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60回目 "Midnight's Children" を読む(第12回)。頼りないので放置していた亭主が緊急入院、母(妻)は迷うことなくラワルピンジからボンベイに飛行機で戻ります。

読書対象は「エピソード 21」 "Drainage and the desert 鼻と喉の切開手術と参加者ゼロの子供会議” と、「エピソード 22」 "Jamila Singer ジャミラは歌い手" です。
   中国がヒマラヤ山脈添いの国境を越えて来た結果武力衝突が発生(1962年9月9日)、インドが敗れて終戦。そんな騒動に興奮するのですが、父アーメドの緊急入院や子供サリームの鼻の手術、更にはアーメドと母アミナの仲直り、これらの出来事は自国が進める戦争とは違って、自分たち家族の一人ひとりにとって話題にしているだけでは済まない一大事なのです。

1. 中国とインドの国境で戦争が始まる中、ボンベイに残した父の雇人からラワルピンジに居候する母に電報です。

戦争が始まり、無邪気なとしか言いようの無い興奮、戦意を鼓舞する言葉が社会に氾濫します。そんな中、ボンベイに残った父が不摂生な生活に身体を壊し緊急入院です。母のアミナは15才のサリームと 14 才の妹の二人を連れて即刻ラワルピンジを出発します。サリームにとって鼻の手術をするなんてこと、そんなオプションがあったなんて全く知らなかったのです。

[原文 1-1] At the stroke of three o'clock, which even in the north, is the hottest time of day, a bearer brought her an envelope on a silver dish. A few seconds later, far away in New Delhi, Defence Minister Krishna Menon (acting on his own initiative, during Nehru's absence at the Commonwealth Prime Ministers' Conference) took the momentous decision to use force if necessary against the Chinese army on the Himalayan frontier. 'The Chinese must be ejected from the Thag La ridge,' Mr Menon said while my mother tore open a telegram. 'No weakness will be shown.' But this decision was a mere trifle when set beside the implications of my mother's cable; because while the eviction operation, code-named LEGHORN, was doomed to fail, and eventually to turn India into that most macabre of theatres, the Theatre of War, the cable was to plunge me secretly but surely towards the crisis which would end with my final eviction from my own inner world.
[和訳 1-1] 午後の 3 時でした。北の方に位置しているとはいってもそれは一日の内で一番暑い時刻です。下働きが銀の皿に乗せて一通の文書を届けに来ました。遠く離れたニュー・デリーでは丁度この時刻に防衛大臣クリシュナ・メノンが歴史的な決断を下していました。ネルーがコモンウェルス総理大臣会議に出かけていて不在の為、その間の総理代行を務めていたのです。彼はヒマラヤ山地の国境を越えてきた中国軍に対してインド軍による武力の行使を許可したのでした。母がその電報を開封したその時に「中国軍はタグ・ラ高地から除去されねばならない。相手に弱腰を見せる訳にはいかない。」とメノンが宣言したのです。大臣のこの決断とはいえ、母に届けられた電文の意味するところと比べると全くゴミのごときものでした。除去の為の軍事行動はレグホーン作戦と命名されていたのですが、この作戦は失敗に終わる運命、すなわちインドをしてこの先、戦争の舞台悲惨な戦いに追いやることになるのです。一方電文はこの私をそんなことになるとは聞かされることなく、私の脳の中の世界からの完全なる排除を達成することになるのですから、私には遥かに重大事だったのです。

Lines between line 16 on page 409 and line 4
on page 410, "Midnight's Children", 40th
Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback

[原文 1-2] While the Indian XXXIII Corps were acting on instructions passed from Menon to General Thapar, I, too, had been placed in great danger; as if boundaries of what I was permitted to do or know or be; as though history had decided to put me firmly in my place, I was left entirely without a say in the matter; my mother read the telegram, burst into tears and said, 'Children, we're going home!' … after which, as I began by saying in another context, it was only a matter of time.
What the telegram said: PLEASE COME QUICK SINAISAHIB SUFFERED HEARTBOOT GRAVELY ILL SALAAMS ALICE PEREILA.
[和訳 1-2] インド第三十三連隊は大臣メノンからタパー将軍に下される指揮命令に従って行動していました。私も大きな危険に直面していました。私自身も境界領域に置かれていたのです。やって良いこととそうでないこと、知って良いこととそうでないこと、そうであって良いことと良くないこととの境界領域です。あるいは歴史の必然性が私をこの領域に厳に配したとも言えます。私にはこの件で選択する機会が全くなかったのです。母が電文を読み泣き出し、「子供たち二人は、私たちと一緒に家に帰りますよ。」と言ったきりでした。それに対して何も言うことはできず、ただ、ことが終わった後になってようやく、ことは時間の問題でしかなかったという説明にならない説明が出来たに過ぎません。
   電文は次の通りでした。「ご主人シナイさまが心臓病の発作 重病です 直ぐご帰宅ください 草々 アリス ペレイラ」

《注》原文の Heartboot はこの物語の著者による造語です。この引用箇所の後にその意味に関する記述があります。

Lines between line 4 and line 16 on page 410, "Midnight's Children",
40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback



2. 鼻水が止まらない鼻の手術、その効果はサリームの世界を変えるにとどまらず、著者の持論を展開する口実になります。

生まれた時以来続く鼻のトラブル。この病気の所為でサリームの頭の中に子供たちの交流の場ができていたのですが、終戦の解放感の中、両親は 15 才のサリームに鼻の障害除去手術を強行します。子供たちの会議が立ち消えになるのですが、それに代わって世間に充満する悪臭がサリームの脳に良く届くようになります。

