1. この短編は "Dear Miss Rose:" で始まる通り、Rose さんに宛てた手紙です。 この短編はその全体が Rose さん宛ての手紙なのです。ストーリー全体を読み終えて、もう一度この書き出しの段落を読み直すと初めて読んだ時には解りにくかった(雲をつかむようだった)話が、次々と描がかれるイベントの小説全体の中に占める位置を示し、その流れの理解を保証するべく書かれたものであることが良く分かることになりました。
[原文 1a] Dear Miss Rose: I almost began "My Dear Child," because in a sense what I did to you thirty-five years ago makes us the children of each other. I have from time to time remembered that I long ago made a bad joke at your expense and have felt uneasy about it, but it was spelled out to me recently that what I said to you was so wicked, so lousy, gross, insulting, unfeeling, and savage that you could never in a thousand years get over it. I wounded you for life, so I am given to understand, and I am the more greatly to blame because this attack was so gratuitous.[和訳 1a] 親愛なるローズさまへ。私ははからずも「親愛なるこども(若者)へ。」と書き始めるところでした。なぜかと言えば、私が犯した失敗は35年も以前のことであって、今、我々がそれぞれに頭に浮かべる相手は双方それぞれのいわば子供時代の相手なのです。これまでにも私は何度となく、長い昔に自分が悪い冗談を口にし、そのことであなた様を苦しめたことを思い出していました。そしてその度に悔いを感じていました。ところが最近になって、私のこの失敗の経緯、私があなた様に向かって口にした、あまりにも邪悪、下品、不快、侮蔑的、非情、野蛮である故にあなた様には1000年の年を経ても癒されることのないと思える失敗の経緯を整理して書き上げた手紙が私に届いたのです。私はあなた様に一生の傷を加えたのです、そしてその攻撃たるやあまりにも一方的(あなた様の側に責任の一端があるのではない)ものであって、故に私には今の私が自覚している以上に大きな責任があるのだと主張しているように私には思えるのです。
Lines 1-8 on page age 374, 'Saul Bellow Collected Stories' a Penguin Paperback [原文 1b] We had met in passing only, we scarcely knew each other. Now, the person who charges me with this cruelty is not without prejudice toward me, he is out to get me, obviously. Nevertheless, I have been in a tizzy since reading his accusations. I wasn't exactly in great shape when his letter arrived. Like many elderly men, I have to swallow all sorts of pills. I take Inderal and quinidine for hypertension and cardiac disorders, and I am also, for a variety of psychological reasons, deeply distressed and for the moment without ego defenses.[和訳 1b] あなたと私とは通りで偶々出くわしたというだけでした。それまではほとんどお互いを知っていたわけではありません。ところで、(この手紙の原因を作った男)私を異常な熱心さで私を追求する男は、私に対する偏見を抱えていて私を懲らしめようと決意しているように思えます。しかし、この男が異常であるとしても、彼が繰り出す批判を読んで以降、私は気になってしようがないのです。この男からの手紙が届いた時点、今日この頃における私の体調は決して良好とは言えないのです。高齢者の例にもれず、私もあらゆる種類の薬の世話にならざるを得ないのです。高血圧と心臓疾患でインデラルとキニジンを飲んでいますが、それに加えて様々な心療的悩みを抱えていて精神的にも苦しんでいます。その結果、このところ社会への適合にも困るほどの鬱状態です。
Lines 8-14 on page age 374, 'Saul Bellow Collected Stories' a Penguin Paperback
2. この短編の主題はどこに隠されているのか? 長々としたおしゃべり、その中でキッシンジャーやチャーチルその他大勢の有名人の名前が取り上げられ、彼らに纏わる逸話が笑いの対象になりますが、それがこの短編の目的ではありません。Jewish Humor(ユダヤ人の間に伝わる小話)として過剰な荷物を積んだ荷車を引く馬に鞭打つ男の話が紹介され、それを年取って関節炎や心臓病と戦っている自分に重ね合わせる段落(原文375ページ末から次ページの上段部分)につづいて次の文章があります。
