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初コミティアを終えて
感想としてはとても楽しかった!
楽し過ぎたので帰ってきて、まず
次回の5/5のコミティア参加を申し込んだ。
嬉しかった、大げさだけど目の前で自分の手で本を渡して、これから本を読んでくれる読者さんと話をすると、
自分が無条件に肯定されているような
そんな心地よさを感じた。
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例えるならば、書き物とは、
いや、私にとっての書き物は排泄物でしかない。普段の会話では到底話せないことも
文や漫画の中でだけは話せる。
排泄物も同じではなかろうか?
人前では用など緊張して足せないか、
トイレの中でなら足せる。
私にとってのトイレは、
原稿であり、このnoteだ。
子供は親にオムツを取り替えられる、
しかし大人は自分のケツは自分で拭かねばならない。
だけど、作品は違う。
どんなに醜く臭くとも、
それが読みたい人がいる限り、
許される。
ありがたいことに本は完売した。
そして私は迷っている。
今回作った本を通販したり、
再度会社に印刷を依頼するのか。
読んだ数少ない人ならわかるはず、
あの本がどれだけ私のためだけの本か。
また刷る勇気が出来たら刷るかもしれない。
それに5月のコミティアで売り場が新刊だけでは色のバランスが取れないかもしれないから
刷るかもしれない。
でもその時の私の気持ち次第だな、
全部。
初めてのコミティアの帰り道に
同期のかろてんさんに
「私は今回告知をまったくしていなかったことがわかった」と話した。
そして、次のコミティアまで
毎日投稿して、
その漫画を収録し、エッセイをプラスで書くという宣言をした。
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帰ってから荷物を片付け、
買った同人誌を読み、
いただいた差し入れを飾り、
この4ページを書いた。
自分も今の2人暮らしのことをなるべく
記録したいし、コミティア参加はメリットしかない。
はやくまたあの会場に行きたいなぁ
私は人と話すのが好きだから、
本当に楽しかったんだよなぁ。
同期のみんなに、
お隣のサークルさん、
Twitterで前から買いに行くと言ってくれていた方、
取置きを伝えてくれた人たち、
二回もきてくれた編集さん、
POPを見て買いに来てくれた人、
がんばれといってくれた人
誰かがかけていたら、
次も出ようと思えなかったかもしれない。
本当にみなさんありがとうございました。