は
人間の生にとってかけがえのないものである
資本主義はそうした「経験」についても
商品化する以外の位置づけはできないだろうが
商品化されたそれは既に「目的」となっている
そしてすべては「ビッグモーター」の事例のように
「目的」のためには手段を選ばないような
そんな社会になっていることに
「仕方ない」としか思えなくなってしまっている
その「仕方ない」は政治の世界でも
官僚をふくむあらゆる組織においても
そこでは「上」から降りてくる「目的」に対して
疑問をもたず従うしかなくなっている
そしてみんながアイヒマン化していく
そこから「自由」になるためには
まずそこで「目的」とされていることを意識化し
それがじぶんの「自発性」とどう関わっているのか
そのことを問い続ける必要があるだろう
そしてもし「自発性」そのものを
見いだすことができないとしたら
まずはそこから問いをはじめていく・・・
アイヒマンにならないために
■【対談】國分功一郎×若林正恭
「ビッグモーター化する世界の中で」
(文學界 2023年10月号)
「若林/前の國分先生との対談で、僕は資本主義を煽るのが一体誰なのか探している人間なんですと話したと思うんですが、『目的への抵抗』を読んでいたら、誰というだけじゃないんだなと。例えばもう少し業績を上げたいという商品を出す側の気持ちが積もったり、そういう大いなる流れがあるんだなと思いました。
國分/その「大いなる流れ」の正体は何なのか、実は学問的にもきちんとした答えは出ていないと思います。人間には利潤を求める本性があるし、競争からも逃れられないと言って言えないことはないけれども、使いもしないお金を金融資本主義で稼ぎ続ける、こんなわけのわからない競争を行うことが本当に人間の本性だなんて言えるのか。僕は絶対にそんなことはないだろうと直観してますが、でも、ではなぜ今のようになっているのかと言われると、十分には答えられない。
いままでも様々な答えがありました。ただ、最近は学問も細かくなりすぎちゃって、「なんでこんなに大騒ぎしてお金儲けしてるんですか?」というすごくシンプルだけで極めて重要な問いが考えられていない気がする。
若林/この問いは経済の分野ではあるけれど、哲学の分野でもあるんでしょうか。
國分/経済学はもともとは哲学の一部だったんです。今でこそ経済学は完全に計量的な理系科学になってしまい、文系の哲学とはまるで無関係であるかのように振る舞っていますが。すこし前まではこういう大きな問いを哲学的に考える経済学者はたくさんいましたし、今でもいます。むしろ哲学の方が社会全体に関わる大きな問いに向かわなくなってきているかもしれない。情けないことです。
学者が業績づくりに追われて、大きなビジョンを示せなくなっているという大きな傾向もあります。たくさん書類を書いて、研究費を取ってこなきゃいけない。資本蓄積みたいに業績を貯めなければいけない。だからのんびりと、なんでこんなに人間は金融資本に煽られているんだろうかなどと考えられなくなっている。」
「若林/前に國分先生が、時間の価値が高騰しているとおっしゃっていましたが、キューバやモンゴルでは皆めちゃくちゃ夕日を見ているんです。夕日を見て、沈んでからもずっと外で喋っている。そして沖縄の人たちもまあまあ夕日を見ている。一人で原付で来た若い兄ちゃんも見ているし、地元っぽいおじさん、おばさんも見ている。もし東京の、表参道の歩道橋の上で15分夕日を見ていたら、「なんか悩んでるの?」とか言われますよね。
國分/これはいい話ですね。夕日を見るのは、すごく充実感があるんでしょうね。とにかく綺麗で。
若林/そうなんですよ。これを笑えちゃうのは危ないなろ自分でも思うんですけど、パリでも僕と同じ年くらいの男性が、ナタみたいなのとココナッツを持って。喋りもせずにずっと夕日を見ている(笑)。東京のどこかのオフィスのベランダで、8人並んで夕日を見ていたら、何やってるんだって言われますよ。でも子どもの時から東京で育ったら、そうなりますよね。この夕日を見ている時間は何の時間なんだ、って。お笑いでも「これ何の時間」とか「時間返せ」っていうツッコミがある時から増えたんです。時間の浪費がボケになる時代になった。
