よく身近な人に、いや身近じゃない人にも あなたの人生を生きなさい。 と言われる。 うーん、母とともにいるわたしは、わたしの人生を送れてないのか? わたしは母のことが好きで、憧れの人です。 たべることも、書くことも、話すことも、 数年前とは全然ちがう。 でもそれがとても愛おしく、いいなぁとおもう。 そういう関係だってあっていいとおもうんだけどなー。 親が認知症になったらスライド式に施設一択!みたいな反応ばかりだと、なんとなくモヤモヤする。 場合によっては、頼んでもいない
母を2日間のショートステイへお願いし その足で父のいるホスピスへ向かう ショートの担当の方への引継ぎ ホスピスのナースからの報告 ヘルパーさんへの連絡 ケアマネさんへのお願い あれやこれやあれやこれや・・・・・・ アレヤコレヤアレヤコレヤ、、、、、、 あれこれあれこれ・・・ そうして、ひとりお家に帰る ひとり。 あれ。 ずっーーーーーーとひとりの時間がほしかったはずなのに。 「ひとりの時間」なんて書いてある雑誌を貪り読んだりしてたのに。 あれぇー。 なーぁんにもや
足の骨折をきっかけに入院をしていた父。 そのあいだに、すっかり自力での食事が難しくなり、誤嚥もたびたび起こすようになった。 一方で、骨折の手術の経過はそれなりによく、文字どおり、追い出されるように退院をしなければならなくなった。 とはいえ、もともと重度の肺疾患があり、さらに栄養は鼻から、しかもその鼻の管を引っこ抜いてしまう父を受け入れてくれるところは少なく、なによりミトンからの解放を望んだわたしたちの行くあては、ホスピスしかなかった。 病院から介護タクシーでホスピスへ向か
3月あたまに、母とふたりで高熱を出した。 幸いというのかなんなのか、もはやうつる心配、うつす心配をしなくていいから、わたしはなんのためらいもなく母に付き添うことができる。よかった。 でも。 よくよく考えると、わたしも熱あるし、頭が痛い。 うーん。。。 ここで一大決心。 よし、お布団で寝よう ここ3年くらいかな、母がいつ起きても気がつけるように、リビングのコタツをグググっと押しやって、座布団を2枚、縦に並べて寝てたけど。 せめて、せめてせめて!! 今だけはお布団でゆっく
大切な方の送別会も、 久しぶりに会う仲間との飲み会も、 わたしのスケジュールにはいることはない。 少なくとも今は。 はじめの頃は、そのことがストレスでストレスで、わたしの時間が奪われているようで気持ちが落ちた。 そんなことが続いたある日 そうか!予定を入れるから叶わなかった時に落胆するんだ!と気がつき、予定をいれるのをやめた。 すると、たくさんの刺激や楽しみは味わえない代わりに、たくさんの「ムリ」もなくなった。 がんばって笑ったり がんばってはしゃいだり かんばって飲ん
レベルⅠ 気がついたら、爪が伸びている レベルⅡ 気がついたら、顔を洗い忘れている レベルⅢ 気がついたら、おトイレにいくのを忘れている。 そして 突然我にかえって火がついたようにおトイレに駆け込む。 介護あるある、かな。 他にもたくさんありそうだけど。 でも生理現象である「Ⅲ」が稼働されはじめたら、アラートです。 ばたばたしているとついつい、いろんなこと後回しになってしまうけど。 とは言え。 ゆっくりおトイレにいったら、ちょっとひと息。 ほんの数分
年末に足を骨折し救急搬送された父は、2カ月半の入院を余儀なくされた。 もともと肺に重い疾患のある父。 入院で寝たきりが続いたことにより体力が落ち、呼吸する力も飲み込む力も失われていった。担当医にこのままでは餓死しますよと、鼻から管を入れて栄養を胃に送る「経鼻」という処置をすることに同意するよう言われる。 迷う余地などなく、同意するしかなかった。 でもその後が本当に大変で。 痛いのか違和感があるのか、父はその管を鼻から抜いてしまうことが続いた。それを入れ直すことはとても大変
はじめまして。 父と母ふたりのダブル介護をしている ぴの です。 父は重度の肺疾患。母は認知症。 先日のこと。 母がディから帰ってくるまでの数時間。 とにかく外の空気が吸いたかった。 私は靴を履くのももどかしく家を飛び出し、ふだんあまり行かない駅の、入ったことのないカフェに飛び込みました。 中に入ると薄暗い店内の奥の方にほそーい階段があり、気をつけながら二階にあがると、どの机にも便箋とえんぴつ、そして封筒。まるで「書くまで帰さないよ」といわんばかりにセンターに堂々と鎮座し