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【対談】小川洋子×東畑開人「一人になること、寂しさについて」(群像2024年11月号)/小川洋子『耳に棲むもの』

☆mediopos3630(2024.10.27.)

昨日(mediopos3629)は「歴史的思考」における
「物語」についてふれたが
今回は小説と心理療法における「物語」の重要性について

小川洋子原作・山村 浩二監督のVRアニメーション
『耳に棲むもの』から生まれた
もうひとつの物語(連作短編小説)が
『群像』で連載後単行本化されたのを記念?して
『群像』誌上(2024年11月号)で
小川洋子と東畑開人の対談が掲載されている

小説の主人公は補聴器のセールスマン

「骨壺のカルテット」
「耳たぶに触れる」
「今日は小鳥の日」
「踊りましょうよ」
「選鉱場とラッパ」

という五編の短編小説のなかに
セールスマンはさまざまなかたちで登場し
「耳に棲むもの」についての物語が生まれている

「耳に棲む」ということは
内なる声に耳を傾けるということでもある

「サラリーマンは、少年のころから、耳の中に
ドウゲツエビと四人の音楽隊(カルテット)が棲」んでいる

それは「心がかき乱されて涙が出てきたときに、
涙を音符にして音楽を鳴らして
心を静めてくれるイマジナリーフレンドで、
それは誰にも説明できないし
説明する必要もない自分だけのもの」

私たちは「一人になることの難しさに直面している」
現代では「外の世界の問題を
どうやって処理していくか」ばかりに目が向き
「内に向かって」いくことがむずかしくなっているのである

フロイトによれば私たちは無意識のなかに
「厳しい上司」という超自我をもっていて
それをどうやって受けいれるか
あるいは押し込めておくことが自我の仕事だとしているが
ユングはそこにクリエイティブなものがあるととらえている

村上春樹の井戸の話を使っていえば
「井戸の底には禍々しいものではなく、
清らかでおいしい水がある」
つまり「一人になること」でこそ
得ることのできる宝物があるということである

小説はその仮構された物語世界ゆえに
現実の人間関係のなかでは得られない
「一人一人が秘密として抱えている、
外側からは規定できないものの中に分け入って」いくことができる

そして小説のなかでは
それを理解し共感するというだけではなく
「理解できない人、価値観が違う人、
あるいは自分は絶対にこういう生き方はしないという人とも」
ふれあい会話を交わすこともできる

しかしそれは「手術や抗生物質で人を短時間に変えて」いく
医学のようなありかたではない

心理療法もそうだが
「どうにも変わらなさそうな人が、時間を過ごしていく中で
きつい思いをしたりして追い詰められたりして、
それまでとは違った眼差しがあらわれてくる。
そこに物語が生まれる」
そんな時間を生きるということ

小川洋子は「寂しさこそがその人の本質」だという

それは「その人が骨になったとき、魂だけになったときに、
自分のものとしてあの世に持っていける最後のもの」で

「現世で出会った人たちとさよならして、
自分のことを知っている人は誰もいなくなったあの世で、
自分が自分であることを証明してくれるものが、
私にとっては「寂しさ」」なので
作者としては『耳に棲むもの』の
主人公のサラリーマンのような人が大好きなのだと・・・

「寂しさを秘密にして誰にも話さないことのつらさ」もあるが
「「秘密」は、自分だけのものにしておける物語になったとき、
ある種の救いが訪れる」
そして「寂しさを抱える運命がその人の土台となる」ともいえる

寂しさのなかで内なる声に耳を傾け
そこで生まれる物語には
心を豊かに探り下げてゆく力がある

それはいわゆる承認欲求の対極にあるともいえる
承認欲求は外的につくられた物語に従って生き
そこでの評価を求めるものだからである

■【対談】小川洋子×東畑開人「一人になること、寂しさについて」
 (群像2024年11月号)
■小川洋子『耳に棲むもの』(講談社 2024/10)

