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四元 康祐『日本語の虜囚』/シンポジウム「詩の翻訳、詩になる翻訳」

☆mediopos2658 2022.2.25

ドイツ在住の詩人の四元康祐は
「詩は翻訳、翻訳は詩。
 これらすべてが翻訳行為である」
「汎心論ならぬ、汎翻訳論を信じる者」であるという

しかし言語を超えて
詩が翻訳できるというのではなく
通常の場合翻訳が可能なのは
言説が「詩の外側」にあるときであって
「詩の内側」の「汎言語的空間」に入りこむとき
翻訳することはきわめてむずかしくなる

四元氏はかつて
「詩の外側」にある言説で詩を書いていたが
詩集『言語ジャック』(2010年)以来
とくに以下に引用してある詩集『日本語の虜囚』(2012年)から
「自分の書きたいと思う作品が、どういうわけか
翻訳することの極めて困難なものばかりになってきた」という

詩の言葉には
「詩の外側にあって詩を指し示す言葉」と
「詩の内側から溢れ出しそれを遡行することによって
詩へと到りうる言葉」という二種類の言葉があるとし
井筒俊彦氏の理論を援用し
前者は分節Ⅰ
後者は分節Ⅱとして説明している

分節Ⅰは「表層言語または論理言語」であり
「山は山、川は川と、世界は事物の本質によって
厳しく規定されている」が
分節Ⅱは「一見分節Ⅰと同じに見えて
実は根源的絶対無分節を潜り抜けてきた深層的な言説」である

詩集『言語ジャック』(2010年)より前の詩は
分節Ⅰとして機能していた詩であるがゆえに
外国語への翻訳も比較的容易だったが
それ以降の詩は分節Ⅱの方へ向かい
「意識と日本語が渾然一体となって
意味論理の岸辺の彼方で波に揺られている混沌状態」であり
それゆえにそこでは「翻訳という概念自体が成り立たない」という
それは「詩から人称というものを消し去り、
意識を日本語の繊維に解きほぐしてゆくような作業」となる

四元氏が「汎翻訳論を信じる」というのは
分節Ⅰのレベルでの詩の翻訳を云々しているのではなく
分節Ⅱのレベルでの詩の翻訳の不可能性を云々しているのでもない
「母語」でしか可能となり得ない表現として
「日本語との腐れ縁の果てに」
「普遍へと到るための固有としての日本語」という意味での
「汎翻訳」の可能性を信じているということのようだ

さてあらためて考えてみると
詩の言語はもちろんだが
言語そのものの深層には
「根源的絶対無分節」のコトバがあるように思われる
その意味ではむしろ母語を使っているときにさえ
その母語なるものはすでに分節Ⅱから
翻訳されたものであるといえる

「詩作」というのは
そういう意味では本来
意識の深層にある「コトバ」からの
純粋な「翻訳行為」をなそうとするものであるといえる

しかし詩にかぎらず
こうして使っている言葉も
すでにコトバから翻訳されたものでもある

個人的に言っても
(日本語以外自由に使えそうな言語は習得していないが)
小さな頃からじぶんの使っている言葉が
どこかわからないところにあるものから
ぎこちなく変換(翻訳ということだが)されたものだという
そんな感覚が強くあり続けている(いまもそうだ)
その「どこかわからないところにあるもの」は
おそらく分節Ⅱの「コトバ」なのだ

その「コトバ」の響きを
どこかで聞きとっているために
詩や詠に惹かれるのかもしれない

■シンポジウム「詩の翻訳、詩になる翻訳」
 伊藤比呂美 菊地利奈 柴田元幸 栩木伸明 藤井一乃 四元康祐
 (文學界(2022年3月号)  文藝春秋 2022/2 所収)
■四元 康祐『日本語の虜囚』(思潮社 2012/10)

(シンポジウム「詩の翻訳、詩になる翻訳」より)