[原文 2] It is possible that you may have disliked the life of a nun or shepherdess which the word "librarian" once suggested. You may resent it for keeping you out of the modern "action'---erotic, narcotic, dramatic, dangerous, salty. Maybe you have loathed circulating other people's lawless raptures, handling wicked books (for the most part fake, take it from me, Miss Rose). Allow me to presume that you are old-fashioned enough not to be furious at having led a useful life. If you aren't an old-fashioned person I haven't hurt you so badly after all. No modern woman would brood for forty years over a stupid wisecrack. She would say, "Get lost!" [和訳 2] 修道女、あるいは羊飼いの女性としての生き方を、あなたは嫌だと考えておられたかなと私は拝察いたします。嘗てはこのような生き方を 「図書館員」なる言葉が暗示していたもので、このように想像したのです。それが近代的な「活動」からあなたを遠ざけるであろうと思ったことにその理由がありました。近代的な「活動」という言葉は性的、薬物依存的、大げさで見栄えを貴ぶ、危険度が高い、ソルティー(面白おかしく粗野な)といった形容詞を引き連れています。おそらくですが、あなた様は他人の法外なまでの悦楽を公にしたり、邪悪な書物を取り扱ったりすることを嫌われたことと思います(この種の本が虚偽に満ちていることは私が確約します)。私があなた様をして、僭越ながら一生涯を通じて有用な生き方されたご自分を悔んだりはされない、旧式なお人であると推定しています。もし旧式な人間でなかったならば、私があなたに対してあれ程までに傷つけることにはなっていなかっただろうからです。近代的な女性ならば40年にも渡って、おふざけの悪口に悩み続けたりはなさらないはずです。「とっとと消え失せろ。」と怒鳴りつけていたことでしょう。
Lines 4-12 on page age 376, 'Saul Bellow Collected Stories' a Penguin Paperback 兄はインチキ商売で食いつないでいる人間と知っているのにも拘らず、ここぞというときに行動をとらないで、兄に引きずられ、せっかく稼いだ大金を失ってしまったハリー・ショウムト、何の為かもわからず鞭打たれるからという理由だけで、上り坂を這い上がろうとする馬、ショウムトに酷い冗談を言われたのにただただ心に傷を負うばかりで対抗しようとしない図書館員と並べあげられると、私には、ベローがよく口にする馬鹿の姿の具体例であると読み取らずにおけません。この作品集にある別の短編「銀の皿 A Silver Dish」に出てくる親牛、自分の子である子牛が、草地の際を流れる大きな川に住むワニに喰いつかれ川に引き込まれたのに、それを見ても見ないがごとき親牛と同じ人間なのです。私はベローの歯ぎしりを聞く思いで読んでいます。
3. Wikipedia にある解説の一部にも興味が惹かれます。 [原文 3] Bellow grew up as an immigrant from Quebec. As Christopher Hitchens describes it, Bellow's fiction and principal characters reflect his own yearning for transcendence, a battle "to overcome not just ghetto conditions but also ghetto psychoses." Bellow's protagonists wrestle with what Albert Corde, the dean in The Dean's December, called "the big-scale insanities of the 20th century." This transcendence of the "unutterably dismal" (a phrase from Dangling Man ) is achieved, if it can be achieved at all, through a "ferocious assimilation of learning" (Hitchens) and an emphasis on nobility.[和訳 3] ベローはケベックからの移民として(米国で)大きくなりました。クリストファー・ヒチェンズ氏の記述に依ると、ベローの創作であって作品に登場する数々の人物はベロー自身が一段上の人格に到達したいと望む気持ち、このような自身の願望を投影・具現化しているということになります。この気持ち・願望は「ゲットーと言われる環境を克服するのに止まらずそのような環境が作り出す一種の病である精神状態をも克服する」ための戦闘と言い換えることができます。ベローが作り出した作品の主役たちは「20 世紀という時代が生み出した広く社会に広がる狂気」と格闘するのです。この「狂気」はその作品「大学の学生部長の12月」に登場する学生部長が使った表現です。「言いようの無いほどの低能力者(「宙ぶらりんの男」による)」にとってこの成長・向上を達成するのは至難のことであって、たとえ達成するとしても、これ以上ないまで徹底した「学習と生活の一体化(ヒチェンズ氏の表現)」と高貴さの重要視なしには不可能なのです。
The article under "Saul Bellow", Wikipedia (English version)
4. Study Notes の無償公開 "Him with His Foot in His Mouth" の Pages 402 - 413 に対応する私のStudy Notes を以下に公開します。A-4 用紙に両面印刷すると A-5 サイズの冊子に仕上がるように調整されています。