【固定観念をはずす】超訳 言志録 第二十一条
幕末の名著「言志四録」に学ぶ
東洋の生き方学 No.21
言志録 第二十一条
『善悪二元論を超える』
この条文にて、佐藤一斎先生は、
「心が塞がると、すべてを見誤る」と、述べている。
心が塞がるとは、「固定観念」を意味する。
固定観念とは、言い換えて
善悪の二元論論的思考であろう。
自分の価値観、判断基準を前提とした
善い悪いで分別する思考である。
善い悪いなどは、
そもそも絶対的に定義できるものはない。
東洋の善悪とは
相対的判断によって変わる。
つまり、時所位によって変わる。
置かれたその瞬間によって、
時々刻々と変わるのが、東洋の善悪の概念である。
その瞬間瞬間に正しき振舞いを求める人間が
「人格者」なのである。
善悪を振りかざす人間が「人格者」ではない。
心をふさがない為には、
今、今、今
この瞬間を見つめるしかない。
この瞬間における"正しさ"を積み重ねる。
私たちが認識できる今は一つしかない。
目の前の出来事と、湧き起こる感情は
一度に起こっているように見えて、
実は一度には起こっていないことを理解せねばならない。
一度に起こっていないからこそ、
調和が生まれているのだ。
これを感じなければならない。
固定観念に囚われずとは、
今を見つめる、自己と自己以外の個と向き合い、
全体に還るということなのである。
今の善は、明日の善に非ず。
明日の悪は、今日の悪に非ず。
今、今、今の善が、今の善であり、
永遠の善である。
言志録 佐藤一斎著 第二十一条
【原文】
心下痞塞すれば、百慮皆錯あやまる。
【訳文】
心が逼塞していると、全てのものを見誤る。
いいなと思ったら応援しよう!
記事を読んでいただきありがとうございます。
サポートいただけるとシンプルに喜びます。
文章を書かせていただけるだけでよろこんでます。
これからも地味に地道にがんばります!