「阿佐ヶ谷姉妹的生活に憧れて」
「現代は、一人が楽しすぎる」
私は、一人カラオケ、一人焼肉、一人旅など、一人の活動が大好きだ。
複数人と出かけることももちろん好きなのだが、
田舎ゆえか、22歳を超えてから
だんだんと日常の会話に結婚や出産などの話題が増える
ようになってきて、どうにも話題が合わないというか、
なんだか聞いているとむず痒くてたまらない。
「今の彼氏のままじゃ結婚は考えられない」だの、
「早く結婚して専業主婦になりたい」だの、
なぜ自分のことを自分で幸せにするための話し合いをしないのか、
どうして、男性にどうにかしてもらう話を
女性同士の会話でしなくてはいけないのか。
その手の話を聞いていると、
「なぜ、自分だけは失敗しないのだと思い込め、
なぜそんな結婚という賭け事をしようとするのだろう」と、
聞き返したくなる。みんな当たり前のような顔をして話しているのは、
実は中身はカイジが乗り移っているからだと信じよう。
父と母の背中を見て、
彼女たちは、「結婚」というものに憧れを抱き、
それを信じ、自分もそうなるんだと日々デートを重ねる。
先日、母に私の友人が彼氏の家に挨拶をしに行ったという話をしていた流れで、
単刀直入に
「私にも結婚してほしいと思う?現代で女が結婚するメリットって何?」と聞いた。
そして母は
「結婚は個人の自由だからね。
……でも、職場の人を見てても歳をとってからは寂しいものだよ」と言った。
歳をとってから、寂しくならないために何十年も我慢するのは、
割に合わないし、自分の寂しさの予防線ために子供を作るのも小門違いだ…
でも、逆に言えば、パッと言えるメリットなんて、
老後に寂しくなるくらいしか結婚するメリットってないじゃないか。
ただ寂しくならないことを引き換えに、結婚制度と夫の家族と家父長制の中に飛び込むだなんてなんて愚かなバンジージャンプなのだろう。
どうして私が他人の家族のために無料で介護をしなければいけない可能性が生まれる場所に自分の足で飛び込まねばならないのだろうか。
私は自分の人生が大切だし、他人の家族なんてどうでもいい。
自分の人生を投げ打ってでもこの人と幸せになりたい!と思える人にまだ出会ったこともない。
貧しくとも自分の食い扶持は自分で稼ぐし、
誰かに養われたいとも、養いたいとも思わない。
私は、自立した人が好きだし、自分も生涯そうでありたい。
私は、田舎の出身であるが、
結婚に囚われない生き方を模索している最中だ。
田舎の昔から仲の良い友人たちは結婚こそが女性の幸せであり、
それを疑う私はどこか変な人だという認識をされていることを私は
気づいてる。
それに世間では、アラサーになると周りの人が頼んでもいないのに
独り身の女性を心配してくるらしく、
そんな無駄な会話も人も跳ね除ける防護壁が今から欲しくてたまらない。
私を焦らせるのはいつも他人だ。
子供の頃は歳を重ねるのがあんなに楽しみだったのに、
いつしかもうこんな歳になってしまったと止めることはできない
時間の流れを嘆く。
私は、「結婚しなくちゃ」とか「もうこんな歳なのに」と焦りたくない。
日々の自分の生活も、年齢も大切にしたい。
結婚適齢期とは、今現在女性を焦らす為のものでしかないし、
結婚適齢期の女性だから、なんでも詮索し、「良い人はいないのか?」
「紹介するよ」などと、無粋なことを言うことを許されると勘違いする人があまりにも
多くないであろうか。
その人たちのおせっかいで、
「私に問題があるから結婚できないのでは?」
「このまま結婚できなかったら大変なことになるのでは?」と、
不安に思い急いで婚活をした人は沢山いるであろう。
そういうおせっかい人間は結婚適齢期の女性の心に細波を立てるだけ立てて、
実際いざ結婚してうまく行かなくとも後は知らんぷりだ。
しかし、そんな無礼な人間でも
いざ対峙してしまえば私の心にも細波を立てるのであろう。
あー。想像しただけで実にめんどくさい。
早く歳を重ねて、阿佐ヶ谷姉妹のようになりたい。