ぼっち在宅介護 じゃない友達から譲り受けた大事なもん
先日noteに書いたじゃない方の友達の話は、まだまだ、あれからのエピソードがある。
彼らのタベルナ(イタリア食堂)のとうがらしは、実に美味しかった。
ペペロンチーノはもちろん美味しいが、テーブルに置いてある刻んだとうがらしをふりかけるのも、実に実に美味かった。
あまりに、「美味しい美味しい」と私たちが言うので、ある時、3つほどとうがらしを譲ってくれた。
「種がめちゃくちゃ辛いから、手袋して外して使ってね」
と、注意を受けた。
種!種⁉️
捨てるの?
捨てるだけなら…植えてみちゃおう!
と、何も考えずに冬植えてみた。
夏までは、花芽がつかずなんだかよくわからない感じだったが、秋からぐんぐん育ってくれて、冬にはたくさんのとうがらしのクリスマスツリーになってくれた。
夏、マンションのベランダ柵を越えて、1.5メートルくらいになってしまい、秋の台風、冬の寒さから守るために部屋うちに入れていたら、なぜか、秋からどんどん花が実となり赤くなった。
たくさんできてきたので、
「こんなになりましたよー」と、クリスマスにお返しをした。
「ぇ。アレから?え〜!嘘でしょ?」
オーナーはびっくりしていた。
なぜなら、いただいた唐辛子は、冷凍されていたものを解凍した子たちだったから。
「ぇぇえ〜!!!冷凍しても種って芽がでるのー???」と私。
互いに驚きでしかなかった。
後からゆっくり聞いた話によると、若い青年スタッフの実家から、毎年届くものだったらしく、乾燥させて使うもいいけれど、風味が飛ぶので、シーズン以外の分は冷凍で小分けしておいたらしい。
まさか、友人たちは、私が種を蒔くなど考えもしなかったらしくプレゼントしてくれたそう。
そして、私も『冷凍』と聞いていたら、種まきなんかしなかったと思う。
このとうがらしとも運命的な出会いだった。
育ったとうがらしの木の画像を見て、
「すごいねー、生命力だねー」
なんて話が弾んだ。
それから、7年はたったかな…
唐辛子は、多年生ではあるけれど、四季のある日本では夏やさい。この辺りでは、温かい時期に栽培して、バイバイ。畑は次の野菜とバトンタッチする。
が、この子たちは、たまたま都会のマンションで生まれたので、鉢植えのまま軒下で育ってきた。春になると新芽が出てきてしまうので別れづらくてそのままいてもらっている。
今年のたまらん猛暑でもきれいな大きな実をつけてくれた。
畑には、彼らから昨年採れた種から、ジュニアたちが育っている。
続いていくな。。。
形をかえ、場所をかえ、スタイルをかえて。
「郷に入っては郷に従え」そのままに、
残るべきものは、どうにかして残っていくのだなぁ…
この辺でも、猛暑で作物が育たなくなってきている。畑がひやがる。
米も野菜も暑い国に習って作付けをしていかねば、屋外自然栽培は厳しい…
とうがらしは、元気だなぁ。
温暖化で動物たちが食べるものが山から消えてしまい、里山におりてきていて。
スイカも芋も取り合い。人間とも取り合いだけど、動物どうしでも競争だ。
タカや鳶も空低く飛んでいる。
畑の産物は、美味しい手前で採らないと、横取りされてしまう。ま、分けてあげたい気持ちもあるが、本業の方々はたまらないので餌付けしないために、早めに収穫する。
とはいえ、うちの畑は、とうがらしだけ。
芋やトマト、スイカは庭を耕して植えた。
いつかくるある日まで、いろんな種を大事に育てておこうと思う。
最近は、私が疲れ果てていると…
元気の元の(イタリアの)トマト味を主人が作ってくれることがある。
🇮🇹あの時のあの味とはまた一味違う。
でも、これはこれで心身ともに沁みる味。
「ありがとう」である。
そして、遠くの友達からは、、、
ミキが届いた!
サツマイモとお米と水だけでできる日本古来奄美でつくられてきた発酵飲料。シュワシュワっとした飲み物ができる!
発酵もすごいよね…
エネルギーを使わずに加工食品ができてしまうんだから。
ずっとイタリアンで小麦ライフだったオーナーの友達は、うちから送るわずかなお米を食べて、いろいろ思い勉強し、別の形に変えて自分のものにしていた。
お店をしていた頃の彼女は、体調がギリギリの状態で倒れる寸前だった。ちょっとふっくらしていた。
けれど、最近の彼女は、ミキを飲んでスッカリ進化していた。15キロ痩せたらしい!
イタリアは好きだけど、日本人らしくイタリアを楽しむべきだと気づいたそうだ。
そういえば、私たちが体調管理のためグルテンフリーパスタを持ち込むことを拒むことなく、他のお客様と変わらず接してくれたんだった。
うーん!なんかすごいな。
やっぱりすごい人だな。
なんかまたすごいバトンをもらった気がする。
最近思うこと。
我々には、子供はいない。が、
我々の後の代にも残せるものがあるはず。
そんな思いで、草刈りをしている。
種もそうだし。
技術も知恵もそうだ。
すぐから使える譲れるものがあったらいいなって、最近、特におもう。
意味はちがうけど…
ただより高いものはない。
高価なんだ。非常に価値がある。
だから…
ただのもんは、どんどん人に配ったらいいと思う。
まず、
友達と主人に
「ありがとう」 だな。