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森博嗣「アンチ整理術」

すべてがFになる、で知られる森博嗣の本。
2019年の本。

自分は自室の整理が出来ない人間である。
常に散らかっている。
しかし、彼、森博嗣の著書で確か冷たい密室と博士たちの中で部屋が汚い登場人物の思想として——部屋が汚いのは頭の中が整理されているからである。どこに何かあるのかわかっていて、片付ける必要が無い——みたいな事が書いてあり、まるで自分のようだと感動した。
そんな彼が整理について書いた本なので、気になり読んだ次第。


整理する時間があったら、研究や創作や工作を少しでも前進させたい、と思っていた。無駄なことに時間を使うなんて馬鹿げている。
すなわち、これが、僕の「整理術」である。

10p

人は、人工のものよりも自然を美しいと感じるようだが、そのわりに、散らかっている自然は美しくなく、人工的で不均質な状況になるよう、整理整頓をし、掃除をして、これぞまさに人工という状況を作り出そうとする。
そういうものを綺麗になった、などと表現するのは、実に不思議なことではないか。

21p

結局のところ、整理整頓とは、元気を出すため、やる気になるためにするものである。
それなのに、仕事ができるようになる、発想が生まれる、効率を高める、などと余計な効果を期待するから、勘違いが生まれる。

24p

片づいてるから仕事が捗る、といった感覚は、少なくとも研究者の間には見られない。
むしろ逆で、片づいていない部屋の主の方が、研究が捗っている場合が、僕が認識する限りでは多かった。

32p-33p

部屋の散らかりようと思考の理路整然さは、ほとんど無関係だ、という程度の印象である。

33p

綺麗に整理整頓された工場というのは、仕事がないのか、眠そうである。おそらく、暇だから綺麗にする作業に労力を回せる、ということではないか。

34p

片づけたいなあという気持ちは常に持っている。だが、なかなかそんな暇がない。
時間があれば、新しいことがしたいし、新しいものが作りたい。
片づけることでは、新しさは生まれないのだ。

35p

創造的な仕事をしている場合ほど、片づけられない。逆に、片づけられるのは、創造的な仕事をしていないから、といえるだろう。

36p

これに関しては反論。京極夏彦なんかは創造的な仕事をしているが、彼の趣味は整理整頓。

世間で良いといわれている方法が、必ずしも個人の役に立つわけではない。
どんなに大勢が良いと評価しても、あなた1人に効かなければ意味はない。

42p

好き嫌いで評価しないこと。
嫌な奴がいっていたから、あいつの意見は聞きたくない、ということは、自分にとっては明らかな損である。
また、好きな人がいったことも、褒めてくれる人の意見だからといっても、真に受けない。
これも肝に銘じておこう。

43p

整理整頓も掃除も、良い環境を得るための手段である。

52p

もし、自分の子供を、片づけなさい綺麗にしなさいと叱るときがあったら、それよりも大事なことはないか、と一瞬で良いので考えていただきたい。
そして、整理整頓するべきものは、このような自身の精神ではないだろうか。
部屋よりも、精神こそ綺麗な方がよろしい、と僕は思う。

77p-78p

計算は、ほぼ時間に比例して進められるものだが、発想は、出てくるまで止まって考えるしかない。
思いつかないかぎり、一歩も前に進めなくなるのだ。

84p

学習は、栄養補給であるから、学習するほど頭が太る。だから、適度に計算や発想でアウトプットをしないと、頭の肥満になりやすい。

92p

頭を使うって、何を考えたら良いのか?
そう思う人は、既に頭が固くなっていると思って良い。

104p

多数の人が、具体的なものでないと役に立たない、と考えているだろう。
そういう人には、この本に書かれていることは、きっと役に立たない。

152p

努力だろうが、知力だろうが、あるいは運だろうが、なんだって良いのです。
ようは結果が出るかどうかです。
世の中は非情ですからね。僕が見てきた範囲では、結果が出せれば、知力があった、努力した、などと評価されるだけです。
(中略)
手法なんかどうだって良い、ということです。
どんな方法が最適かと考えるまえに、結果をだすことを考えましょう。

169p

まずやりたいことがさきにあって、それに必要なことを学ぶ、というのが正しい順番です。

182p

まず、やりたいことを見つけましょう。それが決まれば、自然に勉強ができます。知りたくてしかたがなくなるはずです。

183p

情報過多といっているわりに、みんな薄っぺらい情報しか見ていないし、深く追及もしません。情報と情報の関連性も考えません。これも、やはりインプットだけではなく、アウトプットすることが大切です。

191p

わかっても駄目なんですよ。知ることでもなく、わかることでもない。大事なのは考えることです。

201p

効率的に学ぶと、効率的に忘れていくかもしれませんよ。

206p

事前に考えるのは、作品のタイトルである。これは半年ほどかけて考える。

213p

僕が自由にしているのと同じだけ、彼女も彼女が望むことを自由にすれば良い。
理解が必要というなら、それが理解というものではないだろうか。

229p

頼まれたわけでもない、褒められたいわけでもない、自分がやりたいからやっている。
この自発性というか、自己完結的な部分が、人間としてとても魅力的に見える理由だが、これは僕だけの感覚だろうか。

233p

なにか目の前のものを買わされて、それを消費することが人生の楽しみだ、と思い込んでいないだろうか?
誰か他者に自分の時間の大半を捧げて、それが自分の人生なのだ、と諦めていないだろうか?
人間は、本当に自由なのだ。
疑っている人は、一度試してみると良い。

243p

ちょっと話が矮小化するが、自分が「推し活」を嫌いな理由が、まさにこれ。自身の知識や経験にならず消費だけが増大していく感じ。今でもオタクという言葉は使われるが、やはり定義が違うというか、自己満足の知識や経験の増大に行き着くか行き着かないか、この差は大きい様に思う。

ものは散らかっているが、生き方は散らかっていない。

251p

以上。
初めて、読みながら気になる所があったら読むのをやめて書き出して、それから再び読み直す、という事をやってみた。
森博嗣は読点が多い。そして漢字が少ない。
読んでる内は良いけど、書き出す時に変換に気をつけなければならず、地味に苦労した。
森博嗣は自身で天邪鬼だと書いてる。
整理整頓も物体の話じゃなくて、どちらかと言えば思考に関する事が多かった。

すべてがFになる——から自分の読書人生は始まった。
その後、実は個人的に最高傑作だと思っているのは、喜嶋先生の静かな世界
研究(人生の目標)に没頭するのがいかに難しいのか、そして尊いのか書かれていて、彼の哲学を感じられる。

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