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ネタバレに怒る人々に言いたい
ネタバレに怒る人々について疑問に思っているお話。
ネタバレの起源
ひと昔前。ドラマや映画の話を仲間としていてポロっとその結末や結末につながる大事な要素を口にしてしまったとき、「おい~ネタバレすんなや~!」とツッコミを受けたりしました。
ネタバレってこの程度しか使い道がなかった言葉と記憶しています。
しかし、インターネット黎明期から始まってブログが浸透し、さまざまな人が個人の感性で情報をネット上に記録できるようになってからは、ネット上のいろんな界隈で「ネタバレ」についての見解が出ました。
ネタをバラすからネタバレ。
その周りには「知っているが故に人に言いたい人」と「今は知らないけれど後で知りたいから今は聞きたくない人」の2つの立場があって、両者が会話をしているときに事故的にネタバレが起きうる、というのが実情でした。
最近ではネタバレ注意!なる事前の警告を掲げられ、発信する側がネタバレを望まない読者に対して配慮が行き届いていて、読者が自分の意図でネタバレを選択できる環境になってきています。そのためネタバレというキーワードに怒る人も少なくなってきてるでしょう。
でもやはり一部ではネタバレに対して怒る人もいます。そしてかつてネタバレに怒っていた人も、自身からネタバレを望んで情報を見ることはしてないのかもしれません。
ネタバレって悪いこと?
このネタバレに怒る人についてかねてより疑問があります。
まず、ネタバレって悪いことですかね?
ネタを知りたくない人に強制的に聞かせることは横暴でしょう。知りたくない人の視点から見たらネタバレは悪。でも知りたくない人って、その人の視点が変われば知りたい人になるのではないか?
こう考えるとネタバレが悪いというよりは、知りたい人の心の動きにあった情報認知に沿ってないのが悪の気がしてきたわけです。
ネタをばらす方が悪いわけではない、ということ。
都合のよいネタバレ感
そしてネタバレに怒る人は、映画やドラマのネタバレは知りたくないくせに、人生のネタバレは知りたいと求める。これ自己矛盾ですね。
バカリズム(芸人さん)がアメトークで「女性が年齢を聞かれるのは拒否するくせに誕生日は祝ってもらいたがる」と話していましたが、これはまさにそれと同じです。
ネタバレに怒るって、自分が後で知りたいから(楽しみたいから)それを人に知らされたくないからが理由です。
だったら自分の人生も、あとで知りたいから(楽しみたいから)それを人に知らされたくないはずです。が、人は未来をあらかじめ知りたいと思い、自己啓発だの理由で人生のネタバレを求めます。なぜなんでしょうか。
ネタバレを求めるとき
ここが人間の面白い点だなと思います。
自分の経験上から、これは人間の弱さが起点です。
自分がいつも安定していて、意図通りの行動ができ、ぶつかる壁も突破し、理想とする自分に順調に向かっているときは人生のネタバレなど求めないはずです。
でも人生の過程はそうはうまくいかず、ふと弱気になったり、壁を乗り越えられなかったり、意図した行動が理想から外れていったりしたときに都合よく人生のネタバレを求めるのではないかと。ネタバレは自己救済みたいなものですね。
勝手ですねぇ人間て。もちろん自分も含めてです。
人世を切り開くという言葉がありますが、人生なんて自分にとっては「前人未踏」であるはずです。他人の人生をなぞっていきるなら人生のネタバレも事前に必要でしょうが、切り開いていくのならばネタバレなんて必要ない。
絶望感を前にして
途方もなく先が見えない作業を延々としなければならない場面に居合わせたことはあるでしょうか。
たとえば次のような仕事を頼まれたとき。
・100m四方の畑の雑草をすべて手作業で抜いてくれ
・道具はなし、頼みは自分の両手のみ
・開始は朝7時、日没までにすべて終わらせる
と、半ば無理難題を押し付けられた状況になったとします。
普通に考えたらネタバレ(解決できる方法)が欲しいです。控えめに言っても絶望感しかないから。ネタバレを使って言われた仕事を完遂し「やったぜ、できたぜ」と言いたいのが通常でしょう。
ただここで、ネタバレを求める前に試してみる価値があることがひとつ。
絶望感を味方につける
それは 絶望感を認知する ことです。
100m四方ですから面積は10000㎡。一人では到底無理、時間も無理、どうしようもないこの状況。
あなたが置かれたのは望みが絶たれた状況。絶たれたということは望みがあった状態が続いていたということ。ということは、再び望みをつなぐことができれば絶望は味方になります。
そのためには絶望感を認知することが最初の第一歩。決して絶望感を打破しようとしたり、戦ったりしたら自滅してしまうのがオチです。
ネタバレは嗜む程度で
ネタバレはうまく使えばコミュニケーションを円滑にとるための道具として
使えます。
人から安易に与えられてもダメだし、自分から安易に求めてもダメ。
ネタバレとは、ほどよい距離感で付き合うことができれば人生のスパイスとしてうまく使える道具であることは間違いないと思います。
お酒やたばこと同じですね。嗜む程度でいい。
これを書いて整理していて、ネタバレの本質を垣間見た気がしました。
自分で自分にネタバレをするということもできるのかな?これはまた別の機会に考えてみよう。