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脳を素人が探偵する話1 脳🧠ってヤツは…

脳を素人の私が勝手に深掘りするお話です。
勝手な素人介護探偵のつぶやきなので、ご興味のある方は、チラッと寄り道してみてください。
もし、不快に感じそうな方は、ここで脱出してください。


家族の高齢者介護に携わるようになり、いろいろな認知症の方や認知力の低下した方の事例を見聞きします。

私の母も血管性認知症(マダラ認知症)を発症しました。まだ認知症を理解できていない時で、対処に困りました。

また、寝たきりになった父は、一時期、ひどいせん妄になりましたが、生活に困る認知症までは患わず、落ち着きを取り戻すことができました。

老齢な方も、傷病の方も、いろいろな方がいて、いろいろな症状があります。
認知症や認知力の低下は、頭では理解していても…人と人。互いに気持ちがあるので、思いやるほどうまく対処ができない時もあり。うまく行く時もあり。経験がないうちは特に難しい…💦

身体的な介助や介護ならば、まだイメージもわくけれど…

脳の中は…見えない🫥

なんと言っても、脳🧠
気持ちの面も司ってるし。
身体的な面も司ってるし。

脳ってやつは…一体どうなってるんだ?
🧠開けて見てみるわけにはいかないし。
聞いた話とでは、caseが違う…

介護する側、される側、お互い人と人。
双方とも…🧠脳がありますからね。
うーん🤔と思うのでした。


なので。
脳ってやつを素人ながら、勝手に深ぼってみようかなぁというnoteです。

今回は1回目。
書きたい気持ちはあるものの。どっから書くのがいいのか?なかなか切り口が見つけられずにいました。いろいろなコラムや本を読んだりしましたが。
読めば読むほど、
世にも奇妙で、この世で一番複雑でよくできた装置であり生物であり…💧難し…

で、ただの素人であることを思い出しまして。
子供目線から学んでみることにしました☺️


私ごときでもすごくわかりやすかったサイトがコチラ👇

子供向けですが、なるほど🧐と改めて当たり前を理解することができるサイトです。


脳🧠ってどんなもの?

脳は、五感(見る・聞く・さわる・味わう・においをかぐ)を通じて、人間が外界の様子を理解したり、考えたり、体を動かしたりするための司令塔。

 人間の脳は、頭がい骨の中で脳脊髄液(のうせきずいえき)という液体に浮かんでいて、周りのショックから守られています。脳は私たちが精神活動をするうえで、とても大切な臓器だからです。
 喜んだり怒ったりといった感情も、体温調節やホルモンバランスを保つのも、そして記憶も脳の機能です。

そうなんですよね。
全てを司ってる…

だから、介護をする。介護をされる。
生きる。暮らす。
において、
他の部位とは全く次元が異なります。

脳に違和感を感じた初動の時に、本人も周りも、どれだけ丁寧に医師や専門家からアドバイスを受けても、思うように心は傾きません。

だから、プロ側もいきなり多くを語りません。
需要側の状況、脳🧠自体も準備ができていないからではないか?と思うのです。


脳🧠とは、
人のソフトもハードも受け持っている部分。
アイデンティティの核でもあるのですよね。

そこにある種の違和感が出てくる…

私もそうでしたが。
その事実を見て。
改めて説明を受けて。
すると…襲ってくるのは、まず『不安』


人それぞれ、『不安』の大きさも類も違ってくるとは思うのですが。

これまでできていたことができなくなる…

当たり前に思っていた行動が、手に入らなくなる…

それを察知した途端、『不安』がよぎるのではないかなぁと思います。
手足の見える部分ではなく、覗き見たところで個性もそれぞれにある複雑な機能がある部分。

これからどうなる?
どうすれば、いい?

本人も周りの家族も『不安』を抱えます。

『不安』
これを感じるのも脳🧠
記憶してしまうのも脳🧠

そして、
『不安』に対策を講じるのも脳🧠だし、
『不安』を継続するのも脳🧠

ある人の『不安』がまた別の人の『不安』を呼ぶ状況は…
どうやったって、一発逆転的な完全な正解などはなく。

ただひたすら向き合って、経験値を積み上げて、『不安』から『安心』につながる道を探る努力をするとか。

一回、撤退して『不安』のある場所から逃げるとか。

そうでもしないと…
何でどう『不安』になってるか?
なんて…見つけられないから…


脳🧠というヤツは…

「ここにキズがあるから、これはできなくなります」

ということだけでは済まない場所です。
だから、見えない場所なだけに、見えないなりの『不安』が見えない量、辺り一面に広がります。

だから、逆に期待もしてしまう。
周りが決めつけたり、理想を押し付けてしまうこともあります。

そこに成功体験があれば、脳🧠の片隅に小さく記憶が残り、閉じかけた世界が広がることもありますが。

うまくいかないかも⁉️という『不安』な状況に、うまくいかなかった場合は、消したくなるような記憶を残してしまうかも。

はたまた、
残しておいてほしい記憶は消えてしまい…
消えてほしい感覚だけは残る場合もあり…

と、するとです。

さ、介護です!

となった時、
代わりに買い物にいくとか、
立ち座りに手を貸すとか、
傾聴をするとか、
デイやリハビリをすすめるとか、

技術的サポート、知識的サポートが、目の前にあったとしても…
脳🧠の場合は別格。
そうは簡単に受け入れられるわけがありません。当事者も家族も。

でも、そこに立ち止まっていては、当事者だけでなくその環境が総崩れになってしまうかも⁉️と心配してくれるサポートチームがいるのも事実。

だから、サポートする側と意思疎通がうまくいかない時もあって然るべきなんですよね。


脳🧠という部分が困ったことになった時…
コレ☝️って対処があるようで、ないのは…
受ける『不安』の具合が人それぞれで、
対応策も人それぞれで。
なんなら、応援する側にも『不安』というものがあり。それはたちまち広がってしまい、またそれを互いに伝播しあってしまう…
なかなかいい切り口が見つからない。
見つかってもまた変化する。


そういう場所🧠が


そりゃ、簡単に解決しようとすることは難しくて当たり前。
活字にして、しみじみ認識しました。

でも、わかったこともあります。

脳🧠は、すごいんです。

すごいことを当たり前にやってくれている場所なんですよね。
もっと頭が良くなりたい!とか優しくなりたい!とか、わがままなことをたくさん思ってきましたが😅すごく感謝がたりなかったなぁ。


というわけで…今日は、この辺で。

脳🧠いつもありがとう😊

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