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『絶版本』

☆mediopos2883  2022.10.9

柏書房編集部が
「あなたが、いまこそ語りたい『絶版本』はなんですか?」
という問いかけをしたところ
本書に収められた二四名からエッセイが集まったという

長く生きていると
思い入れのある本の多くは『絶版本』になっている

じぶんだったらどれをとりあげるだろうと考えながら
どんな方がどんな思いでなにを選んでいるのか
それぞれにそれぞれの思いが詰まっているようだ

そのなかから古田徹也・稲葉振一郎・鷲田清一の
とりあげた『絶版本』について少し

本書の最初に置かれているのは
古田徹也による『吉岡実詩集』(現代詩文庫)である
なんといまはこの本は「品切重版検討中」らしい

古田徹也は吉岡実の「静物」という詩によって
「作品には必ずメッセージがある。それを見つけて書きなさい」
という小学校の先生からの「呪い」から解放される

学校の国語のテストなどでは
「作品が言いたいこと」や「作品のメッセージ」が当然視されるが
たんなる説明文や論説文ならまだしも
文学的テクストにおいてそれを求めることは
基本的に言葉の働きに対する錯誤となってしまう

それを「呪い」だと感じとる力のないまま
言葉にかかわることを続けると
言葉はただのただの記号でしかなくなる

たしかに吉岡実の詩にふれることは
そうした「呪い」からの解放にもなり得る
というのは深く頷ける
しかし書店で吉岡実の詩集をはじめ
「良質な現代詩の多くが書店から消えてしまっている」
(つまりは読まれなくなってしまっている)
というのは言葉の劣化につながっているはずだ

二つめは稲葉振一郎による「内田善美」である

個人的にも内田善美の作品のほとんどを
いまでも大切にもっている者としては
内田善美が作品を書かなくなったこともそうだが
「読み継がれるに値すると評価した多くの読者や
出版関係者の希望を拒絶する形で、
あらゆる再版、復刊の申し出を無視し続けて
今日に至っている」ということを知ったとき
大変驚いたものだ

「消えたマンガ家」をルポを行った本もあるが
(大泉実成『消えたマンガ家』(新潮OH!文庫 2000.12)にも
内田善美のことはとりあげられているが
内田善美は「拒絶」さえしないまま
「連絡」に応えないことをつづけているらしい
なんの情報もないのでなにが起こったのかさえわからない
それでもその作品はいま読んでも瑞々しい
すべては謎のままだ・・・

三つめは鷲田清一による『九鬼周造全集』の「月報」である

九鬼周造の全集は他で読めないでいる巻を
数巻もっているだけだが
たしかに「月報」はなかなか読み応えがある
イメージ画像に入れている「月報」は
「押韻論」も収録されている第五巻のものだが
そこには中村真一郎の
「「日本の詩の押韻」とマチネ・ポエチック」という
エッセイが寄稿されている
その月報の影響でこのmediposでも
中村真一郎のマチネ・ポエチックについてふれたことがある

『九鬼周造全集』の編纂に関しては
さまざまな問題があったようだが
たしかに「月報」という大切な資料を
まとめて読むことができないというのは勿体ないかぎりである

こうした「絶版本」についての話には得がたい話が多くあるが
じぶんがひとつだけそれをとりあげるとしたらなんにするだろう
あまりに多すぎていまのところ絞れそうにもない
そのうちこのmedioposの場でそのいくつかをとりあげてみたい

■『絶版本』(柏書房 2022/9)

(古田徹也「なんのメッセージもない言葉」〜『吉岡実詩集』現代詩文庫十四 思潮社 一九六八年 より)

「調べてみると(『吉岡実詩集』は)絶版————正確には「品切重版検討中」————になっていて、ひどく落胆した。」

「なんということだろう。今年(二〇二〇年)は吉岡の没後三〇年の節目を迎える年でもあるが、いま、巷の本屋のなかには彼の詩が存在しない。膨大な言葉の集積のなかに、現代の日本語で書かれた最高の表現のひとつが存在しない————これはもちろん私の主観に基づく嘆息に過ぎない。けれども、彼の詩をはじめとする良質な現代詩の多くが書店から消えてしまっているという事実は、もしかしたら、私たちの言葉について、言葉に対する私たちの現在のかかわり方について、何かしら重要なことがらを物語っているとすら思える。」

(稲葉振一郎「内田善美の「隠遁」」〜内田善美『空の色ににている』集英社 一九八一年 より)

「内田善美は一九七〇年代後半から一九八〇円代前半の日本の少女漫画界で短期間活躍し、大人気、とまでは言わないまでも、決して少数とは言えない熱心な読者の強い支持を集め、少女漫画、といわず日本の漫画全体の芸術的水準を一段引き上げたとまで言われながらも、早々に筆を折り、若くして引退した漫画家である。」

「書かなくなった————書けなくなってか、書きたくなくなってか、書く必要がなくなってか、いずれの理由にせよ————漫画家、作家は特に珍しい存在ではない。ただし長く書き続けていた人のほうが人の記憶には残るから、そうした作家の多くは忘れ去られる。そのうちごく少数だけが、人々の記憶に、更に歴史に残る作品をものしたと評価されたがゆえに、ある種神話化される。内田善美もまたそういう漫画家である。ただ彼女の異様さは、ただ単に筆を折ったというだけでなく、すでに書いてしまって高い評価を得た作品をも、これ以上流通させまいとする拒絶の所作にある。」

(鷲田清一「幻の本」〜「月報」『九鬼周造全集』岩波書店 一九八〇−八二年 より)

「全集に付けられたこれら月群は、全集を持っていなければ図書館で巻ごとに読むほかない。合本として編まれたこともないから「絶版本」ともいえない。この幻の本がいつか陽の目を見ることを、わたしは心底願っている。できれば全集の版元から。」

《目次》

柏書房編集部 いまこそ語りたい、あの一冊
古田徹也 なんのメッセージもない言葉
伊藤亜紗 わたしの思考のエンジン
藤原辰史 ナチスの聖典は絶版にすべきか
佐藤卓己 よみがえる名著
荒井裕樹 「絶版」になれない本たちへ
小川さやか 人間性なるものへの問い
隠岐さや香 「忘却されつつある歴史」に属する本
原武史 日記だから書けること
西田亮介 知の散逸を防げるか
稲葉振一郎 内田善美の「隠遁」
荒木優太 ファンと甦り
辻田真佐憲 それでも手放さなかった一冊
畑中章宏 忘れられた思想家
工藤郁子 本をもらう、本をあげる
榎木英介 自然科学における絶版本――色褪せない価値を放つ一冊との出会い
山本貴光+吉川浩満 「絶版」がモンダイなのだ
読書猿 なぜ本を読む猿は「復刊」をライフワークとしたのか
岸本佐知子 隅っこ者たちへの大きな愛
森田真生 絶版本の贈り物
ドミニク・チェン 混沌を愉しむ術
赤坂憲雄 なにか、秘められた事情が
斎藤美奈子 「本がない! 」からはじまる旅
鷲田清一 幻の本
柏書房編集部 編集後記
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