エルメス財団『Savoir & Faire 木』 /西岡 常一・小川 三夫 ・塩野 米松 『木のいのち木のこころ―天・地・人 』
☆mediopos-2473 2021.8.24
職人でありたい
機械になってしまうのではなく
手と技と知恵を使って生きるということだ
ここでは「木」がテーマとなっているが
「木」とのかかわりだけではなく
生きることすべてにおける「職人」のこと
手先の不器用な哲学者はいないという(シュタイナー)
言葉をかえれば「職人」であることをやめたとき
もはや哲学者とはいえないということだ
神秘学的にいえば生きた思考をするいうことは
はるかな過去において手を使った結果だという
つまりは今「職人」的であろうとしないならば
やがては生きた思考のできない人間になってしまうのだ
最後の宮大工棟梁といわれる西岡常一氏はこう語る
「機械の時代が来ましたら、「職人」が消えていきました。」
「時代は科学第一になって、
すべてが数字や学問で置き換えられました。
教育もそれにしたがって、内容が変わりました。」
「個性」を大事にする時代になったといいますな。
しかし、私たち職人から見ましたら、
みんな規格にはまった同じもののなかで
暮らしているようにしか見えませんのや」
「考え方まで、みんなが同じに
なっているんやないかと思っております」
「学校」では「答え」の出し方ばかりを教え
あらたな「問い」とともに生きることをスポイルしてしまう
たとえ「発見法」とかいうことで
「問う」ことを重視しているようにみえても
その「問い」は管理されたものでしかない
そしてみんなが同じ方向を向いて
同じことばかりしか考えられないようになる
職人であるということは
「もの」に対して向き合うことで
「もの」とともにみずからを変えるような
そんな「問い」を生き続けることだといえる
そうすることではじめて真の「個性」もうまれるのだ
さて新刊の『Savoir & Faire 木』は
「木」という素材に関連して
身体性と精神性をもった職人技や
「木」そのものをめぐるさまざまなテーマが
フランス語版から精選した記事の翻訳と
日本人による寄稿で構成され
「木とは何か」を多角的に捉える意欲的な取組となっている
やっと最近になって
「もの」そのものをいかに深く捉えるかという視点や
それを使って作る高度な「職人技」の重要性が
再認識されるようになってきたことから生まれた企画のようだ
「木」はもちろんだが
「言葉」という素材に至るまで
「職人」的であることがなおざりにされがちな時代となっている
職人的であるということは長い修行の時間をかけて
身体をつかいながら問いを積み重ね成熟させてゆくことだ
「機械やコンピューター」が
人間の「手」をわずらわせずに
いろんなものを作ってしまうようになり
いまや「考える」とされることさえ
AIに肩代わりさせようとしているが
それは「考える」ことではもはやなく
そこに「成熟」ということは存在しない
アンチ・エイジングへの志向が
いまやすべてのものに及んでいる
つねにすべてをあらたなかたちでとらようとする
永遠の幼さは必要不可欠だが
すべてを幼稚な仕方でしかとらえられないのは
ただの幼児退行以外のなにものでもない
■エルメス財団 (編集)『Savoir & Faire 木』
(講談社選書メチエ 2021/8)
■西岡 常一・小川 三夫 ・塩野 米松
『木のいのち木のこころ―天・地・人 』
(新潮文庫 2005/7)
(『Savoir & Faire 木』〜ユーグ・ジャケ「ものづくりの知恵とわざ」より)
「私たちは、手わざと精神を繋ぐ生物学的連携の記憶を失ってしまった。以来、多くの社会において、ある職能を持った者が社会的重圧のもとに置かれることになった。だが、ものづくりの能力というものは多層的であり、単なる技術の習得以上のものである。素材を加工することにより、職人は自らの環境についての知恵を身につけることになる。それは長い時間をかけて、手と精神に刻み込まれ、世界における自らのありようも変化させるものである。触知可能な世界をいかに理解するかということは、環境問題が喫緊の課題となっている現在において、天然資源をどのように有効活用するかを考える上で重要な鍵となる。
真理利源を用いる職人は、それがエンジニアであろうと建築家であろうと、それぞれの環境から生み出された素材と正面から向き合うことになる。森林、あるいは樹木自体が人間の身体になぞらえて語られることが多いのも、理由のないことではない。科学的な視点からは部分的には間違っているものの、そのような表象は私たちの集合的な記憶と密接に結びついている。私たちの目には、樹木は呼吸し、生長し、死ぬのである。根があり、幹があり、頭があるのである。西欧中世において最もとく引き合いに出されたのは性的に文化した種類であり、菩提樹は女性で、樫は男性だった。樹木にも人格があると考えられ、会いたい者と、会いたくない者があった。この集合的な想像力は、生きた組織同士が無関係ではいられないことを直感的に理解させるものであり、それは現代社会においても忘れられてはいない。デザイナーのエルワン・ブルレックは、椅子に木材を用いることは単に自然の要素を取り入れるということ以上に、あるプシュケー(魂)を召喚することに等しいということに注意を払うべきだと述べている。木材は多くの意味で身体に近いものであり、その椅子が人間工学に即したものとなるのはそれゆえである。」
