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【完結記念】『佐々田は友達』とは何だったのか

大好きな『佐々田は友達』(スタニング沢村/文藝春秋)が完結したので、全3巻を通しての感想を書きたい。※ネタバレあり



1. あらすじ

昆虫や爬虫類を愛し、放課後の一人の時間を好む高校2年生の佐々田絵美は、ある日の放課後、クラスの中心人物で、メイクとおしゃべりが大好きな高橋優希と出会い、半強制的に交流を深めていく。

しかしそんな佐々田には、他の誰にも言えない秘密があった。周囲との"違い"を持つ若者らの"変化"を描く青春群像劇。


2. 主な登場人物

佐々田絵美

©スタニング沢村『佐々田は友達』(文藝春秋)

昆虫や爬虫類や放課後のひとり時間が大好きな高校2年生。学校は苦手で勉強もあまりできない。とある放課後、昆虫と戯れていたところに高橋と出くわし、半ば強引に絡まれるようになる。本当は男の子として生きたいと思っているが、誰にも打ち明けていない。


高橋優希

©スタニング沢村『佐々田は友達』(文藝春秋)

クラスの中心人物のド陽キャJK。常に楽しいことを探しながらノリだけで生きているような人間。放課後に偶々出会った佐々田に目をつけて以降、遊びに誘うようになる。家族との関係は冷え切っており、家の外に居場所を求めがち。


小野田健介

©スタニング沢村『佐々田は友達』(文藝春秋)

夏休みに佐々田が塾で出会った浪人生。周囲から浮いていることを自覚しながらも自分の生き方を貫き通す芯の通った人間だが、現状や将来に対する漠然とした虚しさも抱えている。生物学的にも精神的にも男性だが、フラットな視点を持ち合わせており、佐々田という人間への興味と理解を示す。父は大学教員で、母はノイローゼ気味。


3. 変わったものと変わらなかったもの

1巻冒頭にて「変身の物語」と謳われていた本作。この「変身」とは何か。

へん‐しん【変身】
〔名詞〕身のさまをかえること。からだを他のものにかえること。姿をかえること。また、そのかわったからだ、姿。

『精選版 日本国語大辞典』より

佐々田が男性に変身する物語ではあるが、必ずしも姿形の変容だけを指しているわけではないだろう。もっと言えば、佐々田ににとって、そして高橋にとって必ずしも「変わったもの」だけでなく、「変わらなかったもの」の両方を含めての「変身」という表現だったと解釈している。

ここで言う「変わったもの」とは、「佐々田と高橋の関係」であり、「変わらなかったもの」とは、「佐々田と高橋のそれぞれの人間性そのもの」だ。

佐々田はスクールカーストの頂点に君臨していた高橋と出会い、交友関係を築いていく中で、本質的には何も変わっていない。高橋の立場に立って思考する場面はあるが、考えや行動に大きな変化をもたらしたわけではなかった。

高橋も同じく、言動は当初のスタンスまま一貫されており、佐々田の心情の真意を理解したわけでもなく、パリピなままの自分で居続けた。


思春期のキャラクターを扱う作品は「変化」に貪欲だ。変わっていく自分を如何にして受け入れるか、というストーリーであることも珍しくない。しかし本作は違う。「変わっていくこと」と同等か、或いはそれ以上に「変わらないこと」に重きを置いていたように感じる。

登場人物たちは自らのちっぽけな意地のような、信念のような「不変的な自己」を手放さなかった。佐々田と高橋は出会い、関係に変化が生じ、不格好ながらもそれを育み、最後はお互いに越えられない一定のラインを前にして訣別までする。


お互い本質的に変わらないまま関係を変化させて行き、残酷にも相容れない結果となったかもしれない。だが逆に言えば、本質的に変わらずとも他人とコミュケーションを取ることは出来るという可能性を提示していたとも言える。

人間関係とは常に「探り合い」。とりわけ学生時代における人間関係は、それはもう、自分を偽ってでも相手を捻じ曲げてでも「同じ」になろうとすることがあるだろう。だが、二人はそれらにの行動に頼ることなく、向き合っていた。


4. 小野田が佐々田に示したもの

本作にはもう一人、重要な人物が登場する。佐々田が夏休みの塾で出会う「死神」こと、小野田健介だ。

多くの人との関わりの中で確固たる自分を獲得してきた高橋と異なり、閉じられた世界の中でアイデンティティの揺らぎを抱え続けてきた佐々田にとって、この小野田との出会いが自分を貫く道標となる

佐々田より3歳ほど年上の浪人生で、出会った夏に二十歳を迎えた小野田は、二人で少し背伸びして居酒屋へ行くことに。

ここで小野田は、周囲から変わり者として見られている自分が抱える将来に対する漠然とした不安を吐露すると共に、佐々田に対して「変わらないでいてほしい」という約束を投げかける。

このシーン、「変わらないでくださいよ?(破ったら殺すよ)」という脅しめいた台詞だったが、「自分も変わらないからあなたも変わらないでほしい」という協同の誓いのように受け取れた。

