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映画『アイミタガイ』 と釜山国際映画祭

きのうから、10年ぶりに釜山国際映画祭に来ている。結婚を機に韓国移住してもうすぐ8年、子どもを産んで6年の間、こうして2日間も一人で旅に出るのは初めてのことだ。

行こうと思ったきっかけは、12年前の留学時代に知り合った韓国人の友達が今年ついに監督デビューし、その作品『침범(侵犯)』が映画祭で上映されることになったからだった。それともうひとつ、2020年3月に亡くなられた佐々部清監督が企画•脚本の準備をしていたという映画『アイミタガイ』が、この映画祭で上映されると知ったからだ。

▲映画『침범(侵犯)』予告編

ところが、チケット予約時に決済画面まで進んだもののエラーが連発し、『アイミタガイ』のチケットはあっという間に売り切れてしまった。キャンセルが出ることを期待して迎えた上映当日、ダメ元で朝8時半に上映会場のチケットブースに並んだものの、やはり空席はなし。でもどうしても諦められず再び列に並んだら、なんと1つ空席があった!「念ずれば叶う」って本当なのかもしれない。映画の神様、いやこれはもしかしたら佐々部監督の計らいかもしれない、と都合良く考えながら、心の中で何度も「ありがとうございます」と繰り返した。

▲映画『アイミタガイ』オフィシャルサイト

20代の頃、縁もゆかりもない山口で3年暮らした私は、県内で開かれたある映画祭で佐々部監督に出会った。監督は私のようなただの映画好きで、いつか小説や脚本を書いてみたいと思いながら何もできずにいた若造にも腰が低く、気さくに話をしてくださった。

監督が下関と釜山の高校生たちの淡い恋と青春を描いた映画『チルソクの夏』に、私と同郷の上野樹里さんが出演していたことから、彼女のオーディション時の思い出話を聞かせていただいたり、北海道や韓国•安東の旅日記を綴った時には『鉄道員ぽっぽや』や『ホタル』などを撮影した時の思い出をコメント欄に書いてくださったり。韓国で子どもが生まれた時にも「しっかりお母ちゃんしてくださいね」とメッセージをくださった。

監督はそうやって映画祭などで出会った観客や、監督の映画を観て感想を書いた人たちのブログ等を読んでは丁寧にコメントを残し、交流し、長きにわたり人との縁を大切にする。そういう方だった。

「アイミタガイ」というこの聞きなれない言葉は「相身互い」と書き、同じ境遇•身分の人が互いに同情し合い励ますこと、という意味があるそうだ。

映画では、親友を不慮の事故で亡くした女性(黒木華さん)を中心に、彼女の恋人、おば、親友の両親など様々な人たちの日常と心情が描かれ、一人ひとりの想いが巡りめぐって結果的にお互いを支え合っている。そんな様子があたたかく、時にユーモラスに描かれていた。

上映の前にはこの映画を撮られた草野翔吾監督からのビデオメッセージが流れ、この『アイミタガイ』は、下関と釜山が舞台の映画『チルソクの夏』を撮った佐々部清監督が、生前に脚本を準備していた作品だという説明があった。佐々部監督と縁深いこの釜山で『アイミタガイ』が上映されることを嬉しく思う、という言葉に思わず胸が熱くなった。

エンドロールでは透き通った心地よい歌声とその歌詞に魅せられた。歌っていたのは、なんと主人公を演じていた黒木華さん。上映終了後には観客席から大きな拍手が鳴り響いた。

「誰かを想ってしたことは、巡り巡って見知らぬ誰かをも救う」。

不思議なことに、次に観た伊藤詩織監督のドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』の中でも、『アイミタガイ』に込められメッセージと似たものを感じる場面が出てきてハッとした。

自らが受けた性的暴行の調査に乗り出した伊藤さんの勇気ある行動とその想いが、多くの人の心を動かし、今まで誰にも話せない苦しみを抱えてきた人たちが過去の経験を吐露し始める。これからの未来に、自分たちのような思いをする人がいなくなるようにと声を挙げ始める。

伊藤さんには、心の支えになってくれる良き友人がいた。『アイミタガイ』の主人公にも、孤独から救い出してくれた良き友人がいた。この2つの映画を観て、昔イタリア人の友に「Chi trova un amico trova un tesoro
(友にめぐり会えた人は宝を手に入れたのと同じ)」という言葉を教えてもらったことを思い出した。

▲ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries 』予告編

佐々部監督と出会ってから15年以上経った今でも、私はまだ脚本どころか、小説1つ書き上げることもできずにいる。「自分が観たいと思うシーンを書けばいいんだよ。書けると思うよ」と言ってくださった監督に何も見せられないまま韓国に移住し、育児や家事、仕事で手一杯の毎日を生きてきた。

その現状を横で見てきたはずの韓国人の相方には、数日前、私がまだ何も形にできていないこと、形にしようとしていないことを「家族や仕事を言い訳にしている」、「一般的に考えたら、その道の才能があればもう本の1冊や2冊書けているはずだ」と言われ、とても悔しく、激しく怒って泣いた。

でもその一方で、家と職場と幼稚園を行ったり来たりするばかりで、自由な時間もほとんどなく、大好きだった映画からも遠ざかってしまった私に、「日帰りじゃなく泊まりで映画祭へ行ってきたら」と送りだしてくれたのも彼だった。

そうして10年ぶりに向かった映画祭では、チケット予約に見事失敗した私の分まで席を確保してくださっていた恩人のおかげで、10数年来の友の晴れ舞台を祝うことができ、諦めかけていたチケットが奇跡的に手に入ったおかげで亡き佐々部監督の想いに触れ、映画を通してイタリアの友の言葉まで思い出すことができた。そして今、何だかんだ言って一番応援してくれている家族のことを想いながら、帰りの電車の中でこの文を書いている。

人生の中できっとそう多くはない、これほどの充足感と満足感に包まれた2日間は、もしかしたらどこかの誰かの想いが巡りめぐって私の元に届けられたのかもしれない。と、ついそんなことを書き残したくなる映画がまさに『アイミタガイ』。会場の笑いと涙と大きな拍手が、佐々部監督のもとまでどうか届いていますように。


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