「四元/私はこれまで、いろいろと詩を書いたり読んだりしてきましたが、その節目節目に常に「翻訳」がありました。詩は翻訳、翻訳は詩。これらすべてが翻訳行為である−−−−汎心論ならぬ、汎翻訳論を信じる者でもあります。
 初めて「これが詩というものか!」と認識したのは、アメリカに移り住んで一年たった頃、遊びで書いた英語の詩でした。同時にそれを日本語に訳すということをしてみたのですが、その時、自分が何か巨大な大系の一部に触れたような気がしたことを覚えています。それまで、僕はずっと日本で暮らしていたので、現実と言語が−−−−日本人である僕の場合、それは日本語ですが−−−−密着していて、その間に何も付け入る隙がなかった。それが翻訳ということを通して、現実と言語の間に隙間が生じ、その亀裂を覗いてみたら奥のほうに詩が見えたんですね。
 その後、十年くらい詩から離れていた時期もありましたが、再び出会い直すことになります。そのきっかけも翻訳でした。その時は、読む方ですね。当時、私は三〇代半ばくらいでドイツに住んでいました。サバティカルで来ていた友人のアイルランド文学研究者が詩三昧の生活をしているのに刺激を受けて、僕も彼の読んでいたアイルランドやイギリスの詩を読み始めたんです。でも、僕はそっちの勉強をしてこなかったから、読んでも全然わからない。だから、原書と日本語訳された本とを並べて、言ったり来たりしながら読んでいった。例えば、日本語で中原中也を読んで、肌でわかってグッと来ることはありますよね。でも、その時の体験は、それとは真逆なものでした。言うなれば、詩の上から言葉の薄い甘皮を剥いでいく。そのうちに、言語になる以前の、その詩の裸の姿が表れてくる。それに直接触れるような体験であり、「言語を超えた詩」のようなものに触れた瞬間でもありました。
 そして、四〇代半ばからは翻訳の仕事をするようになったのですが、中でもとりわけ僕にとって大きな意味を持ったのが、古典の新訳でした。ダンテの『神曲』、エミリー・ディキンソン、リルケ・・・・・・それらには、すでに優れた過去の翻訳がたくさんあって、多くの研究もなされている。先人たちの仕事を踏まえた上で、それをもう一度自由に、自分の言葉で訳してみようという挑戦でした。さっきも言ったような、言語を超えた詩の裸の形を体験して、それを自分の言葉で語り直す。結果として、それが現代詩みたいに読めたらいいなと思い、作業を続けていたのですが、ちょうどその頃、僕は、詩論や詩学といったものにも強く関心を持ち始めました。井筒利彦さんの言語哲学、中沢新一さんの著作などを読みながら自分でも詩論を書き、同時に詩の翻訳をやっていたわけです。そういう過程を経て、すべては翻訳、と思い至ったのだと思います。」

(四元 康祐『日本語の虜囚』〜「日本語の虜囚 あとがきに代えて」より)

「つい最近まで、私は日本語から自由になったつもりでいた。今年で二十五年目を向かえる外地暮らしの、日常の意思疎通やら商売上の甘言詭弁は云うに及ばず、詩においてもそうなのだと高を括っていた。個々の言語を超えた「大文字の詩」の存在を疑わず、それこそが我が母国であり祖国であると嘯いていた。
 実際、表面的なレベルでならその言葉に嘘偽りはないのである。ここ数年の私は世界各地の詩祭に足繁く通い、英語を仲立ちにグルジア語からヘブライ語まで、何十カ国もの言語で詩をやりとりしてきた。文化や人種の壁を超えた詩人という種族の存在を肌身で感じ、その共通語としての詩を、ときに辞書を引きつつ、ときに身振り手振りを交えて味わった。そこに束の間出現する詩の共和国に、私が地上のどこよりも郷愁を感じたといってもあながち誇張ではなかっただろう。
 だが事態はそれほど単純ではなかった。『言語ジャック』という作品を書いたあたりから、私は日本語に囚われてしまったらしい。自分の書きたいと思う作品が、どういうわけか翻訳することの極めて困難なものばかりになってきたのである。ましてそういう作品を、母語以外の外国語で書くことなど到底不可能なのだった。」