[原文 2-1] But what a sense of smell it was! Most of us are conditioned, from the cradle onwards, into recognizing the narrowest possible spectrum of fragrances; I, however, had been incapable of smelling a thing all my life, and was accordingly ignorant of all olfactory taboos. As a result, I had a tendency not to feign innocence when someone broke wind - which landed me in a certain amount of parental trouble; more important, however, was my nasal freedom to inhale a very great more than the scents of purely physical origin with which the rest of the human race has chosen to be content.
[和訳 2-1] しかし獲得して初めて分かったのですが、嗅覚とは何と大きな役割を持っているのでしょう。大きな驚きでした。臭いとは本当に様々なスペクトルで構成されている。加えてそれらの間の極めて僅かな違いを判別できることには、大方の人々は赤ん坊の時から良く慣らされています。その一方、私はこれまでずっと臭いを嗅ぎつけることなく生きていたので、嗅覚に源を持つ習慣、礼儀作法に無知でした。その影響で、私には誰かがオナラを漏らした際に他の人の様に「知らないそぶりをする」ということがなかったのです(その犯人捜しに乗り出すことが良くあったのです)。 そして同席している親に叱られることになるのが常でした。ここで親に叱られること以上に重要だった(役立った)要素は私以外の人々がもうこれ以上はごめんだと逃げてしまっていた量よりもずっと沢山の量の臭い物質・物理学的な意味での物質を私の鼻は吸い込んでいてもそれを避けようとはしない態度でした。

Lines between line 24 on page 426 and line 8
on page 427, "Midnight's Children", 40th
Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback

[原文 2-2] So, from the earliest days of my Pakistani adolescence, I began to learn the secret aromas of the world, the heady but quick-fading perfume of new love, and also the deeper, longer-lasting pungency of hate. (It was not long after my arrival in the 'Land of the Pure' that I discovered within myself the ultimate impurity of sister-love; and the slow burning fires of my aunt filled my nostrils from the start.) A nose will give you knowledge, but not power-over-events; my invasion of Pakistan, armed (if that's the right word) only with a new manifestation of my nasal inheritance, gave me the powers of sniffing-out-the-truth, of smelling-what-was-in-the-air, of following trails; but not the only power an invader needs -- the strength to conquer my foes.
[和訳 2-2] その結果、パキスタン人の青年前夜の子供となった当初から、私は世間の隠れた様々な香りを修習し始めることになりました。強烈な印象を残しては直ぐに薄れなくなるのが愛の香りだとか、もっと深みを持っていて長く続くのが憎しみの香りだとかといった具合です。(兄妹の間の愛という高度に不純なものが私の心底にあることに気付いたのは「純粋な信仰者の国・パキスタン」に住まい始めたまもなくの頃でした。一方、伯母のものであった、ゆっくりと燃え続ける炎は、そこに住まい始めたその瞬間に私の鼻が嗅ぎ付けました。)鼻は当人に知識を付与するのですが、物事の在り様に変化を加えるまでの力を付与するものではありません。武器(これを武器と呼べるとしてのことながら)を携えた私のパキスタンへの進入は、唯一、鼻という武器を相続し保有していたお陰で、この度初めて機能を発揮することになり、私に事実を臭いに基づいて認識する力を与えてくれました。すなわち空気中に漂う香りを嗅ぎ取るのです。通り過ぎた生き物が跡に残す香りを追跡するのです。しかしです、携えていたのは侵入者に必要なこの力だけではなかったのです。私は敵どもを征服する強さも携え持っていました。

Lines between line 8 and line 20 on page 427, "Midnight's Children",
40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback


3. 鼻の手術の結果である嗅覚の獲得。そんな出来事を私はこんなにうまく利用するのですとラシュディー氏は自信満々です。

この小説を読まれない方にもこの一節だけは、その存在をお教えしたく思いました。話題をつなぎ発展させんが為の、著者の「強引なこじつけ」に拍手したくなります。ちなみに、ここに出てくる grandfather とはドイツに留学して医者となった、権力者にへつらうことなく生きた男です。

[原文 3] In the meantime, Saleem was working towards a general theory of smell: classification procedures had begun. I saw this scientific approach as my own, personal obeisance to the spirit of my grandfather … to begin with, I perfected my skill at distinguishing, until I could tell apart the infinite varieties of bitel-nut and the twelve different available brands of fizzy drink. Only when I was sure of my mastery of physical scents did I move on to those other aromas which only I could smell: the perfumes of emotions and all the thousand and one drives which make us human: love and death, greed and humility, have and have-not were labelled and placed in neat compartments of my mind.
[和訳 3] 何はともあれ(嗅覚を得た)サリームは嗅覚に係る通常の判断方法(theory)の習得にとりかかりました。分類手法への習熟です。この科学的な手法は、祖父が大切にしたあの精神に向けた私の敬意の表明そのものだと評価しました。最初に達成したのはビッテル(ビンロウ)の豆の違い、そして炭酸飲料として市販されていた 12 種類の銘柄を言い当てる技でした。物理学の世界である臭いに係る技の習得を完了して後において初めてそれ以外の世界の臭い、私のみが嗅ぎ分けられる臭いに取り組んだのです。それは情熱の香り、そして一千一種もある人をして人たらしめる意欲・動機の香りです。(もう少し具体的に言うならば)愛と死、優越感と屈辱感、所有物の「ある・なし」といった事々の香りを区分けして、整理の行き届いた頭の中の棚に収納したのです。

Lines between line 1 and line 23 on page 441, "Midnight's Children",
40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback
(途中に10行程の省略あり)


4. Study Notes の無償公開

これまでと同様に私の Study Notes を無償公開します。今回は二つの Episodes 21st と 22nd、”Drainage and the desert” と "Jamila Singer" です。原書の Pages 409 - 453 に対応するものです。適宜ご利用ください(辞書引きの手間を節約できる以上の役には立つものと信じております)。

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