見出し画像

チョ•ナムジュ著『彼女の名前は』

 先日、韓国の短編小説集『彼女の名前は』を読み終えた。『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者、チョ・ナムジュが韓国で2018年に発表した作品で、2020年に日本でも翻訳出版されている。

 9〜69歳まで60人余りの女性に話を聞いた著者が、2017年の1年間、新聞や雑誌にフィクションやエッセイを連載。それを再構成し、28編の小説集としてまとめた1冊だ。1つひとつの話はとても短く、読みやすい。でも、そこに登場する女性たちの日常は、物語の短さに反比例してどれも奥行きがあり、重みがあり、忘れがたい。

 それらは、いつかソウルの地下鉄で隣に座ったご婦人の話のようであり、街中ですれ違った会社員の話のようでもあり、田舎で農業体験中に出会ったおばあさんたちの話のようでもあり、韓国ではなく日本に暮らす友人知人の話のようでもある。だからだろうか?本を閉じた後も時々「みんなあれから元気にしているかな?」と気になってしまうのだった。

韓国の「今」を生きる女性たちを記録する

 2016年に出版された『82年生まれ、キム・ジヨン』では、韓国に生きる女性たちの姿をあえて平均化し、「33歳、子育て中の主婦」であるキム・ジヨンに声を失わせることで、彼女を追い詰めていった1982〜2016年の韓国社会や家庭に潜む問題をあぶり出そうと試みた著者。

 結婚・出産前まで10年間放送作家として働いていたという経歴も大いに関係していると思うが、彼女の数々のインタビューを読んでいると、今を生きる女性たちの姿を「記録する」という言葉がよく登場する。

 限りなくノンフィクションに近い短編小説集『彼女の名前は』も、まさに記録と言えるだろう。そこに描かれているのは、2017年の韓国で、時に戦い、時に敗れ、時に勝ちとり、時に涙しながらも日々懸命に生きている女性たちの姿だった。

 いくつも印象的な物語がある中で、私が一番心を打たれ何度も読み返したのは、『ジンミョンのお父さんへ(あなたへ)』だった。これは「ある女性が亡くなった夫宛てに綴った手紙」という形式で書かれた物語だ。

 主人公は、子どもが全員結婚した後に夫を亡くし、今は共働きをする息子と娘のために、孫の世話をしている。夏休みには毎日朝から晩まで、一日中3人の孫を子守りする。その日々が一体どんなもので、何を感じているのか。亡き夫に語りかけるように細かく綴っているのだが、今まさに韓国で幼い子どもを育てている私には、彼女の苦労や葛藤がどれほどのものかリアルに伝わってきて、おもわず涙がこぼれてしまった。

 それと同時に、日本で暮らす友人知人のお母さんたちが、孫の世話に明け暮れていたことを思い出した。みなさん「孫はかわいいんだけど、体力が続かないのよねえ」と笑っていたけれど、本当はこの物語の主人公のように、複雑な気持ちを抱え、笑えない日もあっただろう。娘や息子、嫁や婿と意見が食い違ったり、一人になりたい日や逃げ出したい日もあったんじゃないだろうか。

 そうやって、孫を預けられる側の大変さを見聞きしていたはずなのに、実際に子どもが生まれてから、私の考えは180度変わってしまった。私は国際結婚を機に韓国に住み、夫の実家も遠いため、子どもの預け先は保育園しかない状況だ。異国での初めての子育ては想像していた以上に大変で、「誰か助けて欲しい」という思いの方が勝ってしまい、孫の子守りをする親たちの気持ちまで想像することができなくなっていた。

 だから時々、日本でも韓国でも「自分の実家の近所に引っ越した」とか、「夫の実家に時々子どもを預けている」なんて話を聞くと、うらやましさでいっぱいになることがあったし、「孫なんだから、きっと親も嬉しく思ってくれるでしょ」くらいに思うようになっていた。

 しかし、この主人公の手紙を読んで、そんな自分がとても恥ずかしくなった。いくら親子でも、預けられる方の親にだって大切な人生がある。残りの人生でやりたいこともたくさんあるだろうし、今までさんざんやらねばならないことをやってきたのだから、自分のために自由に生きたいと思うのは当然のことだろう。