実社会において、佐々田と似た立場の人間でありながらも、「ありのままで居る姿勢」を捨てなかった年上の”男性”という存在が、これから先の人生におけるほんの小さな指針を示してくれたこと。これが佐々田にとってどれだけ大きな出来事だったかは想像に難くない。

だからこそ、この二人のもう一歩踏み込んだ交流が3巻でももう少し描かれてほしかった、というのが率直な感想だ。

ただ、上記の約束のシーンが佐々田と小野田との間における最大のイベントだったというのもまた納得できる。大人になった佐々田が唯一交友を保ちづけている相手というだけで十分なのかもしれない。


5. 確かにそこにあったもの

本作が最終的に伝えたかったこととは何だろうか。

「性的マイノリティが抱える生きづらさ」というテーマも作品の下地として大きな要素ではあったと思う。ただ、それを確かにそこにある事実として描きつつも、声高に取り上げていないところが本作の孤高な作風を際立たせていた。

佐々田にとっての「自身の性別違和」も、高橋にとっての「家族とのギャップ」も、小野田にとっての「家族や将来に対する虚無感」も、物語上の記号としては全て同等である。

こういった「思春期の心の揺らぎ」「誰にも言えない自分だけの心のよどみ」というほとんど全ての読者が共感し得る要素を「学生時代の出会いと別れ」の枠組みの中で、それらを「過去として顧みた時に、ふと思い出す青春の煌めき」として描いた。

それこそが本作の終着地点であり、最大のメッセージとして描かれていたように思う。それが佐々田にとっては、3巻で描かれた「思い出作りとしてみんなで制作したショートフィルムのワンシーン」だった。

高橋は最後の同窓会の席で佐々田の話題が上がった際、映画鑑賞の帰りに絶交した日のことに笑みを溢しながら煙草に火を付ける。

「思い出補正」ではないが、今はもう会うこともないあの人との過ぎ去りし日々の記憶を手繰り寄せるものは、やはり当時確かにそこにあった「友情」であり、佐々田にとって高橋は、高橋にとって佐々田は、紛れもなく「友達」であったと言えるだろう。


6. 『佐々田は友達』とは何だったのか

本作の作者・スタニング沢村氏は、『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』じぶんの体をゆるすまで』で知られるエッセイ漫画家・ぺス山ポピー氏(以下:ペス山さん)であることが出版社から明示されている。

前作にあたる『女の体をゆるすまで』でも描かれているとおり、ぺス山さんはXジェンダー(ノンバイナリー)であり、男性寄りの中性だと公言されている。

そんなぺス山さんが「スタニング沢村」という別名義を用いて、エッセイ形式ではなく、ストーリー漫画として『佐々田は友達』を描いた理由。

それは恐らく(本当に勝手な妄想だが)「自分」という存在を描く上での一つの「集大成」として、「ぺス山ポピー」を「佐々田絵美」をはじめとした登場人物たちに重ねたかったからではないだろうか(社交的なお人柄は高橋、衣服や部屋の趣味などは小野田を想起させる)。

インタビュー内で作者が一番近いと感じたのは、佐々田と同族として扱われるオタク女子の前川。BL好きで夏休みに画塾に通うほど熱心な人物。ちなみに高橋のモデルは小学生の頃から付き合いのあるゲイの友人(アメンホテプ君?)だそう。

https://ddnavi.com/article/d1232702/a/ より

物語の中で描かれる佐々田の未来として、彼は後に性転換手術を受け、心も体も男性として生きる道を選んだことが描かれている。もしかしたらぺス山さん自身の「過去のある一定期間における自分」が選ばなかった一つの選択肢としての未来を佐々田に与えたのかも、と想像したりした。

登場人物たちが佐々田を「友達」として認識していたのと同じように、或いはそれよりももっと大きく広い視座で以て、作者である自分自身の思春期時代を切り取った作品。それが『佐々田は友達』だったのではないだろうか。


7. おまけ:好きな回5選

おまけとして本作の個人的なお気に入り回を5つ挙げておく。ここまで書いた内容と被る部分もあるかもしれない。こちらも当然ネタバレ全開なので注意されたし。

1巻 - 第6話

高橋からのカラオケの誘いをすっぽかした佐々田は、その居た堪れなさから高橋と距離を置こうとするも、高橋がこれに激怒。初めて他人に真正面から怒鳴られたことにショックを受ける佐々田。

気まずさを拭えない二人は二ヶ月ほど口を聞かなくなるが、その日々の中で佐々田はふと考える。「自分が高橋さんだったらあそこまで自分を曝け出せるか」と。「カマキリやトカゲはキスできるくらい大好きで、恋愛はよく分からなくて、一人の時間が絶対に必要で、学校が苦手で、本当は、男の子として生きたいと思っていること」を。

1巻の引きに当たる回。ここまで読んできた作品の方向性ががらりと変わり、心を掴まれた。

佐々田は付け加えるように、「カラシ色の似合うおじさんになりたい!岩のような体 ポケットいっぱいのベスト」と想い巡らせた後、それらについて「毎分毎秒諦めている」とも溢す。

教室での男子同士の絡み合いやそれに興奮する同級生女子、誰とでも明るく振る舞う高橋たちの姿を見ながら、佐々田はずっと自分の在り方について考えていたと読者は知らされるのだ。

