『Nのために』を読んで

湊かなえの著作であるNのためにを読んだ。何年も前にドラマを見たことがあったのだが、それが面白かったという記憶はあるが内容を詳しく覚えていないというのと、いつか湊かなえ作品は一通り読みたいと考えていたので本も買い(金欠大学生なので中古で)読んだ。読んでいて最初の方、登場人物7人は全員頭文字にNがつく名前か名字を持つことに気づいたとき、タイトルの通り、誰かが誰かのためになる行動をとっているのだろうなと思った。(ドラマを見たのが前すぎてそこの設定は覚えていなかった、、)最初は事件について多分警察か誰かに対するそれぞれの状況説明から始まるのだが、その次の章から、それらの話が嘘だということが分かる。嘘だと知った時、ずっと行ってみたかった喫茶店の席に座って、本を読み始めてすぐのことだったので、なんというか衝撃だった。タイムスリップしたかのような喫茶店で、別の世界に入った気分になった。最後まで読み終わり、事件の時、それぞれ誰が誰のために行動していたのか判明したわけだけど、(西崎は愛というの名のDVを受けている奈央子のために、奈保子は愛する夫のために、杉下は広い世界に連れて行ってくれるかもしれない安藤のために)誰の動機が一番共感できるのか考えた時、西崎かもしれないと思った。愛のための犠牲をしたことがないけれども、自分の過去を救うためにその人を救うのだという考えに、心が痛くなった。彼は、愛という名の虐待を受けていてそれを自分の中で、愛されていたからだと思うために文学に昇華していたが、ここより広い世界に行きたいと思う杉下や安藤を見て、文学にするほどの現実が自分のもとにないことに気づいた。だから、奈央子さんが夫からの暴力を愛だと語る世界から、外の世界に連れ出そうとしていた。それなのに、奈保子さんが夫を殺し自分も殺したときに、すべての自分への行動に愛のかけらもなく「汚い傷」と傷跡を称されたにもかかわらず彼女をかばって罪を引き受けた。本人は、見殺しにした母に許される為だということを言っていたけれど、人は一貫性を保ちやすい生き物だと思っているので、(有事の時はなおさら)彼女のことを好きな自分のまま行動をとったのではないかと思う。そして、彼女を殺人の罪からかばうという愛の犠牲を取ったのだと、この人は、愛の形を幼少期の思い出から変化させられないのだと感じ悲しくなった。


自分が犠牲にできると思うほどの、究極の愛とは何なのか。
今回の本を読んで、その結論は人それぞれでも、そう考えるに至るまでの経験や性格は、人の数ほどあるなと思った。


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