**(【対談】小川洋子×東畑開人「一人になること、寂しさについて」より)

・物語を他者と語り合うこと

*「東畑/小川さんの小説は、内に向かっていきますよね。

 小川/『耳に棲むもの』全五編を通しての主人公と言えるサラリーマンは、少年のころから、耳の中にドウゲツエビと四人の音楽隊(カルテット)が棲んでいます。心がかき乱されて涙が出てきたときに、涙を音符にして音楽を鳴らして心を静めてくれるイマジナリーフレンドで、それは誰にも説明できないし説明する必要もない自分だけのものです。言葉が未発達で物語化できない少年時代に、何がその代わりになってくれるかというと、天井についている生きもののような染みだったり、あるいは耳の中に飼っている自分だけのエビとカルテットだったりするんかないかなと想像したんです。

 東畑/サラリーマンのその感覚は、僕個人にとっても心理学にとっても、軽視されがちなものを思い出させてくれるような感がありました。臨床心理学ではここ二十年くらい、外の世界の問題をどうやって処理していくかが重要な問題でした。それだけ社会が生きづらい、厳しいものになったからです。すると、他者とつながることが生き延びるためには大切で、一人になることは、どちらかというと悪いことだと捉えられてきたんです。僕も、本を書くときはやっぱり人と人のつながりが一番大事なんだと考えたし、臨床でもそう思ってやってきたんですけど、耳の中で自分のためだけの音楽が鳴っているとか、ドウゲツエビが泳いでいるというようなきわめて個人的な世界への憧れを、大学に入ったころは持っていたことを思い出しました。『耳に棲むもの』を呼んで、うまく感想が言葉にならないのは、内側の世界を語る言葉が貧しくなっていたからかもしれないです。

 小川/自分の内側と向き合うのはしんどいことであって、外の世界に手っ取り早く単純で面白いことがあれば、そっちに行くほうが楽ですよね。スマホを開けば、いくらでも時間が潰せる。むしろ今の人は一人になることの難しさに直面していると思います。

 東畑/本当にそうですね。

 小川/どうやったら一人になれるか。全てを遮断して、村上春樹的に言えば井戸を掘って、自分の地下二階、三階に降りていけるか。まずは、その井戸の入口が探せないという状況なのでしょう。別に探さなくても日々は流れていくから、本も売れなくなってきているんだと思います。」

・自分の内側の声に耳を傾ける

*「小川/私が東畑さんのご本を何冊か呼んで一番深く納得したのは、「自分の中にいる上司は厳しい」ということでした。自分の中にいる上司は現実の上司よりも厳しくて、「そんなんじゃダメだ」といつも怒ってくる。そういう自分一人に向かってくる内側の声を消してくれるのがイヤホンなんですね。私もやっぱりそういう上司がいて、怖いんですよ、小説を書いていて誉められたことがありません。「何だ、これは。もっとうまく書けるはずだ」と、怒鳴られています。」

「東畑/厳しい上司というのは精神分析で言うと「超自我」というもので、フロイトがつくったモデルなんですね。フロイトは、心の奥にはクジラのように破壊的なエスがあるとか、厳しい上司のように取り締まってくる超自我があるとか、無意識を怖くて危険なものとして描いています。それをどっやって受け入れるか、もしくは押し込めておくかが自我の仕事で、それがうまくいっているのが健康だという発想です。だけどユングは、そこにもうちょっとクリエイティブなものがあると考えるんですね。
 先ほど村上春樹の話がありましたが。井戸の底には禍々しいものではなく、清らかでおいしい水があるというのが、『耳に棲むもの』を読んで感じたことでした。つまり、一人になることの良さが語られてますね。

 小川/心の上司がいるからこそ小説を書けるわけで、その人に去ってもらいたいとは思わない。厳しくつらいけれども、超自我は決して悪者ではないんです。」

*「小川/これは霊長類学者の山極壽一先生が言っていたのかな。意識や心が生まれたのは人間が言語を獲得した最近になってのことだから、身体が蓄積してきた記憶のほうがずっと歴史が長くて、脳より身体のほうがお利口なのは当然ですと。心とは何かという問いを、いろいろな心理学の本を当たっていくと、「身体じゃないもの」という否定形でしか定義されていないのにも、びっくりしました。