 この物語を読み終えてしばらくたった頃、日本から1通の手紙とたくさんの絵日記(複写)が届いた。もう何年も前から、共働きの息子夫婦のために、毎日17時から2時間、孫の世話をしているというご婦人からだった。

 今年の春はコロナの影響で保育園が休園になってしまったため、約1か月間、朝8時半から19時過ぎまで、夫婦ふたりで励まし合いながら孫の面倒を見ていたのだという。絵日記には、いかに楽しく学びの多い時間にするか奮闘した様子が軽快につづられており、最後には「保育園のありがたさ、そして、先生方のご苦労を痛感した」と記されていた。

結婚・離婚、家族とは何なのか?

 『ジンミョンのお父さんへ』の他にも特別印象に残っているのは、『離婚日記』、『結婚日記』、『母の日記』の3作だ。これらはすべて同じシーン———妹の結婚式から物語が始まる。

 『離婚日記』は離婚してまもない姉が主人公で、『結婚日記』は姉が実家に戻ってきたその日にプロポーズをされた妹が主人公。『母の日記』は、長女である「姉」が戻ってきた日に結婚35周年記念日を迎えた母親が主人公だ。1つの短編集の中で、家族それぞれの視点から見た結婚や離婚が描かれているのは、とても興味深かった。

 中でも『離婚日記』を読んでいる時は「こういうシオモニ(義母)って韓国にいそうやな」、「こういう夫は日本にもいるな」と、頭の中でひとり言が止まらなかった。私は姉に同情し、これからまた幸せになってほしい願った。物語の最後、「結婚ってどんなものなの?」と問う妹に、精一杯の思いを伝える姉の姿を見て、胸がじんと熱くなった。痛みを知った人の言葉は、とても強く、優しい。

 私には『結婚日記』の主人公である妹が、とてもうらやましく思えた。結婚についてこんな風に助言してくれる姉がいて、考えを理解してくれる婚約者がいて、ある程度尊重してくれる婚約者の親がいて…。「姉もこんな風に結婚できたら良かったのに」と、つい思わずにはいられなかった。

 しかし、その妹だって、35年後はどんな結婚生活を送っているかわからないのである。母のようになっているかもしれないし、もしかしたら、姉のようになっているかもしれない。

 そんな姉妹の親の心情を描いた『母の日記』を読んだ後の、得も言われぬ切なさは何だろう。結婚し、子育てをし、子が離れていき、また夫婦だけの暮らしに戻る。夫婦って何だろう?結婚って何なのだろう?「お母さん、ちょっとお茶でもしませんか」と誘い出し、一緒にそんな話をしてみたくなった。

 日本では「結婚は2人の問題」と言って、両家の親にも会わずに婚約したり、結婚後も「年末年始は自分の実家に長く帰省し、夫の実家に行くのは1日だけ」という人たちがいたりする。これは実際、日本の友人知人から直接聞いた話だ。

 しかし、私が知る限り、韓国はまだ家族の関係がそれほどドライではない。結婚とは家族の深い結びつきであるし、嫁に期待されるものもそれなりに大きい。

 これから韓国の方と国際結婚をするなら、必ず婚約の前に、最低でも親には会っておくことを強くおすすめしたい。できれば兄弟姉妹や、親しい友人知人まで。そして、聞けるものなら親戚関係や祭祀の有無、信仰している宗教、親族間の財産や権利争い、借金または貸付のあるなし、親とは同居か別居かなど、事前にちゃんと知っておいた方がいい。

 「そんなの結婚前に聞いたら失礼じゃない?」という思考回路は、国際結婚という4文字の前では捨てるべし。韓国ドラマはフィクションだけど、すべて嘘ではない。ドラマみたいな出来事が、ある日突然自分の身に降りかかってくることもあるのだ。

 だから、最初に相手の親をしっかり見て、パートナーとだけでなく親ともそれなりにうまくやっていけそうか?親と相性が合わなくても、パートナーが間に入ってうまくやってくれそうか?結婚前に、しっかり見極めることが大切だ。あくまでも、現時点での私の個人的見解だけど。