國分/でもナタ持って立っているお兄ちゃんと僕たちの時間は一緒のはずで、向こうがすごく長生きなわけでもないでしょう。けれど彼はそういうことができる。
若林/自然を見ることがどう人間に働くのかはわからないんですが、アイスランドでとてつもない滝を見た時にも思ったんです。落ちたら死ぬだろうという滝を、なんでこんなにたくさんの人が見ているんだろうと。何かの本に、大自然を見ている時にひとたまりもないと思うことが、命の輪郭を明瞭にする効果があると書かれていて。それが美しさに繋がっていく。夕日を見ていると、東京で競争していることが陳腐に思える。つまり資本主義の大ボスみたいなのがいるとしたら、夕日を見て満たされたら困るわけですよね。
國分/夕日なんて毎日見えますからね。あと4時間で最高の時間が来るぞって皆思っていたら、お金を使ってくれない。若林さんは夕日の話をされたのは、とても印象深いです。哲学には美しさと崇高の区別というのがあります。おそらくアイスランドの滝は崇高なんですね。圧倒的にすごいものを見て、こっちが飲み込まれてしまうようなんだけれども、なぜか満足感がある。それに対して、夕日を見るのは、綺麗なバラを見るのと同じような、美しさの経験じゃないかと思います。
美しさと崇高については哲学の中でいろいろと複雑な愚論があるんですけど、とにかく大切なのは、そういうものを経験している時は心が活発に動くってことです。想像力や理解する力が働いて、心が活気付く。だから心地良い。それは仕事で無理にやらされる場合とは違って、自発的に心が動くことです。自発性を感じることは人間にとって心地よいことなんだと思います。
若林/考えると、暖かくて自然が豊かなところはそんなに資本主義が盛り上がっていない印象があります。
國分/それはあると思いますよ。ヨーロッパでも資本主義は北側から始まりますし。美味しいものがあって、毎日きれいな自然が見れて、街に芸術もあったら、別にあくせく働いて金儲けする必要なんてないよってなるんじゃないか。
前回、「資本主義は宗教である」というベンヤミンの言葉を紹介しました。かなり過激な言い方ですが、ベンヤミンのこの言葉の背景にはマックス・ヴェーバーの学説があって、ヴェーバーは「きちんとお金を貯めて、真面目に働きなさい」というプロテスタントの考え方が資本主義をスタートさせたのだと言ったんですね。つまり、資本主義という経済現象の起原には。プロテスタンティズムという宗教現象がある、と。これは大変有名な学説なんですが、大体正しいんじゃないかと思います。資本主義が酷くなって今では、ヴェーバーの学説を過激化したベンヤミンの言葉も十分に理解できるものになっている。」
「若林/資本主義が極まっていくと、資本主義というシステムを外から見ること自体もなくなる気がします。極端ですけ、ビッグモーターの中みたいなことが東京で起きているイメージがある。なんでみんなこんなに忙しくして、市場での価値を上げるために時間を使い、ものを買うのか。この疑問を持ち始めてからもう5、6年経つんですけど、止まらないんだろうなと思うんです。そうなると、自分の中に哲学というか尺度を少しでも持っていくしかない。
國分/東京がビッグモーター化しているどころか、世界がそうなっているかもしれないですね。(・・・)ビッグモーター化した世界の中では、「でも俺たちこれ以外、経済のやり方わからないし、仕方ない」となってしまう。
(・・・)
若林/世界がビッグモーター化しているということは、世界がビッグモーターだから、そこからビッグモーターが生まれたみたいなところがありますものね。もう意味わからないですけど(笑)。僕も他人事と思っていないから、こんなに興味があるのかもしれません。もしかしたら木に除草剤を撒くような番組作りをしてしまうかもしれない。それが怖いなと思いました。」
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