「今日において求められるものの大部分は、戸惑うほどに職人の手わざが持つ価値との共通点が多く、その展開の仕方や、世代を超えて受け継がれるさまはかえって貴重なものとなった。ものづくりの技能は一つのベクトルのようなものとなり、技術的のみならず社会的、経済的なイノベーションの実験場となるのだ。素材を大事にし、ともに働く人を敬うこと、より良いものを作りたいという気概を持つことや、問題を理解しつつ身につけた技能を応用して解決することなどは、ものづくりの職能に含まれる豊かな要素の一部である。このような職業形態は、大きな組織の大部分において見られる月給制の勤務形態と対をなすものである。」
「職人の仕事からは、時間そして過去に対する関わり方への謙虚な姿勢を学ぶことができる。多くの職人にとって、長い時間をかけて獲得された経験は決して軽視されることはなく、その総体は、社会や技術の進歩によるもたらされた新しい道具や可能性を検討するにあたり一つの道標となるのである。数千年に亘って受け継がれてきたものづくりをノウハウをベースとするこの遺産は、やみくもに過去を愛する姿勢からのみ生まれるものではない。逆に、今日の発展をよりよく理解するためのチャンスとして捉えられている。クロード・レヴィ=ストロースは、未来に対知る希望的観測に基づき、進歩の追求を建て前として自らの過去を徐々に摩滅させるのではないかという懸念について繰り返し言及している。一九八七年のインタビューにおいて彼は、「人類は、自らのルーツを忘却することと、自らの数の多さに押しつぶされること、という二つの脅威に晒されている。過去への忠誠と、科学技術による変革との板挟みになりながら、世界中のあらゆる国々の中でただ日本だけがバランスをとる術を見つけたように見える。(中略)かの国が、過去の伝統も現在のイノベーションの間の均衡を長く保っていられることが望まれるが、それは彼ら自身のためだけではなく、人類全体の手本となり、思索のタネとなりうる」と表明している。」
「職人の活動、とりわけ木材を扱う分野はその作法と方法で、地球環境に配慮した暮らしを考え直す必要に迫られた局面において独自の提案を示すことができるほどに革新が進んでいる。それはつまり素材に対する独自の姿勢であり、その利用に際して無駄を省き尊厳を大事にする姿勢、さらには生産されたものをどこで、どのぐらい長く使えるか、という視点である。個性を際立たせたいという現代人の要求に対し、職人の技術は物理的に応えることができる、それが可能となるには、職人が自らの職能を過去の時代のから受け継いだ秘密から切り離し、他の職域の人々と協働して、手わざと産業技術というそれぞれの技術とその価値を生かしたハイブリッドな形を生みだすことを受け入れなければならない。近代を出自とする態度や論争を乗り越えるには、それぞれのものづくりのあり方が尊重され共有される協働の情報が不可欠である。」
(『木のいのち木のこころ―天・地・人 』〜《「天」西岡常一》より)
「機械の時代が来ましたら、「職人」が消えていきました。機械やコンピューターが、職人が代々受け継いできた技と知恵を肩代わりして、ものをつくってくれるようになったんです。
時代は科学第一になって、すべてが数字や学問で置き換えられました。教育もそれにしたがって、内容が変わりました。「個性」を大事にする時代になったといいますな。
しかし、私たち職人から見ましたら、みんな規格にはまった同じもののなかで暮らしているようにしか見えませんのや。使っている物も、住んでいる家も、来ている服も、人を育てる育て方も、そして考え方まで、みんなが同じになっているんやないかと思っております。
私は自分でも職人として修行しましたし、たくさんの腕のいい職人と一緒に仕事をしてきまして、職人の仕事は機械では代われんものだということを強く感じております。一人前の職人になるためには長い修行の時間がかかります。近道や早道はなく、一歩一歩進むしか道がないからです。学校と違って、頭で記憶するだけではだめです。また本を読んだだけでも覚えられませんな。たくさんの人が一緒に同じことを学んでも、同じ早さで覚えられるものでもありません。
自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ、昔の人が考え出した知恵を受け継がなくてはならないのです。なぜならすべての仕事を基礎から、本当のことが何なのかを知らずには何も始められず、何をするにしても必ずその問題にぶつかるからです。途中を抜かしたり、借りものでその場を取りつくろっても最後には自分で解決しなくては職人の仕事は終わりません。」
◎『Savoir & Faire 木』【目次】
日本語版に寄せて オリヴィエ・フルニエ
ものづくりの知恵とわざ ユーグ・ジャケ
木はリゾームである、そして非有機性のほうへ 宇野邦一
I 木と出会う
木材を知り、見分け、名付ける ポール・コルビノー+ニコラ・マッキオーニ
日本人にとっての木 有岡利幸
中世における木 ひとつの文化史ミシェル・パストゥロー
ひと 内藤礼
II 木と生きる
日本の木造建築の歴史と特質 藤森照信
デザイン、工芸、そして工業における素材の技術的発展 レイモン・ギドー
木工家具とDIYスキルの可能性 石巻工房
パリ工芸博物館所蔵品の道具についての考察 エリック・デュボワ
木と仏像 藪内佐斗司
森は目である。その目には視線が刻まれている ジュゼッペ・ペノーネ
III 木と感じる
「木」と食の文化 小泉武夫
日常の木の器 仁城義勝/仁城逸景
わずかな素材できわめて優美な物を作るという、いともシンプルな発想 エルワン・ブルレック
香る木 ジャン=クロード・エレナ
木と熙 山本昌男
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