この時点で「クラスで正反対な佐々田と高橋が友達になる」話だけでなく、「佐々田という人間が自己を構築する」話というパーソナルで内省的な物語の方向性が示された。


2巻 - 第9話

夏休みのちょっとしたやりたいこと として、気になっていたとある居酒屋を訪れた佐々田と小野田。

誰に対しても分け隔てなく「本物の言葉」で話す小野田が漏らす小さな不安を聞いた佐々田は「それが今の本当の気持ちならそれでいい」と投げかける。佐々田の真っ直ぐな目に光を見た小野田は、彼に対して「変わらないこと」を約束する。

夏休みに塾で出会った小野田に憧れや信頼を寄せていた佐々田。二十歳になった彼に背中を押され、生意気にも山菜・川魚料理を出す居酒屋の敷居を跨ぐ。

この日の出来事が佐々田の心に小さな炎を灯す火種となるのだが、本作ではその過程自体が大きく描かれることはない。ただ、この日が佐々田の人生におけるターニングポイントの一つとなったことだけは示唆される。この「不変」が道標となる演出が好きだった。


2巻 - 第12話

夏休み明けから練習に励んできた体育祭の本番当日。念入りに弁当をこさえた佐々田は一人で山を登っていた。秋めく山道を歩き、山頂からの景色を拝みながらお手製の弁当を食べ、沢の音に耳をすませる。

綱引きくらいはやりたかったと一人呟く佐々田は、学校の外の世界で素晴らしく有意義な一日を過ごし、満ち足りた表情で帰路に就くのだった。

所謂「逆向きの電車に飛び乗る」みたいな話だが、佐々田は前日まで練習に励み、その日の夕方にふと空を見上げ、行かない選択をしたっぽかったのが良かった。

周囲からは単なるサボりと思われることでも、本人にとっては何者でもない自分を肯定する渾身の出来事だったのだと思うと、こっちまでなんだか嬉しくなった。


3巻 - 第16話

高橋がノリで立候補した生徒会長選。次期生徒会長に選ばれた女生徒は「将来男性として生きたい」と全校生徒の前で公言した。身近に自分と同じ立場の人間がいて、自分と真逆の行動を取っている事実を知った佐々田は次第に学校そのものから距離を取る。

このまま卒業して進学して就職して、誤魔化しながら死ぬまで女性として生きていくことは受け入れられない。小野田に対してだけは事情を打ち明けたものの、世の中に対して同じようにオープンにはできない。自分を持とうと思えば思うほど、どうすればいいのか分からなくなる。

3巻の中盤(高校2年生の12月頃)で、佐々田は不登校になる。最低な表現だが、”ありがちなパターン”を最終巻のここで持ってきたか、と思った。

学校に行かなくなる理由は何も虐られるだけではない。佐々田は自分の中でそれなりに折り合いを付けてこれまでと変わらずこれからも生きて行こうと思っていたところに、最適解みたいな存在(もちろん佐々田にとってこれが最適解ではない)が現れた。戸惑いは膨れ上がり、足が竦む。

極め付けは、近所に住む幼馴染に「実は男…的な奴だったり…?」と暗に見抜かれるシーン。あの冷ややかな空気と言ったら。佐々田の心に静かに亀裂が入る描写としてこれ以上のものはなかった。


3巻 - 最終話

全身全霊で「生」を体現する比類なき5歳児・みっちゃん。体験学習として幼稚園へやって来た佐々田はみっちゃんと出会う。みっちゃんは佐々田のような人間がどうもキラいだった。受け入れ難かった。そんなみっちゃんが楽器遊びの時間に初めて手に取った一つのトライアングル。

みっちゃんはトライアングルの音色に魅了され、頑なに手放さなくなる。泣き噦るみっちゃんを真っ直ぐに見つめる佐々田。みっちゃんにとっての「トライアングル」を、佐々田もまたずっと胸の内に抱きしめて生きてきたから。たったそれだけのことが彼をこれからも生かし続けるのだ。

最後の同窓会の描写の前、高校生として描かれる最後の主要エピソードがこれである。

思わず「みっちゃん」を連呼してしまったが、このみっちゃんという幼稚園児を通して佐々田を描いて終えるという締め方、あまりにも美しすぎる。みっちゃんのトライアングルについての分析が深すぎたのもまた恐れ入った。

誰しもが自分にとってかけがえのない何かを抱えて生きている。それだけを手放さないように、見失わないようにすればいい、というメッセージも最後に添えられているような回だった。


8. 最後に

『佐々田は友達』を読んで心に沈殿した何かを吐き出したくて文章にした。読みづらい部分、また、解釈違いな部分も多々あったかもしれない。すみません。

全3巻という短い作品ではあったものの、2025年を語る上での大切な1作になったことは間違いない(連載の完結は2024年)

読んだ方それぞれに思い浮かべる「過去の瞬間」「誰かの顔」があると思うので、ぜひ自身の過去に想いを馳せながら、今この世界を生きる佐々田という人間の痛みと優しさに触れていただければ幸いだ。


参考記事


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