
お金のためと言えばまかり通る感じが嫌だった。
今日は昔からなんとなく感じていることを書こうと思っています。
まず自分の感じていることの前提として そう遠くない将来 お金の価値が今ほど無くなるときが来ると感じています。
それはフリーエネルギーの発見・実用化によって地球上で人類がエネルギーを巡って取り合うという世界が終わる日がやってくるという意味です。
遅かれ早かれその日はやってくると思っていますが どういう流れでそうなるのかは今を生きている私たちの意識次第 それぞれの認識によるのでないかと感じています。
今回の話の筋とは少し違うのでこのことはここまでにしておきますが 僕はそういった世界がやがてやってくると信じています。
タイトルの『お金のためと言えば〜』ですが よく聞くのはお給料を貰ってるんだから◯◯せねばならない。と言った考えやお金が発生しているんだから◯◯するのは当たり前など企業側・顧客側のどちら側も似たような意見がありますが お金が介在しているのだから我慢すべし!(もっと言うと人権が軽視される状況)という価値観が昔から嫌いでした。
なんとなくお金が上で人間のほうが下というメッセージを感じていたからかも知れません。お金を支払う・受け取る。どちらの立場であっても本来対等であるはずなのにそうではない状態にずいぶん違和感を感じていました。
最近は自分自身がアルバイトや正社員として働いていないのでどうか分かりませんが ふとこういったことが嫌だと感じていたことを思い出したので言語化して書いておこうと思った次第です。
恐らくですが 僕はお金によって不当な関係に陥る状況を恐れ そういった状態を嫌悪しているのかも知れません。こう書いている自分自身もお金を払っているのだから◯◯せよ。と相手にとって不利益なことを押しつけるときがくるかも知れません。
多くの人が氣づきはじめ 文章にしたり言葉にして発信されていますが不公平な関係や対等でないアンバランスな関係がどんどん明らかになってきています。それは個人や家族間でも同じで今までは力で抑えつけられてモノが吹き出してきているのだと感じています。
僕自身もコントロール欲求というものはありますし完全に手放せたわけではありませんが そのことに自覚的でいようと考えています。いずれにせよお金というものの価値や感じ方が個人や社会といったスケールで変化していくのだと感じています。
p.s.
先ほどの話と矛盾するようですが僕はお金が好きです笑
同時にお金のもつパワーをとても恐れてもいます。バシャールが言うにはお金自体にパワーがあるのではなく その人その人 人間そのものにパワーがあり その投影としてお金に価値があるのだと言います。つまり僕がお金を恐れているのは自分の持つパワーを恐れているということですね。
僕はいつかお金の価値が無くなる日が来る前にお金と仲直りして 億万長者になるという体験をしてみたいと思っています。もしかしたら来年には違ったことを言っているかも知れませんが 現時点での僕の感じていることとしてはこんな感じになります。たまにはお金のことを書いてみるのもいいですね笑