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老老介護の施設入居について、友と語り合った

先日…父の友人が訪ねてきてくださいました。
父へのお参りと、私を慰労に。
現在、その方はご家族を介護されていて、
私の介護仲間でもありました。

久しぶりに、近所の食事処へ行き、上げ膳据え膳。美味しかったし、楽しかったです。

喋り足りない我々は、場所を実家に移して、父にお土産をお供えしてから、また喋り倒しました。気づけば夜が近くなって、慌ててご友人さんは帰って行かれました。


父が亡くなってすぐだと、父の話メインなんですけれど…
時間が経つうちに、割と現実の話がメインになるもんですねー。
とくに、進行形で介護をされている方は、結局は、そのこと中心に人生が稼働しているため、やはり、疲労がMAXのようで。
もう泉⛲️のように湧き出る思いが、多量で。
流して聞いているつもりはありませんが、まぁまぁな過酷さをどんどん川に流すように話されるので、ちゃんと私は話が聞けているかなぁ…と不安になりました。


ということは…
やはり、私は、介護からは一段落した人になってしまってるのかなぁ…と感じました。


別日に、先月ご家族を見送られた別の介護仲間と話をしていた時、
「だんだんいろいろが終わっていって寂しいねぇ」と話されていまして、
「そう?」という感じがしていたんです。

毎朝、父の仏前にお供えしつつも、そこで一緒に朝食会をしながら話をしているので…
「寂しい」という感覚があまりありませんでしたが。

あ、この一歩抜けた感がそれなのかなぁ…と思ったりしました。



現在、ご友人の進行形の介護は、老老介護になります。

体力的にも、資金的にも、いつまで続くのかメンタル的にも、先が見えな過ぎるからか、いろいろな介護計画をケアマネさんと相談されているとのことでした。


介護されているご本人が、年齢もあるけれど、がんを何度も発症されていて肢体が不自由なんです。が、体が大きく、動くところは動くし、頭もしっかりされているため、さらなる高齢者の方がたくさんいる施設へのショートステイすらよろしく思われないそうで。
施設入居は…まだまだ嫌だという状況のようです。


とは言え、互いの限界も見えてきていて、施設入居を視野に…ということで、ケアマネさんが下調べをしてくださってきたそうですが…
施設費用が…ま、ハイ


なんとか、ご本人の年金とかとその他の策で、工面する方法をご家族などで考えられてるそうで、その発表を私にしてくださいました。


聞いていると…
ま、ギリギリなんとかいけそうな話なんですけどま、こっから5年先くらいに…とおっしゃる。

ん?
5年先にその価格で入れますかね?待機人数は?または、5年先にその方法でご家族の協力が得られますかね?
アシがでるんじゃない?

と私は思ってしまいました。


入居当時にアシが出なくても、年数がわからない…次第にアシ出ない?
そこ考えてる?
そもそも入ってくれる?
イヤイヤ入ってもらって、つどつど呼び出されるわ、アシ出るわってなったら…やっていけそう?

とかとか思ってしまいました。


その以前に…

私的には、その方はもう何年も前から施設に入っていただいては?という老老介護に見えていました。周りのご家族も「それでいい」と考えられています。

なのに、ご友人さん自身が施設入居をさせずに頑張っています。

「もう、好きでもなんでもない!早く逝って欲しいと思ってる。もうしんどくてしんどくて」と言いながら、できるお世話を続けているらっしゃるわけです。

私は、この方の介護の辛さ苦しさは、もしかして、その奥底にあるご自身の気持ちに気付いてないからじゃないかなぁ…と思いました。


「今でもいいんじゃない?施設入居」

「まだ、嫌なんだと思う」

「じゃなくて、Kさん、あなたはどうなの?」

「あと5年が限界よね。今施設入居に向けて準備してるの♬」

「。。。
というか、これまでももう入った方がみたいなことあったよね?でも入ってもらわなかったじゃん。5年したら、入ってもらえるの?預けられる?お金の準備とか、いろいろあるかもだけど…そうじゃないとこのKさんの気持ちじゃない?無理なら無理で、もう預けてもいいとこに来てるよね。でも嫌なんじゃない?」

「私にもそれがわからない…
世間体とか気にしてるのかなぁ…
人でなしと思われないか?とかかなぁ」

「と、私は思ってたんだけど、ちょっと違う気がしてきたよ。話聞いてきて。そもそも、周りの目を気にするようで気にしてないよね。もしかしたら、これまでのこと(かなりのとんでもない迷惑をかけられています)を含んで考えた上で…こーゆーところがあって腹立つし裏切られたし、嫌で嫌でたまらないないけれど…それをも越えるとこの良さとかダメさとかを全部含んで、かわいいとこあるのよとか母性や慈愛があって。手放せなくなってるんじゃない?」

「。。。
そうなんかなぁ…そうなのかも…」

「別に、預けても預けなくてもいいと思うのね。お金のことだってそう。どんなに準備したって、足りなくなることもあるかもだし。
でもね、それで預けて足りなくなってきて、ご家族もイライラしはじめてってさ、ありうるよ。いつまで…とかね。
Kさんは計画性があって、お金の計算が細かくできるから、きちんと時がきたら!って思って備えて生きてきた人だけど…
だからか、周りがルーズなったのかもね。
でも、そこを突いて施設入居に追い込んだって、きっとちっとも気は晴れない気がするよ。
『家にいていいけど、あとはもう外から来てもらう人に全部やってもらう!』と言って、施設費用だけでも浮かして家に置いといてあげるって言うのがコストは結果安いよ。そして、『ずっといてもいいよ』と言ってあげれる。できないことはしなくていいし、仕方ないよ。それで傷つかなくていいから。最後は施設!と決めつけないで。自分の性格的に許せそうな折り合いがつきそうな感じのところを考えてみては?」

と話してみたら、、、

「たしかに。そうなんかも。だから、わからないのかも…」

と帰って行かれました。

在宅介護は限界があります。
が、施設に限界がないわけではありません。

家族に迷惑をかけたくないからと、周りに迷惑かけて平気な人もいません。

ちょっとずつケアを受け持って、ちょっとずつ気持ちをおさめあって。
そうでなくては、未来の介護は成り立たないと思うのです。

認知症の人が認知力がさらに低下していくのには、やはり、自分が自分でいられなくなっていく現実に心がついていけなくなるからではないかなぁと思う訳で。

生活は綺麗事では済まないのですけど。
一個、気持ちを受け入れることで、ぐん!と生活態度や認知力に影響が出ることもあるんではないかと思ったりします。

きっと、100点の正解はないのです。
体がコケる日もあれば、心がコケる日もあるし。財布の中の計画がコケる日もあります。
コケるのが、ケアされる側の時もあれば、ケアする側、見守る側のことだってあるんです。

コケてもしもがあっても、それがまた人生。
誰をどう責めるか考えるよりも、よりよいリカバリーに集中する方がきっと状況は明るくなるんじゃないでしょうか。


偉そうに😅
親でもおかしくない先輩の友人に意見したある日でしたー

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