 東畑/最近、思想や文学の世界であっても心の形勢は不利ですね。身体や社会については盛んに語られていますが、心固有の領域への関心が大きく低下しているように思います。でも、真面目に心の仕事をしている身としては、個人である、他人とは違う、自分だけの秘密があるというところに、やっぱり心の強い固有性があると思うし、生き延びていくために誰かとつながることも大事なんだけど、同時に心の中に秘密の部屋があることの良さも語っていきたいなという気持ちがあるんですよね。

 小川/小説もそこなんです。一人一人が秘密として抱えている、外側からは規定できないものの中に分け入っていく。その人がお墓まで持っていこうと思っている秘密を覗かせてもらって、物語にしているんです。これは作家の特権ですね。「選鉱場とラッパ」の主人公が、少年だったころに犬を足蹴りにしたのも、彼はきっとお母さんにも言わなかっただろうし、親友にも言わなかった。成長した後で思い出しても、恋人にも言わない。だけど、私はそれを見てしまったんです。

 東畑/秘密というものには心を成り立たせる力があります。ただ、ミステリーだと秘密が明かされていくじゃないですか。最終的にその秘密は登場人物たちが共有するものになって、みんなの心が癒やされる。一方で、『耳に棲むもの』は特にそうですが、秘密は最後まで秘密にされる作品もありますよね。」

*「そんな彼の秘密を、作家である小川さんだけは知っているんですよね。読者もまた、登場人物の頭の中を覗き見させてもらって、謎めいた物語が謎のまま頭の中に残っていく。それによって心がモヤモヤするのではなく、温かい気持ちになる。これはとても不思議な体験だと読んでいて思いました。

 小川/理解して共感するだけが全てではないとうことでしょうね。人には、他人には決してわからない部分があり、他人が決して踏み込んではいけない領域がある。しかし、そのことによって心が遠ざかるんじゃなくて、むしろ近しく感じることが、人間関係の中で起こるべきなんです。単純に言っちゃうと、この人は自分とは宗教が違う、だから自分とは遠い人だ、敵だということになってしまったら、それは危険なことです。自分にとって理解できない人、価値観が違う人、あるいは自分は絶対にこういう生き方はしないという人とも、小説の中でじゃ触れ合える。会話を交わせるわけです。
 そして、ある人物を拒絶したり抹殺したりする権利は作家にはありません。作家はジャッジする立場ではなく、ただこういう人がいますよと読者に差し出しているだけ。読者もそれを受け取って、あ、こういう人間もこの世の中にはいるんだなと思ってくれればいい。そこには共感とはまったく違う心の働きが必要なんだと思います。」

・個人的世界が文学を豊かにする

*「東畑/『耳に棲むもの』では、小川さんの原作を山村浩二監督が映像化したVRアニメーションも含めて、いろいろな角度から主人公の人生を切り取っていくわけじゃないですか。核心がどこにあるかはよくわからないけれど、映像や小説を通して、サラリーマンの謎がだんだん立体感を持って迫ってくる。読者に中に、こういう人がいたんだなという感覚が生まれてくるには、彼をいろいろな角度から見ることが大事なのだろうなと思いました。

 小川/そもそもVR映画をつくった段階で、『耳に棲むもの』の仕事は終わりのはずでした。それを「群像」の編集者から「これをもとに連作短篇を書いてください」と言われて、面倒くさいことを言うなあと思いながら書いていったんです(笑)。でも、振り返ると、やってみてよかった。五作の短編によって、VR映画のために考えた粗筋とは全く違うものが見えてきて、一つの作品をより掘り下げていくことができました。」

*「東畑/僕はカウンセリングをしていて、どのクライアントに対しても常に悩むことがあるんです。それぞれの人に一方で小鳥ブローチをつくっているようなきわめて個人的な生き方があって、もう一方で公務員もやっているような公共的で、社会的な生き方もある。僕の仕事は、どうしても公務員をちゃんと続けられるようにすることに価値を置くところがあります。公務員辞めて、小鳥ブローチだけの生活になっちゃうと人生は危険になりますかた。