「どうしてこんな羽目に陥ったのか。この機会に『言語ジャック』以前と以後の作品を比較検討してみよう。以前の私の作品には、物語詩にせよ叙情詩にせよ、ナラティヴというものがあり、その語り手がいた。彼または彼女は平明で論理的な言辞を用いて、日常の背後にある「詩」の存在を指差していた。生活者の現実感とそこへ侵入してくる超越的世界としての「詩」の対比が、私の詩の中核だった。つまりその言説はつねに詩の外側にあったのである。
 これに対して最近の作品は、日常的な現実をすっ飛ばしていきなり「詩」の内側に入りこもうとする傾向がある。それは語り手を持たない。ナラティヴというほどのものすらなくて、あるのが言語だけだ。言語による言語のための言語についての汎言語的空間。そしてどういう因果か、私の場合、その言語は母語である日本語でなくてはならなかったのだ。
 詩の外側にあって詩を指し示す言葉と、詩の内側から溢れ出しそれを遡行することによって詩へと到りうる言葉。この二種類の言葉と「詩」との関係を、井筒俊彦氏の理論における分節Ⅰと分節Ⅱ、そして根源的絶対無分節という概念によって説明することが出来そうだ。分節Ⅰとはいわゆる表層言語または論理言語。ここでは山は山、川は川と、世界は事物の本質によって厳しく規定されている。次に根源的絶対無分節とはそこからあらゆる意識が滑り出すその元の元、意識の最初にして最後の一点、心がまったく動いていない未発の状態をいう。仏教における無の境地である。そして分節Ⅱは、一見分節Ⅰと同じに見えて実は根源的絶対無分節を潜り抜けてきた深層的な言説。平たく言えば「夢の言葉」だ。そこでは事物の本質結晶体が溶け出して、山は山であって山でなくひょっとしたら川かもしれない。具体的には禅の公案や「一輪の花はすべての花」「一粒の砂に世界を視る」といった詩句がこれに近い(井筒俊彦『意識と本質』参照)。
 従来私の書いていた詩は、主題の如何に拘わらず言説のレベルにおいては分節Ⅰとして機能していたといえるだろう。それは事物の本質に裏打ちされ日常の論理に従っているがゆえに、外国語への翻訳も比較的容易であった。これに対して『言語ジャック』以降の詩は分節Ⅱの方へ引き寄せられている。分節Ⅱとは意識の始原状態としての絶対無分節を潜り抜けてきた言説であるが、私にとって意識の始原は赤ん坊の喃語のごとき、あるいはイザナギの剣が掻き回した海のごときどろどろの日本語素(日本語の未発状態)として存在しているらしい。つまり意識と日本語が渾然一体となって意味論理の岸辺の彼方で波に揺られている混沌状態。そういうところには翻訳という概念自体が成り立たない。」

「『言語ジャック』以降の私が取り憑かれているのは、分節Ⅰによって詩を外側から規定するのでななく、分節Ⅱ的な言語を駆使して絶対無分節に溯ろうとする書き方であるといえよう。実を明かせば、詩から人称というものを消し去り、意識を日本語の繊維に解きほぐしてゆくような作業に没頭するとき、私はほとんど恍惚たる快楽に襲われているのである。」

「そのような日本語との腐れ縁の果てにいったい何が待ち受けているのだろうか。少なくともそれは、大和まほろばへの回帰といった類のものではない筈である。願わくば、普遍へと到るための固有としての日本語であってほしいものだ。いつかそのどろどろの日本語素の向こうに、からりと乾いた古代都市のような〈詩〉が現れてくれぬだろうか。たとえそれが遂には〈死〉に回収されるべき幻影であったとしても文句は言うまい。私にとっては、死もまた同様に、絶対無分節のひとつの相に過ぎないのだから。」

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