ニート生活記 延長線「14歳の栞」
ゴールデンウィークで一回はもしかしたらと思っていたが、まさかのやめてすぐに書きたくなってしまった。本当に一旦これで最後にする。
名古屋駅から出てすぐの所を歩いていたら、足元が不確かな一人でぶつぶつ話しているおじさんを見た。その人を追い越しながら、ヤバそうな人だなと思っていた。そして信号が赤で止まっているととそのおじさんが追いついてきて話しかけてきた。
「その帽子かっこいいね」
前歯が欠けていた。
「あ、ありがとうございます」
「この帽子何かわかる?」
そう言っておじさんは自分の被っている帽子を指差した。麦わらでできていたが、つばが狭かったので私は「カンカン帽じゃないですか?」と答えた。
「うんん、ルフィ」
凄くまっすぐな表情だった。
「え?」
「これルフィ、かっこいいでしょ」
カンカン帽に巻かれているリボンはルフィの麦わら帽子の赤ではなくて、水色だった。
「かっこいいですね」
「でしょ、じゃあお兄ちゃん気をつけて行きなよ」
信号が青になったのでまたそのおじさんを置いて歩き出した。多分悪い人ではなかった。
寄り道を挟んで映画館へ着いた。
今日見た映画は14歳の栞だ。数年前の映画で春が訪れる度に毎年上映されていた映画で、当初から観たかったのだが、春はよく体調を崩していたし、春に前向きにはなれなかったから中々観に行けなかった。春に前向きになれたわけではないが、やっと観に来れたことにまず嬉しかった。
映画の概要としては、とある中学校の3学期、2年6組、35人全員に密着するというドキュメンタリー映画だ。
学年が終わっていく学校生活の中で、一人一人抱えているものが紐解かれていく映画だった。
追憶の連続だった。
映画館を出ると朝から降り続く雨はまだ降っていて、傘に雨が当たる。
だからか雨が降って薄いぐらい教室だとか、それから雷が鳴って後ろの席の女子が怯えていた仕草が嘘くさかったこととか思い出していた。
今でも付き合いのある中学の同級生と会うと、あいつはどうしてるかな、といった話題になる。
正直それにあまり関心はなかった。しかしこの映画を経て、今というか全然知らなかったであろう同級生たちのことを思った。
中学卒業を境に別れたままの同級生は、あの時何を考えていたのだろうかと。そしてそれがどう今に繋がったんだろうかと。
持ち運びやすいようにコンパクトにしていたはずの思い出が次々に広げられていった。
それでもあれから10年経っていて、つかめそうで掴めない記憶や同級生が少しもどかしい。
ぼんやりとしたそれらに邂逅していくと、いつの間にかそれは中学生の自分を通して見ているような感覚だった。
今では理由を思い出せないが、学校へ行きたくないと思っていたことや、劇中の2年6組の一人にもいたが自分をなくすことで周りと同調していたこととか。
あの時一人で抱えていたことを、今こうやって25歳の私と共有できている。
35人全員に、考えや思いがあった。それは本当は当たり前のことなんだけれど、一人では一人一人のことを上には考えられない。学校もだし、街もだし、一人の人間が集まった場所なのに、とまた当たり前のことばかり考えていた。
一人一人が風だった。何かとぶつかって、それを感じる。その風がエンドロールで映る桜を揺らしているようだった。
なかなか掴めない記憶や同級生は、年々距離さえ遠くなってしまうかも知れない。しかし、この映画のように過去の自分を抱擁できるような作品に出会う時が何度かある。何でもないようなシーンで、泣いてしまうようなことがある。
その体内から熱いものが涙となって、体外に出た時、掴めない記憶や同級生に指先だけ触れられたような気がした。
たくさん間違えてしまったし、たくさん置き去りにしたままのものもある。
それでもあの時私は、風になっていたのだ。
駅の近くまで来ると、店先の屋根の下でおじさんが地べたに座っていた。アイコスの箱を開けると、一つ転がっていったから急いで拾い上げていた。
その座っている隣には水色のリボンのついた、カンカン帽が置いてあった。
ルフィは海賊なのだから存在としては多分このおじさんの方が優しいだろうと思った。
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