休職41日目
あえて見栄を張るシーンがあってもいいのでは。
と本気で思えてきた。
いままでの私は常に“素”を見せることしかしてこなかった。
正しくは演技する、フリをするができなかった。
つまりそれは「嘘をつけない」ということ。
なぜ嘘をつけなかったのか。
いままで考えてきたようで考えてこなかったので
これを機に考えてみようと思う。
これもまた休職期間だからなせる技。
ここからは盛大な公開○ナニーなので
読まないでもらっても全く支障ありません。
ふと振り返ってみても、
言葉の嘘はあるとしても
態度としての嘘はほとんどついたことがない。
嘘をつくことへの罪悪感が強いのかもしれない。
演技することも、フリをするのも、
もっというと背伸びしてカッコつけることも
今までの人生でほぼやったことがないのでは。
いつだって等身大の自分を曝け出してきただけ。
ではなぜ罪悪感が強いのか。
いままでのおらさいになるが
たどり着いたのか以下の解釈。
演技する、フリをする、カッコつける等の
態度に関する嘘をつく
↓
もしそれらがバレたら?
(矛盾や脳内任三郎が私を勝手に追い詰めるパターンが多い)
↓
嘘をついた相手に叱責されるだろう、失望されるだろう
↓
綾小路、困っちゃう。
こんな感じかな。
とても既視感のあるフローチャートになってるな・・
私の場合、どんな行動も帰結する原因はいつだってひとつなんだよなあ。
怒られるのが本当にいやだ!!!!
主治医からは「怒られる」というフレーズ禁止をもらったが
ここでは吐き出させてよ。
それくらい私の頭の中はそれでいっぱいになってる。
本当に過去の自分に何があったのか。。
すごく気になるが、そんな発掘に躍起になるよりも
その習性をつかって新しい生き方を創造する方が建設的なので
そのままいってみよう。
とまぁ
いままで自分が行動に対する嘘がつけなかったのは
そのような理由だろう。
ではどうするのか。
叱責される、ということはいったん置いておいて。
まずは
「矛盾や脳内任三郎が私を勝手に追い詰めるパターンが多い」
ここだな。
自分で自分をがんじがらめにして、優等生を作り上げてしまっている節がある。
その点においては
「恥も外聞も無い」
ということを座右の銘にできればいいかなと。
今までの私は座右の銘というのがほぼなかった。
あるとしたら
「The Rolling Stones」
「しなかった後悔よりも、した後悔(だったらいいな)」
だろう。
二点目はそうなりたいという願望の方が強く立っているが
一点目に関しては、私の人生を地で行く言葉だと思っている。
(別にカッコつけているわけではないよ)
「The Rolling Stones」は二通りの意味として捉えていて
・石のようにとりあえず流れに転がっておく
・転がるからこそ、苔が生えないで生きていける
というもの。
ただ、生き様を地で行く言葉を座右の銘にしておくのは
なんだか違う気もするので、
今日を機に、
「恥も外聞も無い生き方」を新しい座右の銘にしてみようと思う。
なりたくても「恥も外聞も無い」生き方をすべてできるわけではないと思っているので、私なりの「恥も外聞も無い」でやっと人並みになれると思っている。
以前も書いたように、
真面目な私が不真面目になりたくても、不真面目になりきれないんだから
自分の中で吹っ切れた不真面目でやっと、他人の真面目から脱却できる程度
だと思っている。
よって、今回の「恥も外聞も無い」も思いっきりやったとて、
他人のそれに少し近づけるだけだろう。
でもそれでいいのだ。
と、話がだいぶ脱線してしまったが、
演技する、フリをする、カッコつけた態度を取るために
「恥も外聞も無い」生き方を心がける。
そして「恥も外聞も無い」カッコつけた生き方の先に
新しい自分が待っている気がする。
何段階にわかれているんだよ!と
自分でも辟易していしまっているが、
こうした新しい発見は一歩一歩解決していくしかないこともわかっている。
だからこれで良いのだ。
ということで
やっと下地ができたので、
これからの人生は嘘をついていこう。
いい意味でカッコつけていく。
どんなに自己矛盾があったとしても
ピンチになったとしても
自分を鼓舞してカッコつけよう。
内面ではビビっていてもいい。
外見では強がろう。
いきなりはできないだろう。
でも、それでもいいのだ。
少しずつでもいいから前に進んで、やってみよう。
意図的にピエロになったつもりで、
真にわかっているのは自分だけ、
どんなに馬鹿にされても、怒られても
腹の中では舌を出してやろう。
自分がわかっていればいいのだ。
他人などに理解されなくていいのだ。
もっと自分勝手に、
傍若無人に、
恥も外聞もなく生きてやろう。
虚勢もカッコイイ生き方の一つである。
笑ってやるなよ。