 小川/そして、本人も周りも実生活をちゃんと送りたいと望んでいる。

 東畑/そうなんです。社会的に安全に生きていけるようになりたいと。でも、小鳥ブローチをつくることがその人にとっての実存というか、生きる上で重要なことであるのも事実です。で、うまく使い分けられたらいいのでしょうけど、往々にしてそううまくいかなくて、二つがバッティングして、苦悩するわけです。その人らしさと社会的な望ましさの間の葛藤というか、カウンセリングの中で今はどっちを大事にすべき段階なのかについて、いつも悩んでいます。

 小川/つまりその人の中の時間の問題ですよね。自分にとって今はどういう時期なのかを見極める。その人が苦しみながら井戸を掘り続けていって、ようやく見つけた泉でかわいい小鳥が水浴びをしていた。それを否定されたらもう地上に戻っていけないというときに、「公務員で頑張りなさい」と言うのは残酷です。」

*「東畑/前から小鳥ブローチを持っていて、公務員としても頑張ろうとしていたんだけど、ブローチの存在がどんどん大きくなることで緊張感が増し、実生活がヤバくなっていく。するとそこに物語が生まれてきますよね。小鳥ブローチと公務員がせめぎ合う物語。そういうものがおそらく個性なんでしょうが、なかなか大変ですよね。

 小川/カウンセリングは、そうやって物語が生まれる瞬間にもっていくためのものでもあるのでしょうね。だから時間が必要になってくる。

 東畑/長い時間が必要です。小鳥ブローチの話をできるようになるには年単位ですね。」

*「小川/なぜ日本人は銀座のバーのホステスさんをママと呼ぶのか、私はずっと不思議でした。モーレツサラリーマンたちが夜疲れて銀座のバーに行って、ママにいろいろ聞いてもらう。あれも一種のカウンセリングじゃないかなと思うんです。

 東畑/僕は昔、京都に住んでいたときに、祇園のスナックでバイトしていたんですが、お客さんの七割が国税庁の職員でした。夜になるとドーンと扉を開けて、「おかあちゃん、いる? 型オケ歌うぞ」とか言うんです。昼は国家に自分を同一化して仕事をしている人が、夜はママさんに「あんた、そんなことしているからダメなの」と怒られて、嬉しそうに「ごめん」とか言っている。(・・・)

 小川/ママとはそういう存在なのでしょうね。」

・ケアする喜び、寂しさの肯定

*「東畑/『雨の日の心理学』では、ケアすることの楽しさも書きました。今、ケアが「する」というより「させられる」こととして悪く語られやすい。それは事実でもあるんです。ケアを押し付けられることは多々ある。ただ、ケアすることには喜びもあって、そこには人生を支えるだけの地下があると思うんです。

 小川/おしゃる通りです。さきほど、見返りを求めない、と言いましたが、実は目に見えない、こちらが捧げた以上の恵みを与えられている。そこに感謝できる人生でありたいと願っています。また、ケアは特別なことじゃなくて日常にありふれていることでもありますよね。「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」を言うだけでもケアであると東畑さんも書かれていて、なるほどと思いました・」

*「小川/ケアとセラピーの違いについてもよくわかりました。ケアというのは、相手が頼ってくることに応えてお世話してあげること。セラピーというのは、相手が持っている傷と、ある意味、真正面で向き合うこと。相手のニーズを変更する、あるいは保留にするのには時間が必要で、痛がっている人に絆創膏を渡すような即効性はないけれど、時間を使って、その人の持っている苦しみを保留したり、別の種類に変えたり、痛みの居場所を変えてあげたりする。

 東畑/小説も、そういうものなんじゃないですかね。時間によって人は変わっていくということが書かれていますから。たとえば、医学は手術や抗生物質で人を短時間に変えていきますが、それだと物語にはならない。どうにも変わらなさそうな人が、時間を過ごしていく中できつい思いをしたりして追い詰められたりして、それまでとは違った眼差しがあらわれてくる。そこに物語が生まれる。」

