ぼっち在宅介護 『家族』 村井理子著を読んで…
今日も雨だから、読みかけていた本を読み切ろうと手にしました。
別の本を読んでいたんだけれど、、、
ちょっと涙腺が厳しくなってしまい、断念しました。で、こちらもなかなか読み進まないでいた『家族』に手をかけました。『兄の終い』からはずいぶんとあけて読んでます。
表紙もインパクトがあって、読み進まない…
かれこれ…やっと向き合ってみたら、
今日の大量の雨の勢いとあわさって、一気に読めてしまいました。
『家族』 村井理子著
ざっくりのお話は、、、こちら
村井さんの直系のご家族は、お父さん、お母さん、お兄さんと村井さんご自身の四人家族でした。
お父さんは49歳で末期癌で亡くなり、
お母さんは70半ばで末期癌で亡くなります。
お母さんが亡くなられて5年後、50代でお兄さんは亡くなりました。
ご家族を早く亡くされた、村井さんのお話ではありません。
お父さんにも、お母さんにも、お兄さんにも、とんでもない背景やドラマがありまして、
1人1人のお話です。
お兄さんは、なかなかのやんちゃな方だったみたいで、お父さんとの確執が絶えなかったそうです。間に入るお母さんは曖昧な表現でその場を繕い、お兄さんに援助を続け、結果、お兄さんと依存し合う関係になります。
お兄さんのやんちゃがキッカケなのか、村井さんが幼少期に病弱だったからなのか、はたまたそれ以前にお父さんとお母さんの関係が違っていたのか、家族の距離感、考え方、いろんなことが歪みはじめ、家族と言う名の場所が崩壊していきます。
お父さんが亡くなるまでもとんでもないドラマはあるのですが…
お父さんが亡くなると…
「砂糖に群がるアリ」のような人たちがお母さんの周りに現れます。
そして、お母さんが病気になり認知症になるとアリは消えていったそうです…
終盤に驚きの告白があり…「ええ?」と生声が出てしまいました。
と、書いては見たものの…
簡単にざっくりは書けないお話なので、ぜひ、読んでいただきたいと思います。
さて…読んだ感想としては、、、
どこの家もそれなりにいろいろあるのだなぁ…と言う思いがあります。
文章や言葉の配列を変えたら、ウチの家のことかと思いました。
渦中にいても、蚊帳の外にいても、どこにいても、一緒にいて居心地の悪い家族はいます。
嫌いじゃないけど、ちょっとムリな人。
そう言う感じ、同じ臭いがしました。
昭和40年代に子育てをしてきた団塊の世代さんたちは、テレビや世間の意見がウヨウヨしてる中、仕事とは!子とは!教育とは!みたいなことに実に振り回されていたのではないでしょうか。
自分たちが苦労してきた分、子供たちが苦労しないように学歴を求め、誰もが羨む子供にしなければいけなかったんでしょうねぇ…
子供への期待、パートナーへの期待が大きく、そっから逸れていくものは悪とし、悪にならないためになかったことにする。ツギハギしながら周りにバレないように生きていく…そんなことが当たり前だった時代だったんかなぁと思いました。
うちも類に漏れず、母と私のきょうだいの1人は依存しあっています。
90も60もなろうとしていてもなお、お金さえあれば、なんでもなんとか片がつくと思っているようで、意気投合しています。
でも、現実は甘くないんです。父のお財布がからっぽになったら、余分はもうないのです。
90の方にも60の方にも、今、お金がないようですが、これまた素直でもなく、プライドが高くややこしい事態に陥ります。
これまでの人生、父の財布を頼りに依存しあって頑張ってきたんでしょうねぇ。
ずっと2人で自転車を漕いでいた気がしますよ。でも、90も60もいつになっても潤わないんですよ。ずっと。パートナーさんはしっかりした仕事についているのに。
なぜ、潤わないか?
私のきょうだい60は、自分の子供達に母と同じこと、いえ、それ以上の望みを持っているのです。教育とかいろいろ。要は入ってくるお金より、出ていくお金が多いのです。
そりゃ、足りなくなるって…
で、それは親から子への期待であり、なすべきこととして信じて疑いがありません。
「私の子たちは素晴らしい。いつか、この子達が私を幸せにしに帰ってきてくれる」
私の母は、そう思って生きてきたと思います。
だから、あかんことも蓋をしてくれました。
きょうだいにも私にも家族をとりまくいろんな大小さまざまな臭いものに蓋をしてきたと思います。ま、全てお金ではなく、母の努力や愛で蓋できたものもたくさんあります。でも、果たして、蓋するのがよかったのか?って話なんです。
で、今まさに、私のきょうだい60は生霊がのり移ったかごとく、その道をまっすぐ認知症の母の手を引いて歩いています…
正直、時代が違います。
父の稼ぎが違いました。
パートナーさんには悪いけど。
豪邸でもお手伝いさんがいるわけでもなかったですけれど、父は転勤しながら、母に家を二件建てて、増築や改装も二度してくれました。そんな夫、時代関係なくそうはいないでしょう。
でも、母はそれが当たり前になってしまったんでしょうね…
母は今、その期待を子供や子供のパートナー、孫に押し付けています。
私のきょうだい60は、その期待に応えることこそが母への愛情と信じて、足りない資金を集めるためにウロウロしているようです…
「子供を育てるとそうなってしまうのよ…」
と言われたら、私にはもう反論はできません。
(聞いてはないですけど…)
けども…
そんな風に援助し続けていて、母が先に死んだら、きょうだいはどう生きていくんでしょう…
プライドだけはスカイツリーくらい高いのに…
私は手は貸しません。父にも宣言していますし、「それでいい」と言われています。
なぜなら、パートナーさんがしっかりした職業の方なんですもん。もともと足りないと言うのがよくわからないくらいです。
としたら、、、
今度は子供に依存するのでは?と思うのです。
最悪の連鎖やとは思いませんか?
未来ある若者に、キラキラに見た目を安物で飾った御輿の台も含めて「私を持ち上げて!」と言う母親…
ないわ〜
ま、かなり脱線してしまいましたけど…
村井さんのお母さんは寂しかったから、お兄さんに違う形で愛を尽くしたんだとは思います。
それは…なんとかわかりますが、私は分かりたくないです…
残された村井さんは、いろんな想いを持たれていると思うのですが…
勝手な一読者としては、お兄さんはお母さんのところへ早く行きたかった…そして、行けた。
そしてまた、お母さんは、お兄さんを残してることが村井さんにツライ思いをさせるのでは?と呼び寄せてくれたのかな?
と思いたいです。結末的には。
最後に、村井さんは、書かれています。
〜これは、どこにでもある平凡な町の、平凡な家族の話。ただそれだけのこと。〜
そうかもしんないです。
類は変われど、一家族一例、なんらかがあって、わちゃくちゃいろいろあって、ストンと落ちるとこに落ち着くのか、、、どうか…
家族ごとに、
春からはじまって、厳しい冬で終わるのか
夏からはじまって、おだやかな春で終わるのか
家族が続いて終わりがどこかわからないけれど、平和になるのか…地獄が始まるのか…
まったくわからないけれど…
どこにでもある平凡な家族の話がこれならば…ウチのゴタゴタもあるあるなんかなぁ…
いやー、まあまぁどっちもそこそこやとは思いますです!
あと、終盤の「ええ!」は驚きます。
まじかー…です。
しんどいですが…
良ければご一読ください。
ぐわしっとなんか胸が掴まれます。