他人事ではなく自分事として行動する女性たち

 小説集には他にもまだまだ、国会の清掃職員として働く女性の物語『20ねんつとめました』や、小学1年生の子を持つワーキングママの物語『ママは一年生』、ストライキ中の給食の調理師の物語『調理師のお弁当』など、職業や年齢、家族構成、住む場所もさまざまな女性たちが登場する。

 彼女たちは「今変えていかなければ」と思う出来事に直面すると、ストライキをしたり、ろうそく集会(デモ)に参加したり、会社に訴えたり、児童会長に立候補したり、とにかく一歩でも前へ進んでいこうとする。もちろん、そのすべてがうまくいくわけではない。それでも、何もしないよりはいいと信じている。

 2017年と言えば、農業体験取材のため、私ももう韓国にいた。韓国のニュースで見聞きしていた出来事の中に、彼女たちの姿があったのだ。それがどこか他人事のようであったのは、私がこの国では外国人で、旅行者だったからだ。

 でも、今は違う。外国人だけれども結婚移民者になり、この国に根を下ろして子どもを育て始めた。独身の頃は距離を感じていた「隣近所」や「地域社会」という言葉が急に身近になり、「助け合い」や「支え合い」の必要性やありがたさが、身に染みてわかるようになった。そして、ニュースで報じられる出来事が、直接自分の生活を左右するようにもなった。

 例えばこの3年間、韓国では政府提供のベビーシッターによる虐待事件が起こったり、コロナ支援金受給対象者から外国人が除外されると発表されたりしたことがあった。それから数日も経たないうちに、SNSを通じて、あちこちから請願書への署名を促すメッセージが届いたのだ。

 韓国では、2017年8月から大統領府青瓦台のホームページに「国民請願掲示板」が設けられ、誰もが自由に投稿することができるようになった。20万人以上が支持した投稿には、青瓦台が公式に回答することになっているのだ。

 私の元に届いたのはいずれも韓国人によって書かれた請願書だったけれど、その行動の速さに驚いたと同時に、「自分たちが動けば社会は変わる」と信じるエネルギーのようなものを強く感じ、迷わず署名した。虐待事件も支援金も、私にとって、もはやよその国の出来事ではなかったからだ。

ビビンバを味わうようにこの国を知る

 最後に、1つ告白しておきたい。私が初めて韓国の小説を手に取ってからもう5年以上が経つのだが、実はつい最近まで、積極的に韓国文学を「読みたい」という気持ちになれずにいた。なぜなら、韓国の歴史や社会的背景をよく知らなければ、物語を深く楽しめないのではないかと思っていたからだ。

 「フェミニズム文学」というくくりで日本のメディアで盛んに紹介されるようになったことについても、少し疑問を抱いていた。「韓国文学」でいいじゃないか、と。でもそれは、韓国文学発展の歴史や現代の韓国における文学の位置づけなどについて、私がほとんど知らないからかもしれない。

 そんな私が今回おもいきって『彼女の名前は』を手に取ったのは、この短編集が女性たちへのインタビューを元に書かれたものだと知ったからだった。私は、同じ時代を生きている女性たちの声を聞いてみたかった。今同じ国に暮らしている女性たちのことをもっと知りたいとも思った。

 読んでみると、韓国はやはり、日本とは似て非なる国なのだなと実感した。そして、もっとたくさん韓国の小説を読んでみたいという欲が溢れてきた。こうやって次から次へと読みたくなってしまうのは、まるで韓国ドラマと一緒じゃないか…!

 正直で人間くさくて、でも繊細でたくましいこの国の人たち。書いていて思ったけれど、そう、ビビンバみたいだ。この短編小説集には、酸いも甘いも辛いもしょっぱいも全部ある。全部混ぜ合わせると、今まで知らなかった韓国の姿が見えてくる。そんな彩り豊かなビビンバのような一冊、と例えても良いだろうか?

 そういえば昔、韓国語を学んだ語学堂の先生がこう言っていた。「言葉とは文化ですから。その国の文化を知りたければ、机の前で勉強するだけではなく、その国の料理をたくさん食べてください」と。私はこれからもビビンバを食すように、韓国文学に触れ、この国のことを少しずつ理解していきたい。

 私の名前はKim Mina。82年生まれの日本人。3年前から結婚移民者として韓国に住んでいる。この物語の続きは、これから少しずつ、自分の手で書き上げていくつもりだ。

【関連記事】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?