*「東畑/小川さんの小説には、寂しさの肯定がありますよね。でも、寂しさの肯定とは、いった何なのでしょう。

 小川/寂しさこそがその人の本質で、その人が骨になったとき、魂だけになったときに、自分のものとしてあの世に持っていける最後のものなんじゃないかなと思っています。人によっては、それは「怒り」だという人もいれば「愛」だという人もいると思いますが、私にとっては寂しさなんだということが、小説を書いていくうちにだんだんわかってきたんです。現世で出会った人たちとさよならして、自分のことを知っている人は誰もいなくなったあの世で、自分が自分であることを証明してくれるものが、私にとっては「寂しさ」なので、主人公のサラリーマンのような人が大好きなんです。

 東畑/寂しさを抱えて生きていくことのよさですね。

 小川/でも、寂しさを秘密にして誰にも話さないことのつらさもあります。アンネ・フランクたちを隠れ家にかくまって支援したオランダ人の女性にインタビューをしたとき、「その時代に一番つらかったことは何ですか」とお尋ねしたら、「秘密を守ることです」とおっしゃったんです。配給がなくてお腹が空いたとかいつ爆弾が落ちてくるか心配事がいっぱいあった中で、一番つらかったことは、秘密を守らなくちゃいけないことだった。それを聞いて。あの時代を生き抜いた人たちの心のありようには、現代人にはわからないことがまだまだあるなと思いました。

 東畑/僕らのところに来るクライアントにとっても、秘密を抱えているということはすごくしんどいことです。だからこそ、それを誰かと分かち合うには時間がかかるし、打ち明けることができたらすごく楽になる。寂しさのよさと秘密のつらさには、重なり合う部分があると思います。

 小川/「秘密」は、自分だけのものにしておける物語になったとき、ある種の救いが訪れるのでしょうか。その物語の根源を寂しさが支えている。寂しさを抱える運命がその人の土台となる。いずれにしても心を豊かに探り下げてゆくためには、物語が必要だ、というところに着地できました。」

***小川洋子『耳に棲むもの』に収められている五編の短編小説のさわり

「骨壺のカルテット」
補聴器のセールスマンだった父は、いつも古びたクッキー缶を持ち歩いていた。亡くなった父と親しかった耳鼻科の院長先生は、骨壺から4つの骨のかけらを取り出してこう言った。「お父さまの耳の中にあったものたちです。正確には、耳の中に棲んでいたものたち、と言えばよろしいでしょうか……」。

「耳たぶに触れる」
収穫祭の“早泣き競争”に出場した男は、思わず写真に撮りたくなる特別な耳をもっていた。補聴器が納まったトランクに、男は掘り出したダンゴムシの死骸を収める。

「今日は小鳥の日」
小鳥ブローチのサイズは、実物の三分の一でなければなりません。嘴と爪は本物を用います。
残念ながら、もう一つも残っておりませんが。

「踊りましょうよ」
補聴器のメンテナンスと顧客とのお喋りを終えると、セールスマンさんはこっそり人工池に向かう。そこには“世界で最も釣り合いのとれた耳”をもつ彼女がいた。

「選鉱場とラッパ」
少年は、輪投げの景品のラッパが欲しかった。「どうか僕のラッパを誰かが持って帰ったりしませんように……」。お祭りの最終日、問題が発生する。

◎耳に棲むもの

2023アジアデジタルアート大賞展FUKUOKA
アジアデジタルアート大賞、経済産業大臣賞
*一般カテゴリー/エンターテインメント(産業応用)部門から選出
耳に棲むもの
監督:山村 浩二
原作:小川 洋子
脚本:小川 洋子・山村 浩二
プロデューサー:石丸 健二
エグゼクティブプロデューサー:野間 省伸
音響監督:太田 昌孝
音楽:上野 耕路
CGディレクター:Gee Yeung
リードUnityエンジニア:Jorge Pedrero Reyna
ラインプロデュサー:鹿野 由美子
プロダクションマネージャー:玉那覇 優衣
企画・制作:講談社VRラボ

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