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この世から悲しいことがなくなれば良い。と思わない?

この世から、悲しいことがなくなれば良い。

本気でこう考える時がある。

この世から、孤独や不安が無くなれば良い。
・・・そう思うことは、思い上がりなのだろうか。

人間の感情には、「嬉しい・楽しい」というプラスの感情だけでなく、「悲しい・辛い」と言うマイナスの感情も含まれている。
だから、悲しいと言う感情が健康的に生まれるのは至極当たり前である。

しかし、そうはいっても人が悲しんで身を滅ぼす姿を見るのは辛い。

戻れない過去を懐かしんで遠い目をする人を見るのは辛い。
自分の無価値感に苛まれる人を見るのは辛い。
大切な人との別れを悼む人を見るのは辛い。
意味もなく奪われる命が惜しい。
大切な人が、自分をつまらない存在だと感じるのが辛い。

それが健康的な悲しみの範囲内であれば良いのだが、マイナスの感情には囚われすぎては辛い。
内側の焦燥感や満たされぬ心は、どう扱えばいいのだろうか。

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マズローの5段階欲求説に、「欠乏欲求と成長欲求」という言葉がある。

「5段階欲求」
1 生理的欲求
2 安全欲求
3 社会欲求
4 承認欲求
5 自己実現欲求

1-4が満たされぬ状態で、足りぬものを満たすために努力するとき、人は欠乏欲求にかきたてられているという。
そして、5の「自己実現欲求」を満たそうと行動する時のみ、「成長欲求」により行動してるらしい。

細かい用語はどうであれ、たしかに納得する。
誰かに認められたいと思って努力するとき、思い通りの反応が得られないと酷く落ち込む。
足りないものを満たそうとするとき、頑張っても頑張ってもなぜか満たされない。

でも、自分のために、自分がなりたいものになるために努力した時は、成功しても失敗してもなんだか爽やかな気分になる気がする。

時代や生活様式が変わっているのに、
意識的に生活しないと、それに伴う心の持ちようを学ぶ暇がない。


ひとの辛さに共感して泣く。
これは思い上がりなのだろう。
勝手に悲しませてくれ、ってところだろうか。
もしくは、自分自身の辛さを他人に投影しているだけなのだろう。


どちらにせよ、世界中の悲しみの総量が減ったらいい。
そして、一人にでも良いから生きる希望を与えてみたい。

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